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2020.11.01
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(12:10頃、大普賢岳と小普賢岳を振り返って)

2020年11月1日

7:50 和佐又キャンプ場(1150m)発ー8:50朝日窟ー8:55 笙ノ窟ー9:36小普賢岳分岐ー10:35~55大普賢岳ー11:06 水太覗(みずふとのぞき)ー12:05 稚児泊(ちごどまり)ー12:35 七曜岳(1584m)ー13:43 行者還岳の北コルー14:08 行者還小屋ー15:35 一の垰ー16:04 出合ー16:28 弁天の森ー17:03 聖宝ノ宿跡ー18:10 弥山小屋(1883m)

奥駈道2日目は大峰山脈東の和佐又キャンプ場から大普賢岳に登り、行者還などを南下し、弥山に至る行程で、今回の行程の中で一番のロングコースだ。

朝6時前に洞川温泉一丸旅館に2台のタクシーが迎えに来た。洞川温泉には1台しかタクシーがいず、1台は吉野から出張してきたという。大峰山脈の下の和佐又トンネルを通るが、トンネルは工事中で、待ち時間は8分!大峰山脈の東側に出て、和佐又キャンプ場まで登ってもらう。2時間近くかかり、タクシー代は2台で30470円だった。吉野からの出張費5000円を含むようだ。



7:50、和佐又キャンプ場(1150m)を出発する。今日もよい天気だ。尾根に出て、軽く一休み。



8:50、朝日窟を通る。大きく張り出した岩の下の洞窟で、靡(なび)と思われる。



続いて8:55、笙ノ窟(1450m)を通る。靡62。笙ノ窟は内部面積が70平方メートルと規模が大きい。大峰山系に窟が多いが、その代表とされる。941年に道賢師が籠り中に息絶えたが、他界遍歴し菅原道真に会い、蘇生後、朝廷に醍醐天皇の託を奏上したという。平成元年に大峯千日回峰行者の柳沢真悟師が100日の窟籠りをしている。立札に、「笙ノ岩谷にこもりて 寂莫の苔の岩戸のしずけきに涙の雨の降らぬ日ぞ 日武道賢上人」とある。洞窟近くに来た小鳥にも飛び去らないでと思うほど寂しいものらしい。



笙ノ窟を過ぎるとハシゴが出てきた。



9:36、小普賢岳分岐に出た。左折して小普賢岳に登り始めるが、途中でこれは脇道と気が付いて分岐まで戻る。私はラストをのんびり歩いてていたのであまり登らなくて済んだ。小普賢岳はまぎらわしいことに2つあう。一つは大普賢岳の北の主稜線上にあり、もう一つが主稜線に出る手前の南側にあって、これに登りかかったのだ。本登山道である稜線は分岐からどっと下った先にあり、大普賢岳は左にそびえたつピークだったのだ。あれに登るの・・・。登りに差し掛かると、ハシゴの連続だった。これが一般道?ハシゴが本格的に始まる足元に花束がそなえられていた・・・。遭難?むべなるかなと思ってしまう。関西の登山道はこんななんの?



10:31、稜線に出た。10:35、ここを左に進むと大普賢岳の山頂(1780m)だった。先着メンバーが休んでいた。細長い山頂で、靡63があった。



晴れていると思ったが、八経ヶ岳の山頂部は厚い雲がかかっていて、はれそうもなかった。15分ほど休んで、10:55、出発。



11:06.水太覗(みずふとのぞき)という場所があった。谷あいに陽が差して優しい紅葉風景が楽しめた。なお、山頂から稚児泊までの間に「サツマコロビ」という急な下りや、「屏風の横駈」という岩壁のトラバースがあると書かれている本(『熊野、修験の道を往く』)があるが、特に私の記憶にはない。



11:28、東に大台ケ原の展望がある場所にでた。



11:45、木立の中で一休み。



11:53、標高が下がってきて、小普賢岳のピークが高く見えてきた。紅葉も盛りのゾーン。12:05、稚児泊(ちごどまり)靡60は日本庭園のようだった。



12:10から展望の良いところが続いた。大普賢岳から小普賢岳へ下る山稜が望め、大台ヶ原の台形がくっきりと見えた。



12:32、七曜岳の手前にちょっとした岩場や木橋が架けられているの所があった。



テープなどを気にしながら進むと、12:35、七曜岳(1584m)山頂(靡59)。展望が今いちなせいか、存在感のあまりない場所だった。



先を急ぐと紅葉の盛りの林に入った。



東に大台ケ原を前景にした紅葉の林を、午後の太陽が照らし出し、舞台装置か映画のスチール写真のようだった。で、あまりによい場所だったので、13:00頃、陽のさすゆるやかな登りの斜面で一息入れた。



