その質問の意図は?
今日、突然上司に聞かれた。「やまあゆくんは本当に監督をやる気はないの?」映画の制作会社で働いてるなんてことを言うと、大抵の人が「じゃあ監督志望だね」と決め付けた発言をしてくる。やっぱり一般的には、映画というと監督なんだろうね。監督一人ではできないこともたくさんあるし、監督以外の仕事に面白みを感じている人も大勢いるんだけど。そういうやまあゆ12号も、監督になりたい人間ではありません。ロサンゼルスの大学では一通りなんでもやらせてもらったけど、自分のよく知る自分のことを考えれば考えるほど、監督には向いていない性格だなぁってのを痛感するんだよね。これも人によって捉え方や考え方の違いはあるだろうけれど、やまあゆ12号にとってのDirectingという作業は、要は「ダメ出しをする仕事」なんです。いいモノを作りたい、納得いくまでやりたい、そういう気持ちは自分の中にももちろんあるけれど、同じような気持ちで役者も他のスタッフもやってるはず。そうやって一生懸命やってくれてる人達に、テイクの度に、「そこがちがう」「もっとこうして」「それじゃだめだ!」なんてコトを言えない性格なんだよなぁ。そして、ともすれば面倒くさがりのやまあゆ12号は、テイクを重ねるごとに集中力が落ちていくのも知っている。もっといいものを!と思ってやっていたはずなのに、「もうこれでいいんじゃない?てか、さっきのでいこうよ。」みたいになりかねない、怠惰な性格でもあるんだな。まー一番の理由は、そんな監督に不向きな性格だからということではなく、監督以外にやりたいことがあるということなんだけど。それは編集であり音響であり、仕上げと呼ばれる段階での、ある種職人的な仕事なのです。周りにダメ出しをする必要はなく、けれど自分の納得がいくまでとことん突き詰めていけるから、誰のせいにもできない、自分との勝負!的な部分に強く惹かれるのでしょう。(これだって捉え方や考え方の違いはあると思うが・・・。)その辺の説明(というか言い訳?)をした上で、「だから監督をやる気は、今はないです」と上司には答えました。「そうか~」という短いコタエが返ってきたけれど、その質問と反応の奥にあった意図が読み取れず、なんとなく悶々としている感じ。でもよくよく考えてみると、こうやって自分の意思を主張できる、伝えられる、というのはすごく恵まれていることだよね。そしてその意思が、比較的ダイレクトに反映されることも。一般的な企業だったなら、配属が希望通りにいかないなんてこともざらだと思う。それでも与えられた場所でみんな頑張ってるんだもんな。性格が合わないとか、したい仕事が他にあるとか、そんな理由で配属を断ることなんてできやしないワケだし。まーもしかしたらいつか、それでも、「一回は監督をやってみろ!」と言われるときが来るかもしれない。そん時はそん時で引き受けるとして、今は自分の気持ちに素直になって(素直になれる環境だしね)、やりたいことへと続く道を一歩ずつ登っていくことにしよう。昨日から雷と雨の嫌な天気です。でも、この雨が去ったら梅雨明けかなぁ。夏の足音が聞こえてきそうなこの時期は、空が暗くてもやっぱり少し明るい気持ちになる。一昨日分けてもらった幸せも少しは影響しているのかな。