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2020.11.02
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2020年11月2日
6:50 弥山小屋発ー7:27八経ヶ岳(1915m)ー7:48明星ケ岳(1894m)ー8:49五鈷峰(1694m)ー9:43舟ノ垰(たわ)ー10:25~11:30 楊枝宿ー仏生ケ岳(1895m)分岐ー 13:03鳥の水ー13:23孔雀岳(1779m)ー14:00 両部分け(キレット)ー15:00 釈迦ケ岳(1800m)ー15:40深仙宿



前も弥山小屋から前鬼までの日は天候が悪く、雨のために出発を遅らせた。今回も天気予報が悪く、昼前後から雨が予想されていた。
5時に起床して6時に朝食をとる。宿泊者は他に10名程度だが、皆、下山し、深仙小屋方面に南下するパーティーはいなかった。昨夜、到着した修験者のいでたちの男性がいたが、この方も南には来なかった。



6:40 、小屋の外に出ると親子のシカが草を食んでいて、あまり人を恐れない様子だった。



6:50に弥山小屋出発(1883m)。雨は降っていないが曇天の重い空だった。皆、ゴアの上着を着る。八経ヶ岳へ樹林の中を下っていく。リーダーさんが、こんなに下ったかなと言って地図を出すほど標高を下げてから八経ヶ岳へ上り返した。



7:27、八経ケ岳(1915m)。靡51。弥山と同様にシラビソの枯れ木だらけで、空模様と相まって荒涼とした感じがする。山名は役行者が法華経八巻を埋納したことに由来するという。勿体ないことを。今回も山頂は霧の中だ。昨日も、大普賢岳の方からこちらを眺めると山頂部分は雲のカーテンが下りていた。M上さんがここはいつもこんな天気だという。



7:49、明星ヶ岳(1894m、別名弥山辻?)通過。禅師の森(1767m)と続くが、前回と同様、禅師の森はよくわからなかった。やや高齢の男性とすれ違った。登山者ではなく、地元の方と言う感じだった。「仏生ケ岳まで行きますか?道が悪いので気を付けて」と言った。しかし、仏生ケ岳までの道はその後の道と比べれば楽なものだった。また、この後、持経の宿まで、人と会わなかった。



折り重なっているであろう大峯の山並みはうっすらと下の方がうかがえる程度だった。前方に見えてきたピークは釈迦ヶ岳だろうか。



8:35前後、一休み。8:49、五鈷峰(1694m)の岩場の下りも順調に通過。前回は、この先で休んでいるときにNHK取材に遭遇し、スタッフやガイドが知り合いだったが、天候が悪かったせいか我らの登場シーンは放映されなかった。それがどの場所だったか、よくわからなかった。



総じて、5年前の奥駈は5月でふさふさと苔むす鬱蒼たる緑の森だった。しかし、今回は木立が落葉し、立ち枯れや倒木も多く、あっけらかんとした乾いた尾根道が多かった。季節によって随分と印象が違うものと驚かされる。異なった季節に歩けて2つの景色が見れて良かったことだった。9:30、東の空の雲があがって、大台ケ原の方(?)が見えた。9:43、(多分)舟の垰の靡46があった。9:56、楊枝宿まで0.7kmの標識があったが、弥山まで4.6km、釈迦ヶ岳5.0kmで、まだ釈迦ヶ岳までの方が長い。



一山超えて楊枝(ようじ)の森(1693m)があった。10:11、標識が、楊枝宿まで0.3km、弥山まで5.0km、釈迦ヶ岳4.3kmに逆転した。さらに一山越えると樹間にやっと楊子(ようじ)の宿がみえた。



10:25、楊枝宿着。小屋から少し下ったところに水場があったが水を汲むのに時間がかかり、休憩と合わせて約1時間を滞在することになった。今日の行程は時間的には短く、気は楽だ。なお、楊子の宿は奥駈の中で唯一、回向する場所で、峯中の生き物は亡くなるとここに帰ってきて霊が鎮まるとされる。木立の中で霊的な感じもする。熊野古道の大雲取越えにも同様な場所があった。



