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2020.08.10
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カテゴリ:カテゴリ未分類
2020年8月10日


(中ノ間山からの苗場山(右奥)と佐武流山(左ピーク)。南側のこの角度からの写真は珍しいと思う)

4:30ムジナ平避難小屋発ー5:10大黒ノ頭ー5:40上ノ倉山ー6:25忠次郎山ー7:04ハイロの井戸ー
7:28赤沢山ー8:28上ノ間山(休)ー10:28~50白砂山ー11:46猟師ノ頭ー12:16八間山分岐ー
12:23堂岩山ー12:46水場入口(休)ー14:16地蔵峠ー15:00野反湖


1時ころから目が覚めていたように思う。3時20分頃起床した。遅出の予定の東進隊のさよりさんと茂美さんも起きて、きびきびとお湯を沸かして準備をしてくれた。私はにゅう麺にお湯を注いで食べた。4:20頃、外に出て準備体操を5名全員でした。4:30、西進隊出発。頭上にはほぼ満ちた月。頭上に雲はなく、素晴らしい天気になった。



大黒ノ頭の登りに取り付く。背後の東の空は茜色に染まり、急速に明るくなっていった。5:05、大黒ノ頭の手前で陽が登った。世界はあっという間に創生の時を迎え、明るみに照らし出されていった。これから進む大黒ノ頭の先の上ノ倉山に至る尾根も、朝日を受けてやわらかく浮かび上がった。



5:10、大黒ノ頭。この隊としては珍しく標準タイムより短い時間で登れた。アヒージョ効果だろうか。眼下に小さく避難小屋が見えた。一休みする。



大国ノ頭を出発して間もなく、10:30、右手後方に苗場山が見えた。上ノ倉山まではほんの一登りだった。5:40、上ノ倉山通過(2108m)。忠次郎山に向かう。木立の深いところもあったが、概して展望の利く気持ちの良い尾根。



6:25、忠次郎山(2084m)。太い幹に道標が打ち付けてあった。木立の中で展望はない。白砂山方面から、ここまでは狩り払いが済んでいるのか、歩きやすくなった。



左側に山並みが、遠くまで重なり合って見えた。右前方に赤城山がピークを連ねていた。左、入道の頭のようなピークは皇海山のように思えたが、あかねさんは日光白根では言った。武尊が一塊に空に浮いていた。左は谷川連山だった。


7:04、「ハイロの井戸」と名付けられた水たまりがあった。ドブではなく、水が湧いているのだろうか。水がきれいなら水場になるのだが。



7:28、赤沢山(1982m)。展望がある尾根のようなところで、一休みする。残っていたフランスパンをかき集めた3片にカーマンベールチーズの余りをぺーストして分けた。予想以上に美味なり。正面に上ノ間山(かみのあいやま)が大きく見えてきた。中ノ間山の右には5個のピークがリズミカルに連なり、一番右のピークが一番高く、白砂山と思われた。左から2つ目にピークに人が立っているように見え、哲彦さんがあれは白砂山かと言ったが、人にしては大きすぎる。これは枯れ木の群れのようだった。



上ノ間山への登りはなかなか長い。振り返れば、歩いてきた道のりも長くなっていた。大きなピークは忠次郎山か。
8:28、上ノ間山山頂着(2034m)。休んで白砂山へ向けて態勢を整える。北西、右手にはクジラの背の苗場山が近い。さらにその左に、佐武流山が立派だ(扉写真)。苗場山から佐武流山へ縦走することはできるようだが、佐武流山から白砂山の間は密藪に覆われ、一般的には通行は難しいという。苗場山から白砂山まで歩こうと、提案していた仲間がいた。しげしげと白砂山から佐武流山へ向かう尾根にルートを探ってしまう。佐武流山の手前のピークの登り斜面が赤むけていて、そこが険しそうに見えた。



南には八ヶ岳、赤城、奥秩父などが見える。しかし、東は先ほどより霞がかかって、あまりよく見えなくなっていた。ここから4つピークを越えて、5つ目のピークの白砂山山頂へ進むことになる。