13:34、遭難慰霊碑があった。



13:43、行者還(ぎょうじゃがえり)岳の北のコルに出た。元気な3人は登ってくると空身で登り始めた。私はM上さんらと3人で左へ巻き道を先を急ぐことにした。小普賢岳のとんがり頭が見えたが、小さくなった。



最初、下りすぎて、おかしいということで登り返した。山腹を巻いていく道は意外と長く、ここも紅葉が登山道を彩って、風情があった。途中、水場があった。「行者雫水」というらしい。



14:08、行者還小屋についた。とても立派でしっかりした大きい小屋なので驚いた。開けた尾根上で展望がよい。折があったら泊まりたいような小屋だ。五番関で下った女性陣が、大普賢岳に登らずに、ここに上がってくるルートもあるようだ。



私は足が遅いからと、一人で先行することにした。尾根の林の中の登山道で、池塘もあった。



素晴らしい林が続く気持ちの良い道で、ぶっ飛ばしていたか。1時間程度歩いたかもしれないが、後続の声が聞こえてこず、不安になる。電話をしようとザックを下ろしていると3名が追い付いてきた。しばらく待つと2名も到着し、6名が集結した。



ガスが出てきて展望がなくなる。15:35、一の垰。「一の多和」とも言い、「たわ」は窪んで低くなった鞍部を指す。避難小屋跡があったらしいが、気が付かなかった。もう痕跡もなかったのか。「上北山中学校バス停」という場違いな(?)道標があった。ここで、方法を南から西へ、90度、急角度に曲がる。その先は、また、元気な3名が先行した。出合までが長かったこと。一休み入れる。16:04、出合。行者還トンネルの脇から登ってくる道が奥駈道に合流する場所で、私は5年前にここから入った。自分が1日目に歩いた道はほんのさわりで、他の女性3名はスゴイ行程を歩いてきたのだということが分かった。



16:28、弁天の森(1600m)。



16:40、「弁天の森450m、聖宝の宿跡550m」の標識があった。16:45、雨が降ってきて、ゴアを着た。17:03、聖宝ノ宿跡。像は理源大師とのことだが、聖宝のことらしい。像に触れると雨が降るという。像の前を通る前から小雨が降っていた。ここを「講婆世宿(こうばせのしゅく)」ともいうらしく、靡55。ここから弥山の登りが始まる。胸突き八丁、または聖宝八丁と呼ばれ、難所とされているようだ。登りに差し掛かかってしばらくすると暗くなった。粘ったが、ヘッデンを出した。登りはなかなかしぶとかった。大普賢岳と、今日歩いてきた尾根が一望できる場所があったはずなので楽しみにしていた。しかし、すでにまっ暗で、それがどこだったのかも分からなかった。とりあえず参考までに2015年5月に撮った写真をお見せします。



大普賢岳からたどってきた尾根の様子が分かります。

18:10、弥山小屋に着いた(1883m)。弁天の森から300m近い登りだった。先行した3人は少し前についていたらしい。部屋は、左右に2段ベッドがあり、前回泊まった部屋と同じだった。左の下段には5,6人のパーティーがいて、もう休もうとしていた。弥山往復か、明日は下山するらしい。彼らは布団で休んでいたが、我らのスペースには布団はなかった。私たちは、「コロナ禍なのでシュラフを持ってくるように」との指示でシュラフを持参していたが、宿泊費は同額だったらしい。ちょっとバナナ。
すぐ食堂へ夕食をとりに行った。台所でスタッフの男性が一人で夕食の準備をしていた。5年前の方とは違うが、宿泊客に無関心な様子は以前の方と同様だった。夕食はカレーだった。修験者のいでたちをした男性が私たちより後から小屋に着き、ふつうの服に着替えて食堂に来た。スタッフと男性と馴れた様子で会話をしていた。修験者はやや丸顔、きりっとした太く濃い上がり眉をしていて、まさに修験者の顔をしていた。スタッフは、「奥さんが明日、迎えに来る」と言っていた。19:30に食堂を消灯するとのことで、部屋に戻った。20時過ぎに寝た。
なお、M上リーダーは山上ケ岳を含む尾根通しに歩いたこともあるが、洞川に下って和佐又から登り返す女性ルートの方が大変だとのことだった。

GPSデータによると平面距離14.43km、沿面距離15.19km、累積登り標高1942m、下り標高1258mm。最低点hは和佐又(1258m)、最高点は弥山小屋(1883m)で大普賢岳山頂より高い。







Last updated  2020.12.10 23:07:45
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