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G党魂

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whitemint

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I’m Fine, … まじんぷぅさん

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Jun 30, 2006
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2002年の最初からだけど、負けたときの原監督のコメントは
いつも同じである。
「切り替えて這い上がる」「前に進むしかない」
「Show the Spiritしかない」。
これらをわかりやすく翻訳すると、「具体的には何もない」である。
つまり原監督は「チームに実力をつける策」という大切なプランは
全く持ち合わせていないのである。
だから野球を知らない、と評している。

プラス思考は良いことである。彼はいつでも、眩しいくらい前向きだ。
ただし彼の場合はそれがそのまま、
「他者の悩みや痛みに無関心」という負の作用に直結している。
「負けても一部の若手はヘラヘラしている」(今日の東スポより)
のも、若手は原監督の本性をちゃんと見抜いているからだと思う。

「ジャイアンツ愛」とはつまり
「巨人のために勝つ。巨人のために戦う」ということで、
それは裏を返せば
「負けても巨人のためなんだから見逃してくれよ」
と言ってるのと同じだ。戦う前から言い訳を作っているのだ。
そういう本質を常日頃「勝ちにこだわる」と繰り返すことで
覆い隠している(ていうか、きっと本人も気づいていない。悪気が
 なければ許されるというものではない。遊びじゃないのだ)。

「大義名分が正しいんだから何でも良い」という点において
「ジャイアンツ愛」は中国人の「愛国無罪」に似ている。
一部の勘違い中国人によって日本大使館が襲撃された例のアレである。
原監督にはチームを育てられない。
原監督がチームに残せる遺産など何ひとつありはすまい。
アノ人が抜けてもいまだに勝ち続けるヤクルトとはそこが大いに違う。

「ジャイアンツ愛」とは、野球文化の破壊行為だ。





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Last updated  Jun 30, 2006 07:09:16 PM
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