春の旅最終日 醍醐寺
常のごと旅の終わりの春かなし 春の旅最終日は世界遺産の醍醐寺を見学しました。 醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。 その後、応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残された。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となった。 と説明がありました。 その「醍醐の花見」は豊臣秀吉が死の半年前となる1598(慶長3)年、京都の醍醐寺に1,300人もの女性を招いて催した大宴会で、参加した女性たちの衣装代だけで現代の40億円に相当する費用を掛けたとも言われていて、庶民が桜の下に集い、酒を飲んで大騒ぎする現代の花見スタイルを生み出したのは、秀吉の醍醐の花見が始まりといわれています。 との説明もありました。 歴史の隆盛や悲哀を感じながらゆっくり散策しました。 まだ桜の季節には早く、蕾も固いままでしたが、それでも他にも見学者が訪れ、中には外国からの若者の姿もありました。 国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園、国宝・薬師三尊像を中央に安置する大展示室のある醍醐寺霊宝館、国宝の金堂や五重塔などをゆっくり見て廻るとかなりの時間を要しました。 三宝院庭園では室内の撮影は禁止ですが、警備の係の人が「翡翠が来てますよ」と教えてくれました。 庭園は撮影OKなので、一枚だけ写真を撮ると、次の瞬間池に飛び込み魚を銜えて飛び去っていきました。 こうして四日間の春の旅は終わりました。 長い間お付き合いいただきましてありがとうございました。