梅雨の晴れ間の上高地散策ー1日目 大正池と岳沢登山道(子猿のミイラをくわえて運ぶ母猿を見る)ー
Kamikouchi hiking of the sunny day of the rainy season-The 1st day :Taishouike &Dakesawa root-ロンドンから従弟夫妻が来日し、上高地に行きたいという。最近の外国からの客はWeb情報があって、よく知っている。私は10年以上前のお正月に2回、大正池ホテルと日本山岳会の山研に泊まって上高地散策をしたことがあるが、それは冬だった。それ以外は上高地は山へ行くときに来る場所か、降りて来る場所、つまり入り口か出口でしかなかった。このような緑に覆われた季節の散策は初めてだ。2017年6月15日、午前9時半過ぎ、松本駅で夫妻に落ち合った。彼らは前日、私の妹と塩尻の親戚の家へを訪問し、蚕を飼っていた母屋や庭にある先祖代々のお墓参りをした。従弟のジョゼエは昨春、母(私の母の弟の妻)を亡くし、彼女の故郷の地ルーマニアに行ったそうで、今回の信州訪問もその一環かもしれない。母屋は両親が最近相次いで亡くなった後、改築したそうだが、写真でみると、まるでミュージアムのような作りになっていた。塩尻の後、松本城を見物して松本に宿泊したが、クローズ寸前だったせいか人が全くいなくて大変満足したようだった。妹が上高地まで同行する予定だったが、休養のために松本から帰京した。松本と上高地間には往復割引券があり、これを購入した。10:10の松本電鉄で新島々へ約30分で到着。20分ほど待ってからバスで上高地へ向かった。新島々で買った巨峰がおいしかった。約1時間、12時少し前、大正池バス停に到着、下車した。12:15頃、一息入れてから出発。梓川の川面に雪を頂いた穂高が逆さに映っている。ジョゼエは、これはと思う場所にピューと飛んで行ってカメラを構えている。いいおじさんなのだが、好奇心のままに駆け回る子供のようだ。奥さんハッティーと私の前にいるのか、後にいるのかよくわからない。池にカモの一家が泳いでいた。コガモは数えると10羽もいて子沢山。木立がかぶっていて烏などの外敵をふせいでいるのか。ハッティーは自然に興味が深く、ヤナギや鳥類など、適宜ある置かれている解説板をしげしげとみて写真を撮っていた。英語の解説も付記されているのは良いことだ。ジョゼエは焼岳の山頂付近から白い煙が上がっているのを見つけて喜んでいた。英国では火山は珍しいのだろう。大正池の湖畔の樹林の中を歩いて、田代池に出た。ところどころで見覚えのある光景に出会う。田代池から湿原の向こうに穂高を望む風景がその例だった。それは冬に西穂山荘から降りてきて正月に大正池ホテルに2泊ほどして、上高地を歩き回ったときのこと。今回は山肌はたっぷり緑におおわれ、緑のグラデ―ションが目を楽しませてくれる。道が二手に分かれている。左右の道は田代橋の手前で合流する。左の梓川に近い道をとる。さわやかな風が流れる林の中に、キツツキが幹をたたくドラミングの音がする。川沿いに出れば、雪を溶かしこんだ清冽な流れに光が躍る。上高地って、こんな素晴らしい場所だったの!のどかな歩きを楽しむのもよいなあと思いながら歩く。13:20、田代橋に出た。橋を渡る。正面に明神神岳がどんと大きい。梓川右岸沿いに進む。南側の霞沢岳や六百山の峩々たる岩稜も光を存分に浴びて存在感を発揮している。私が未踏のエリア。13:30、ウエストン碑があった。彼らはウエストンという名前を知らなかったようだが、これ以後、「ウエストン」とガイドの「クアモンジイ(嘉門次)」を連発していた。梓川沿いの道は日盛りだった。河童橋から田代橋の間を周回する観光客とすれ違うようになった。13:55、河童橋に着いた。穂高連峰が完璧な蒼空に映えていた(扉写真)。。奥穂と西穂のピークも視認された。周辺は妙に人が少なかった。人がこんなに少ないのは初めてだ。