中ノ間山の下りは穏やかなものだった。前方に白く大きな山容が望め、草津白根山と思われた。



2つのピークの手前に立ち枯れた木立があった。どこか愛嬌があるオオカミが襲ってきそうに見えたり、ソッポを向いた竜がいたり。2つ目のピークの山頂部はやはり立ち枯れて骨のように白い幹を見せる木が多かった。



ピークs(複数)はそれなりに屹立し、道は巻くという発想がなかった。つまり、棒登りして、棒下り。「県境稜線トレイル」というネーミングにこだわっているのか、忠実に稜線をたどらせるという方針なのだろうか。折から日差しが強くなってきた。登りも下りも滑りそう。さよりさんが「二つ大変な登りと下りがある」と言っていたが、一つはこのあたりか。左の大きな尾根が猟師の尾根と思われた。白砂川本流が猟師沢に合流する少し手前に「猟師の悪場」と言われている場所がある。両岸が切り立った岩壁のゴルジュで、流れが怒涛となって白濁して渦巻いている。遡行の記録もあまりない場所らしい。10年前に私たちは「猟師の悪場」の手前で右岸に取り付いて猟師の尾根を乗っ越し、反対側の猟師の沢に降りて白砂川本流との合流点に下って戻ったのだった。



最後の白砂山のピークへの登りは今までの4つのピークに比べれば普通というか、おとなしいものだった。10:28、白砂山山頂着(2140m)。群馬県、長野県、新潟県の3県の県境に位置する。意外と狭いピークだった。三等三角点がある。遠望はあまりよくみえなくなっていたが、浅間が煙を吐いているのが薄く見えた。東に尾根が伸び、その先にこんもりと山が見える。まさか、あそこまで行くわけないよなと自分を慰めるが、後から考えるとこれが堂岩山で、ほぼこのピークを越えて下ったのだった。数名の登山者がいた。中年の女性の単独の方もいた。南・北アルプスと比べて女性の単独はまれで、この方だけだった。20分ほど休んで出発。



山頂からの下りはお花畑のようで目を楽しませてくれた。しかし、岩交じりで急なうえに狭い。折から登ってくる人が多い時間帯で時間を食った。ここからは一般道なのだなあと思う。紫の、私が以前から気にしている宇宙ステーションのような形の花もあった。マメ科の植物らしい。



ほぼ下りきって振り返ると、白砂山の下りはあれを下ったの?と思うような道だった。この下りは、さよりさんが、「二か所、大変な下りがある」といった場所の一つに間違えないだろう。



少し平らになった所に金沢レリーフという標識があった。しかし、レリーフは見当たらず、失われたものと思われた。



それからまたピークを越え、これが猟師の頭かと思ったが、その先にさらに本チャンの登りがあって、このてっぺんにたどりつくとそこが「猟師の頭」(猟師ノ沢ノ頭)(2042m)だった。11:46着。この時に東進隊に送ったメールがうまく送信できて、進行状況を知らせることができた。思ったほど遅れてはいない。それししても暑い!早々に山頂を辞す。



そこから堂岩山の登りになる。12:16、登りのかなリ上に八間山分岐があった。白砂山に登ってから八間山に回る人がいるだろうか。振り返ると先ほどまで晴れていた白砂山方面に雲が下りてきていた。その先、堂岩山のピーク(2051m)までは近かったが、山頂は木立の中ではっきりしないピーク(12:23)だった。中年男性が一人いた(後で水場で転んだ方か)。山頂に登ってから右へ、巻くように下る。



その先も実に長かった、というか、長く感じた。”白砂山さえ登ってしまえば、あとは下って行くだけで楽勝か”と思っていたが、これが間違った考えと思い知らされた。後で検討するとコースタイム的には白砂山で約3/5だった。途中で山馴れた方が後ろについてきて、あおられるように早くなった。「Nさん(さよりさん)のお友達ですか」と言われて驚いた。ガイドのTさんだった。ていねいな事前情報をくださった方だ。道の整備か、何かの仕事をして戻るところだったようだ。しばらく話ながら歩いたが、やがて先行されていった。12:46、水場入り口があった。東進隊から、「水場はすぐなので寄るとよいです」というメールが入っていた。哲彦さんは、”そんなことはない”と言わんばかりで、いやそうだったが、とりあえず水場に下って行った。これは「すぐ」という代物ではなかった。水場で順番を待っていると、水場から上がりかけておじさんが私にドスンと落ちてきて、あかねさんの方に転がった。この時の衝撃で、あかねさん愛用の黒い傘が壊れてしまったことに、後で気が付いたそうだ。登山道に戻って一息入れる。このあたりが野反湖展望台?見えなかったように思うが・・・。



