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G党魂

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Feb 22, 2015
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カテゴリ:カテゴリ未分類
3回前のお話の続きです。初期設定の話の補足を。

そうはいっても仕事は大変だし、人間関係は辛いし、朝布団から出るのはしんどいし
生きることは苦痛であるに違いないと感じられるかもしれません。
とりわけもっともらしいのは、
 頼んで産まれてきたわけじゃない。
というやつです。

産んでくれとお願いして、好きで生きてるわけじゃない。
そうでしょうか。
そりゃそうだ。頼んだ覚えはない。だから正しい。
つい、そう考えてしまいがちです。
しかしこの考え方には、論理的に重大な欠陥があります。

産んでくれと母親に頼んだ覚えはない。私にもありません。
その代わり、産まないでくれ、と頼んだ覚えもありません。違いますか?
いや、私は覚えがある、という人は、無視します。
バカじゃないのと言われて終わりでしょう。あるわけねーだろ。
頼んだ、でも、頼んでない、でも同じです。好きに言わせておけばいい。
覚えている、と言い張ったところで、だから何? という話です。
そんなこと常識で通用すると思っているのかと。

産んでくれと頼んだ覚えはない。それはきっと正しいでしょう。
ならば、産まないでくれと頼んだ記憶がないことも、正しいと認めなくては
公正ではありません。
つまり何が重要かといえば
 産まれてきちゃった以上はちゃんと生きるしかない
ということ。
頼んで産まれてきたかどうかなんて、その問い自体がどうでもいいことなのです。
だから、そんな理由で大事な決断を下すことは間違っているかもしれない。
少なくともそのように疑った方がいい、ということです。

だから昔「〇ーラの泉」というテレビ番組で、江原啓〇さんが
「私たちは頼んで産まれてきたんですよ」
みたいなことを言っていたと記憶しているのですが、つまりそういうふうに
「設定」しろという話だったんじゃないかと解釈しております。
頼んだでも頼んでないでもどっちでもいいのだから、自分に得になるように
「設定」しておくことが、つまり「自分を大事にする」ということなんだろうと。
どうせ日常会話でそんな話しないわけですし、誰かにバレることもありません。





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Last updated  Feb 22, 2015 08:43:05 PM
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