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2021年9月26日
![]() 4月に2回秩父札所巡りをした後、夏で中断していた。秋になったので再開することにした。コロナ禍でリスクの高い山行を避け、体力を維持するという面からも、このような時期、札所巡りは格好と思われる。 再開第一弾は20番から25番まで、大野原からスタートし、影森まで歩く。4駅間を歩く長丁場だ。 ![]() 西武鉄道を8:51横瀬で降りて乗り換えると、8:57、秩父鉄道上り長瀞行に乗れて、大野原まで2駅、9:05に着いた。今日は私を含めて乙女ら6名が参加した。大野原駅を出発する。曇天で天気は今一。 もう5ケ月前になるのだが、昨日歩いたばかりのように鮮明な記憶のある車道を南に歩いてから右折して坂を下った。下ってから左に行くと4月に立ち寄った最後の19番の龍石寺があるが、今日はスルーして寄らずにまっすぐ歩いく。立派な旧秩父橋で荒川を渡る。旧秩父橋は1931年竣工のきれいな三連アーチ橋で、現在は遊歩道になっている。左下の川の中にさらに1代前の橋の橋脚の残骸が見えた。国道299号に出て、道標に従って左折して脇道に入る。 ![]() 道の左下の樹間に方形のお堂の屋根が見下ろせた。9:40、石段を下っていくと20番の岩之上堂があった。龍石寺と同様に、名の通り岩の上に立っている。渡し船しかない時代に、川から見上げて岩の上にあることから名づけられたという。寺は深い緑と苔の中。敷地は広くはないが、歴史を思わせる雰囲気で、立派な観音堂があった。白河院の勅によってたてられたが応仁のころから廃れ、一時は本尊が岩の上に雨ざらしになっていた時代があったという。今にも振り出しそうな曇天の薄暗さが、お堂に趣を与えているようだった。堂内に子供の成長を祈願した猿子の瓔珞(ようらく)という見事な飾りが吊るされていた。 ![]() 石段を登って、車道戻りり、のどかな田舎道を歩く。道端で栗などを買う。県道にでて南へ歩いていく。 ![]() 県道に面して21番観音寺があった。お地蔵さまがたくさん並んでいた。ただ、道路に面した市街地にあるせいか、やや存在感にかけるというか、アピール感が少ない感じがした。 ![]() 隣に農産物販売所があり、物見がてら立ち寄った。狭い店は客で混雑しており、コロナのご時世とは思えなかった。私はお饅頭を買った。 県道を進むと右に馬頭尊があり、江戸巡礼古道長尾根道はここから右に入る。とりあえず22番の童子堂をめざして道路を直進する。この道は明治巡礼古道になる。童子堂が1910年に移転したので巡礼古道が2本になったという。 ![]() 10:40、地蔵尊で左折すると、童子堂があった。畑の中にあって、素朴で牧歌的な感じがする。茅葺の仁王門の童子仁王像が漫画的で笑いを誘う。天然痘の流行を鎮めて子供を救った観音様を祀ることから童子堂とよぶそうだ。私はズボンのお尻が裂けていることを指摘されびっくり。トイレでテーピングテープを使って修復した。気が付かなかった・・・。無念じゃ。仁王門の壁に動物の爪痕が刻まれている。猫にしては鋭く、ハクビシンか、アライグマか。 ![]() 境内の木の脇にベンチがあって、一休みした。気持ちの安らぐ空間だ。我らは旅人、このような場所もすぐ立ち去らねばならないことが残念に思われた。 ![]() 県道に戻って、江戸巡礼古道長尾根道の入り口には戻らず、対側の山に登って行く。江戸巡礼古道長尾根道のほうが人が歩かず、鬱蒼とした山道らしい。 ![]() 車道を2度横切って登ると、正面の石段の向こうに23番音楽寺があった。天気が良ければ市内を望む高台という。巡礼古道は本堂の裏から入ってくるようだった。梵鐘は秩父事件(1768年)で困民党が打ち鳴らして決起を告げたという。歌手など音楽家がヒット祈願に訪れるそうで、歌手のポスタ―がかかっていた。功徳の有りや無しや。