14:16、地蔵峠。あかねさんが、「どこにも地蔵峠の文字の入った標識がない」といったが、私は以前ここから切明温泉に下ったことがあるので、場所に記憶があった。また、切明温泉に下りたいなあ。気が付かない人が多いと思うが、少し奥まったところにお地蔵様がいられたので、降りてきた単独女性をさそってお参りに行った。実際はお地蔵さまではなく薬師如来。前回は赤い前掛けをされていて、もっと立派に見えたが、年を取ってしまったように思えた。



14:30、北沢取水分岐通過。14:42、「C-51 」標識。道が広くなって、里が近い感じがする。



14:44、坂を下りきるとハンノキ沢にでた。水が左(南)から右(北)へ流れており、あれっと思った。野反湖から流れてきているのかと思ったが、私たちは分水嶺の北側にいて、ハンノ木沢は野反湖から北に流れる千沢注いでいたのだ。木橋を渡って進むと登りになっていた。流れが下ってきていたので、上りになるのは当然だが、ちょっとした登りがこたえることだった。私のカメラのバッテリーがあがってしまい、最後の野反湖を背景にした写真はあかねさんに撮ってもらった。
15:00、野反湖着(1520m)。PAに群馬県のスタッフが2名いて、記念のタオルの群馬ちゃんのハンカチをくれた。群馬ちゃんは今やクマモンを追い上げる人気のご当地キャラクター。今日、ムジナ平避難小屋に泊まって、ここに着いたのは私たちだけだったので、喜んでいるようだった。私が「素晴らしい小屋だった。箒とちり取りがあるとよいですね」というと、「明日、行くスタッフがいるのでそうします」と言っていた。あかねさんが、今日は2年前にトレイル視察のヘリが落ちた日ですねというと、承知しているというように悼む表情を見せた。
15:30 、茂美さんのハスラーに乗り込んで出発。野反湖から長野原草津口駅の国道まで28kmもあった。野反湖を出発して間もなく、ゲリラ豪雨のような雨にあい、哲彦さんは慎重に運転した。長野原草津口駅まで南下してから、東へ小野上温泉に向かうはずだったが、私の携帯のバッテリー切れでメールが見れず、小野子温泉と入力を間違えたせいもあってかナビがいささか迷走した。17時、小野上温泉さちの湯着。玄関で派手なアクションで喜ぶ女性が2名いた。私は茂美さんの車で帰京する予定だったが、彼女たちは13時頃についたとのことで、先に帰っていただいた。私たちは入浴後、食堂で食事をとった。電車の乗り継ぎが悪そうだったので、結局、哲彦さんにおねだりして高崎駅まで送っていもらうことにした。20時前に高崎駅にたどり着いた。哲彦さんは帰路、さすがにどこかで仮眠して、なんとかその日のうちに大町に戻ったということだった。

歩いた距離は2日間で20km程度なのだが、アップダウンがあって、いやはやお疲れさまでしたという感じになりました。記録も長くなってしまいました。読まれた方も飽きたかもしれません。お疲れさまでした。

村松氏作成の2日間のログを下記に示します。1日目と2日目の水場の位置がよくわかります。
1日目 平面距離7.6km、沿面距離7.8km、登り1051m、下り302m
2日目     13.3km、    13.7km、 1089m、  1468m
合計      20.9km、    21.5km、 2140m、  1770m


山ボケ猫のデータは次のようです。水場の往復でGPSを置いて行っていますので、記録に含まれませんが、累積標高差は山ボケ猫のエータの方で多く出ています。GPSでも若干の差は出るものです。
1日目 平面距離6.93km、沿面距離7.29km、登り1070m、下り354m
2日目     12.61km、    13.12km、 1155m、  1530m
合計      19.54km、    20.5km、 2255m、  1880m
2日目のログは次のようです。





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Last updated  2020.09.06 21:50:51
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