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カテゴリ:朝ドラ-4>わろてんか~おちょやん
中国に慰問団を送ったのは史実なので
それを取り上げること自体は良いと思うけど 史実とは全く違う隼也の恋愛騒動に 3週間(だっけ?)もかけた後だし 史実に基づいたマーチン・ショーや25周年記念イベントは 台詞のみで終わっちゃったわけだし 何だか白々しいというか シラケるんだよなあ… …ひじゅにですが何か? 「あん時から大事なんは愛と自由やったんですね」byてん ↑知らんがな 昭和14年(1939年)― 4年のワープ。 その4年の間に さすがのてんも栞様も少しだけ老けて、髪に白いものがちょっぴり。 先週まで全く年を取った風がなかったので やっと…と言うべきか 今更…と笑うべきか。 あ、『わろてんか』なのだから笑うのが正解ですね。 「何やまた俺に名無しの手紙が来てな」 史実では隼也に相当する人は若くして亡くなってしまったけど ドラマでは駆け落ちという形にしたので このまま“なかったこと”にするわけにもいかず 「名無しの手紙」という形で後日談― 隼也は川崎で工場勤め 結婚し、子供も誕生 男の子で、名前は藤一郎 …とのこと。 下働きを嫌がったり 自分がしたいことには立場を超えて暴走したりしていたのに 分野の違う仕事+雇われる立場で満足しているのだろうか? もしかして、それが新たなる暴走に繋がるのだろうか? 結婚したといっても 相手は、つばきなのだろうか? お互いよく知り合わないまま一緒になって 合わない部分がどんどん出て来る時期ではないのだろうか? 子供の名前は藤吉から取ったのは明らかで 父親を超える生き方をしたいという“夢”が 今更ながら浮上してきた証拠ではないのだろうか? 結果的に親をないがしろにしてしまったことを 今になって悔いているのではないだろうか? つまり 「こんなはずじゃなかった…」という思いに囚われていて それが風太への甘えの形で表れてきているんじゃ? …と ヒネクレひじゅには斜めな見方をしてしまうのであった(笑) それよりも今週は慰問団― 「演芸を通じて民心を纏め、聖戦完遂に資するべく 協力をお願いしたいのであります」 まずは軍からのお達し。 戦争になると、どうしてもどうしてもこの手の難問が持ち上がる。 これって、それこそテーマに大きく関わる問題だと思うので どこまで真剣に取り組んでくれるか、どこまで描けるか これからの展開で『わろてんか』評が覆る可能性も…ないこともない? 「是非、北村笑店の芸人さんらで慰問団組んで 戦地に行ってもらえんかと」 楓さんが世話になったという(後出し)新聞記者からの依頼。 ここがクライマックスとなるのかな? 隼也達をどう絡ませるか(絡んでほしくないけど)も問題だな。 ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆ http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/2840-f3e8753a ☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中! わらわし隊 修身の教科書 昭和14年・1939年生まれのワイン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2018.03.05 21:52:42
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