11:30、ついに雨が降り出したので、本堂の屋根の下にあるベンチでランチにした。頃よく雨が上がり、出発。 ![]() 音楽寺を出て、まっすぐ降りて県道を南下すると簡単に24番へ行けるが、我らはすぐ右折して山道を行く。これが謎解きのようなルートの入り口だった。すぐ梅園というか、広々とした公園に出た。ここを下って行く。道標がなくよくわからない。うっかり通り過ぎそうな梅園の駐車場の中に、和子さんが、道標を発見した。山道があり、これが古道長尾根道だ。へえ、こんな登山道のような道があるのだと喜びつつ下っていく。貯水池を過ぎ、うっそうとした林に中を進む。 ![]() 沢を橋で渡ると、まもなく、12:30、民家があって、その庭先としかいえないような道をすり抜けていく。 ![]() 車道に出て、すぐまた登山道に入る。曼殊沙華が道端を彩り、心安らぐ。 ![]() 念仏坂といってもおびえるような登りではない。念仏坂を登り上げるとT字路に出た。右か左か、どちらなのか?迷ったが山感で左に進むと、ビンゴで、集落に道標を発見した。 ![]() ここを右手に進む。よくわからないがまた車道を登り始めておかしいなあと思うと、24番の法泉寺の裏口があった。音楽寺から法泉寺の間は長かった。3.5km。 ![]() 13:20、法泉寺の裏口から境内に入る。寺墓が白山の神を勧請したのが始まりとのこと。観音堂は仁王門が組み込まれた珍しい造りとのこと。東屋でお饅頭を皆で食べた。ミレーさんはお土産に持ち帰った。1個なのだが。 ![]() 東屋の右に116段の石段があり、表口はここから登ってくる。我らは裏から入って楽ができたか。石段を下って、国道に出て右折する。ここからの道もなかなか複雑だった。 ![]() 15分ほど車道を登る。かっての料亭を思わせる作りの家があった。Y字路にでた。道路を左に進んでしばらく行き左折して登ると、ゆるやかに下っている。 ![]() ここは江戸巡礼古道久那道というらしい。車道から秩父盆地を見渡せた。ガスに煙る山村風景はなかなか風情があった。 ![]() 雨後の、濡れた花々が鮮やかで、湿り気を帯びた空気が優しい。このあたりは、以前は巡礼道は宝林院の裏を通って沢を渡り巡礼坂を登るようについていたそうだが、沢の両岸の崩落が激しく通行できなくなって人里を歩くようになったそうだ。崩落した沢道を歩きたかった。 ![]() うっかりすると通り過ぎそうな場所がまたあった。道路の右に支道が下っていて、五百沢を渡った。 ![]() 山裾の穏やかで平坦な人里を歩いていく。中学生が校庭で野球をしている。 ![]() と、15:00、車道の先に25番久昌寺の門が見えた。これをゆるく登ると、左手の高台に観音堂があった。 ![]() さらに上ると、右手に弁天池があり、その向こうに本堂があった。池端には、赤オレンジ色の曼珠沙華が土手に列をなして咲いていた。 ![]() 蓮の葉が池の水面を覆っている。花はとっくに盛りを過ぎているはずだが、2輪ほど気品高く咲いていた。これらが薄いガスの中に浮かぶ光景は幻想的で、あの世のようだった。 久昌寺から影森駅までは長い平坦な車道を歩き。柳大橋を渡って山に登っていき、国道140号を越えてようやく16時に影森駅にたどり着いた。16:41の電車に乗って、飯能駅で乗り換えて帰宅した。 久昌寺で蓮を撮ったのを最後に写真がない。蓮の花を撮ってから、今日撮る写真はすべて撮ってしまったと、気が抜けたような気分になったせいか、撮り飽きたということか。 今日はスマホを忘れてログは取れず、複雑なルートだったので、ちょっと残念だった。 まあ、雨模様が、古寺めぐりに風情を加えたことは確かだっただろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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