梅雨の合間の晴れ間、平日というのはねらい目かもしれない。八ッティーは「Ryuunosuke Akutagawa」を知っていた。彼らは帰国後、「Weston」と「Kappa」を検索しているだろう。14:00、山研に着いた。記憶よりも立派な建物に見え、建築が専門の八ッティーも感心していた。室内は山小屋としては清潔すぎるように思えるくらいピカピカ。管理人のMさんとは初対面。Mさんは、明日買い物に降りるとのことで、ご主人が見えていた。本日の宿泊客は私達だけなので2部屋使ってよいとのこと。リビングのポットのお湯を差してにゅう麺を食べたり、お結びを分けたりして空腹を満たす。夫妻は日本茶ファンらしく、健康茶といってもルイボス茶には興味がないようだった。ザックを置いてバスターミナルに行った。とりあえず明日の13:20のバスに予約した。上高地インフォメーションセンターに立ち寄った。立派で、上高地の雰囲気を生かした素晴らしい建物。スタッフの感じも素晴らしい。私はもう15時半なので、小梨平あたりを散策しようと提案したら、「歩くのはほんのちょっとじゃないか」とブーイング。まだまだ歩く気満々だ。梓川右岸の上流を歩くことにする。道は木道があって整備されていた。岳沢湿原の池にはカモもいたが、大正池の方ほど子沢山ではなかった。そのうち、ジョゼエが岳沢登山道を登りたいと言い出した。すでに16時過ぎで、小屋まではとても行けないが、とりあえず登山道に入った。意外と急で、本格的登山道。私はこの道を一度下ってきたことがあるが大昔だ。鬱蒼とした樹林の中で、整備された遊歩道と違う雰囲気。シダが繁茂している様が独特だ。彼らは遊歩道とは違う趣を楽しんで、満足している様子。日本人と時間の感覚が違って、遅くなることを気にしていないというか、恐れていない感じがする。16:45、30分ほどで1700mを越え、稜線に出たので引き返すことにした。樹間に明神が見えている。稜線に雲が降りてきている。梓川右岸沿いの道に降りて歩いて行くと、先行していたペアーの女性が半べそをかきながら、サルがいると訴える。私が、「大丈夫ですよ」というと、ガイドさんですかといった。こちらはえっ、サル!!!と、3人とも顔を輝かせる。木立でサルの群れが餌を食べたり、草原を走ったりしていた。大きいのや、子ザルあがりのようなのもいる。そのうち、こちらの木道にやってきて、顔を見上げたり、木道を先にゾロゾロ歩いたりする。毛づくろいなどもして、慣れた感じ。餌をねだっているのだろう。もちろん、やらなかったが。一頭のサルが口に黒いものを加えている。休むたびに口から離して前に置くが、また加えて歩き出す。最初は木片か、カエルのミイラかなどかと思ったが、サイズ、形態的にサルのミイラに見えてきた。死んでしまった子供のミイラを母ザルが離さず持ち運ぶという話を聞いたことがあるが、まさかその姿を目のあたりにするとは思わなかった。死んだ子を想う母の哀れ也。最終的には10頭位のサルが登場した。ジョズエが喜んで写真を撮りまくっていた。山小屋に戻ったのは18時だった。それから西糸屋さんにお風呂を借りに行った。300円と安い。風呂場の窓から正面に穂高連峰が見えた。風呂から上がると、ジョズエが図書室にいた。立派な蔵書で、山と渓谷、岳人、JAC会報山などの最近の号もそろっていた。ジョズエが、ウエストンの『MOUNTAINEERING AND EXPLORATION IN THE JAPANESE ALPS』(日本アルプスの登山と探検)を発見した。初版は1896年(明治29年)出版だが、これは復刻版だった。その中に、六甲からの大阪湾の写真があり、私が先週行ったばかりで彼らにもほとんど同じ場所で撮った写真を見せたので、偶然に驚いた。山研に戻って、持参した豚の味噌煮を焼いて夕食を摂った。みそ汁とご飯は管理人のMさんにお願いしてあった。なめこと豆腐の味噌汁がおいしかった。9時にはバタンキューした。