出発するころに小雨が降ってきてしまい、ゴアのズボンを履いた。この先は奥駈道の中の難路とされる。12:25、仏生ケ岳(1805m)への分岐があった。仏生ケ岳は八経ケ岳に次いで高く、ここからピストンすることになる。私は5年前に登っており、山頂は樹林の中の地味なピークなので、スキップすることを提唱してその通りになった。12:56、釈迦ヶ岳まで2.6kmとのこと。13:03、鳥の水という水場があり、細々と水が滴っていた。のどを潤す。5年前にこの先で北上してくる登山者に、この水が枯れていないか尋ねられた。渇水期に諮れるらしい。水があるのとないのでは死活問題のこともあり、流れていたと聞いてほっとしたようだった。



13:23、孔雀岳(1779m)は山頂近くまで登ってから巻いた。



14:00、両部分けの岩場に出る。ここはキレットで、避けた岩の間に降りて、左へ進む。両部分けとは曼陀羅の金剛界と胎蔵界に境と言う意味で、ここまでが金剛界、この先が胎蔵界の峰になるそうだ。おかしなことに、両部分けと仏生ケ岳分岐はもっと北にあるように記憶していた。



前方に岸壁が薄い壁状にそびえている。椽(てん)の鼻だ。これを左から巻く。その先に小さなピークがあり、空鉢岳という道標が立っていた。左側に尖った岩峰が2,3ピークうっすらと見え、一郎岩、二郎岩、三郎岩と思われた。



急な笹の斜面にとりついて尾根にでると、左に立派な岩峰があった。前回はここで一息いれたのだった。後で考えるとここで休むのはリーゾナブルと思われた、というのはその先が長かったからだ。しかし、天候は悪化傾向にあり、先行3人は先を急いで行ってしまった。後の二人とも少し離れたようで、私は一人で先を急いだ。ガスっていて、先の見通しがきかない。スケールの大きなピークに出たので釈迦ケ岳かと思うがはずれ。岩場が多いが雨に濡れていて慎重に通過。これでもか、これでもかと、ガスの中にご立派な岩峰現れる。杖捨てという場所があり、この先、登るのに手が必要という意味なのかもしれない。馬の背は4,5mと短いがやせ尾根だった。



ようやく、15:00に釈迦ケ岳(1800m)(靡40)についた。大きなお釈迦様に再会。強力岡田雅行氏が大正13年に一人で担ぎ上げたブロンズ像だ。前回と同様に真っ白で展望がない。雨風が強く、寒い!先行した3名は写真も撮らずに下ったのか、いなかった。カメラのバッテリーを交換して、後続のM上さんたちを待った。着いたので写真をと私が言ったが、昌代さんは、それどころではないというようにさっさと下って行ってしまった。M上さんが写真を撮ってくれた。



それから、とっとこ笹原の南側の斜面を下る。油断していて、右の古田の森の方に入りかかり、後のM上さんから「左」の声がかかる。左へ進むと水場があって幕営ができるようだ。途中、都津門(靡39)があった。岩場があったらしいが、危険になり今は岩場を巡る胎内潜りは行われていないという。眼下の広々とした鞍部に深仙小屋が見えた時はほっとした。
修験者が泊まって通夜をする灌頂堂(靡38)の前を通って深仙小屋に着く(1500m)。先着していた由美子さんとユカさんは水を汲んできてくれた。香積水は枯れていたようで、雨水を汲んだとのこと。小屋は5年前に覗いた時よりも居住性がアップしているようだった。3面の壁に沿った板敷は幅広くなり、ゆっくり休めそうだ。板敷の上には銀マットが敷かれていた。シュラフ1個と毛布が2,3枚あったので、私は1枚を使わせてもらった。小屋の中央に囲炉裏というか、焚火ができるようになっていたが、煙が出るので焚かなかった。後で室内が点灯されたので、ソーラーの室内灯が3,4個、壁に設置されているのに気が付いた。全身が濡れていて寒かった。女性陣はM上さんに後ろを向くように言って、それぞれに着替えた。私は寝袋に入って、着替えたが、上半身は着替えなかった。靴下はホテルで捨ててこようかと思った薄手のものだったが、濡れた靴下と代えるととてもあたたかかった。どんな薄いものでも、乾いたものに代えると楽になったので、何でも持ってくるべきだと思った。各自、食事をとった。私は弥山小屋の朝ごはんが食べきれなかったのでジプロックに入れてあったものにふりかけなどかけて食べた。赤飯のアルファ―米に、明日のためにを注いだ。20時頃には眠った。

なお、この日のGPSデータが見つかりませぬ。発見するか、メンバーからいただけましたらアップします。






Last updated  2020.12.15 13:30:58
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