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カテゴリ:朝ドラ-4>わろてんか~おちょやん
武志君は偉いなあ
「気のせいや」と言われたからって 「丸見え」の人参を 素直に食べてみるんだものなあ ひじゅには、どんなに巧妙に隠されていても 嫌いな物が入っていそうな料理には手を付けない 可愛気のない子供だったからな(笑) …ひじゅにですが何か? 「誰にでもあんねん、熱なる瞬間」byジョージ富士川 ↑三度目の登場で週タイトルを叫ぶジョージ富士川>叫んでへん 先回に引き続き、八郎さん経由で登場。 八郎さんの「着替えてきたん?」は 普段の恰好より幾分、良い服を着てきたのに気付いたからで ジョージの「着替えてきたん?」は わざわざ着てきた余所行きがそれ?ってニュアンスで 勿論、ジョークだけど 何だか自分のことを言われている錯覚を覚える、ひじゅにであった>ぉ 「灰が釉薬の代わりに」by八郎 喜美子の「旅のお供」だった陶器の欠片が忘れられなかったらしいジョージ。 そこから話が発展して、あの色合いの秘密が明かされる。 いや、秘密ってわけじゃないけど(笑) ジョージだけでなく あれをず~っと持っていた喜美子も知らなかったこと。 釉薬を使わず、薪だけで出た色。 鉄分の多い信楽の土に灰が「ええ感じで」かぶさって出た色。 今頃になって知ったんかい!? って気もするけど(笑) 喜美子は陶芸全般を正式に習ったわけじゃないからな。 自身も当時は素人の域だった&釉薬の研究をしていた八郎さんに 最初から電気窯で焼くものとして教わったわけだしな。 柴田さんに色々教えてもらっておけば良かったのに… って気もするけど 柴田さんは喜美子を「夫を支える妻」という部分でしか見ていなかったもんな。 ともかくも、この話が喜美子に熱い瞬間をもたらした。 やっぱさ 観たいのは、こういうところですよ。 「芸術を極めるんは喜美子に任した」by八郎 今日の気になる台詞。 東京や大阪で団地を眺めてきて そこで使われる和食器セットを作りたいと思った…と言う八郎さん。 元々、喜んでもらえるものを作る…というのが夢だったし 熱い瞬間を持てた=スランプから脱した、ってことだから メデタシメデタシなんだけど 少し前まで 自分ならではの作品を追求していた八郎さんと 大量の注文をこなすことで夫を支える喜美子 …という図だったのを きっちり逆にしていく決意を、八郎さんはしたのかなあ… いつもは喜美子が作る、顔の付いたおむすびを 今日は八郎さんが作った…というのが象徴的。 ただ… 「さわやかな笑顔や」と言っていたけど ひじゅには犬の顔かと思ってしまいました>スマソ 「芸術がここにも宿る…やな」byジョージ 室町時代は日用品だったものが、昭和には「芸術」と呼ばれている― そんな話をした後なので、この↑八郎さんさんの言葉は 大量生産になる和食器セットを「芸術」とは切り離した捉え方に聞こえて ちょこっと違和感というか、躊躇いを感じた。 まあ、火の加減、灰の加減で色合いが決まるものは大量生産なんて無理だろうし 理想の色を出すためには、何度も何度もやり直していく必要があるだろう。 そういう“違い”に言及しただけかもしれないけど。 つまりは、それも「芸術」で 自分の道を諦めたわけでも変えたわけでもなく ただ「極める」ことは喜美子に託した、ってことなのかなあ… ただ… 「金賞、目指すんやろ」と、その言葉の後に続いたので 「極める」は結局そこかい?という気もしてしまった(^^;) 「綺麗な夕日が映ってた」 「こういう色合いを出して誰かのことを励ましてあげたい」 「うちの夢や」 信楽焼ならではの色。 火の色。 夕日の色。 ももももしかして アバンで人参の話を出したのは、この色を 視聴者も強く認識出来る様にするため? ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆ http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/3488-fcb410a2 ☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 夕日のかけらドロップ ポテトサラダ 信楽焼>緋色あられ丸鉢 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[朝ドラ-4>わろてんか~おちょやん] カテゴリの最新記事
ずいぶん昔に読んだ陶芸を扱った漫画「緋が走る」の中に、師匠が修行を終えた弟子にこんな主旨の話をする場面があります。
「陶芸家には「職人」と「作家」の両面がある。 修行が済んで独り立ちし、自分の窯を持つと多くの者が、特別な一品を作り上げる「作家」の方向に走りたがる。 それではダメだ。なぜなら食っていけないから。 全作業量を10とするなら、「美」を求める「作家」としての作業は2程度に留めるべき。 残り8は、器に「用」(器として役に立つ)を求め、大量に作る「職人」に徹するべきである。 そしてこの「美」と「用」が両立したところに陶芸としての芸術がある。」 これは私にとって説得力のある言葉です。 この言葉に沿って考えると、八郎氏が和食器セットに注力したとしても、それは「用」に重きを置いただけで「美」を捨てたことにはなりませんし、むしろそこに「美」を与えることが彼の作家性でしょう。 スカーレットの中でも、こんな風に体系立てて説明してくれれば、各自が何に向かっているのか分かりやすくなると思うのですが、なぜかセリフにしてくれません。 肝心なことは言わない主義か。 -- >アバンで人参の話を出したのは、この色を >視聴者も強く認識出来る様にするため? しまった。気づきませんでした。 自分の未熟さを実感します。 (2020.01.22 18:34:23)
いよいよ陶芸そのものに、ストーリーが展開してきましたね。
先日、「美の壺」で信楽焼がとりあげられていました。 もちろん、朝ドラ関連での算段でしょう。 独特な土と灰と炎が織りなす信楽焼の、制作過程や用いられ方が とてもよくわかりました。 「スカーレット」の背景を知りたい視聴者に親切なつくりになっていたように思います。 「芸術か、実用か」、 器(うつわ)自身は、どう使われたいと思っているのでしょうね。 喜美子と八郎さん、ふたりが今後生み出してゆく作品がとても楽しみです。 (2020.01.23 03:29:50)
立場が入れ替わりましたね。
夫婦で共に歩むというのは横並びで歩くのではなく、どちらかが前を歩く時は片方が支え、前後が入れ替わりながら前に進んでいく、という事が言いたいのかもしれませんね。 ということは、喜美子の頑張りや作品がまた八郎の胸を熱くして、その先にまた入れ替わる事もあるかも?またフカ先生の青を追い求めるようになれば嬉しいな。 (2020.01.23 03:58:49)
ありがとうございます。
食べていけなければ「芸術を極める」こともできないし、日用品だから芸術じゃないってこともないですしね。 でも、喜美子と八郎の場合、その役割を2人で分担する…という形に拘っている様に見えますね。 今迄は喜美子が、これからは八郎が支える側に回る…みたいな。 穴窯を使用することになって、そこのところが、より極端化していくのかも…? それでも、では芸術とは?という問いの答は今のところ見えませんが。 (2020.01.27 23:07:34)
ありがとうございます。
うわあ、『美の壺』はたまに観るのですが、その回は見逃しました(残念) 陶芸そのものを知らないのでドラマ内で深く解説してほしいなと思っていたのですが…それも難しいのだろうな。 喜美子達が考えたり作ったりしている様子や、出来上がった作品を、もっとたくさん&じっくり映してほしいですね。 2人の取り組み方の違いなども、細やかに描いてくれると嬉しいのだけど。 でも、燃え上がっていく喜美子の姿にはワクワクします。 (2020.01.27 23:16:36)
ありがとうございます。
そういえば、フカ先生の青の件はまだ、あのままでしたね。 八郎さんは和食器セットを作ることで迷いを吹っ切れた様子だけど、色への拘りは保留しているのかなあ? 喜美子が追い求めているのは緋色なので、ドラマ的にはそれと対照的な色ということで、青が出てきたのでしょうか? フカ先生自身が再登場してくれないかなあ…フカ先生の師匠の陶芸家も。 フルネームが出たので、本人登場の可能性があると期待してはいるのですが。 (2020.01.27 23:25:47) |