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飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

義経黄金伝説■第二章

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■義経黄金伝説 
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第二章 一一八六年(文治二年)鎌倉

■ 一 一一八六年(文治二年) 鎌倉・頼朝屋敷

 驟雨が鎌倉を覆っている。頼朝の屋敷の門前に僧衣の男が一人たっている。老人である。その老人を尋問する騎馬が二騎現れていた。二人は、この僧を物乞いかと考え、追い払おうとしている。
「どけどけ、乞食僧。ここをどこと心得る。鎌倉殿頼朝公の御屋敷なるぞ。貴様がごとき乞食僧の訪れる場所ではない、早々に立ち去れい」
 語気荒々しく、馬で跳ねとばさんばかりの勢いである。
「拙僧、頼朝公に用あって参上つかまつた」
「何を申す。己らごときに会われる、主上ではないわ。どかぬと切って捨てるぞ」
 ちょうど、頼朝の屋敷を訪れようとしていた大江広元が、騒ぎを聞き付けて様子を見に来る。
「いかがした。この騒ぎは何事ぞ」
広元が西行に気付く。
「これは、はて、お珍しい。西行法師殿ではござらぬか」
「おお、これは広元殿、お久しゅうござる。みども乞食僧と呼ばれおるか。何卒頼朝公にお引き合わせいただきたいのです」
「何と。天下の歌詠み西行殿とあれば、歌道に詳しい頼朝様、喜んでお会いくだされましょう」

 広元が武者に向かい言う。
「この方をどなたと心得る。京に、天下に有名な歌人、西行殿じゃ。さっさと開門いたせ」
 広元は西行の方を向かい、
「重々、先程の失礼お詫び申す。なにしろ草深き鎌倉ゆえ、西行殿のお名前など知らぬやつばら」
「拙僧は、頼朝殿に東大寺大仏殿再建の勧進のことお頼み申したき次第でございます」
「何を南都の…東大寺の…」
 広元の心の中に疑念が生じた。その波は広元の心の中で大きくなっていく。
「さよう、拙僧、東大寺勧進重源上人より依頼され、この鎌倉に馳せ参じました。何卒お許しいただきたく」

 頼朝と西行が体面している。横には広元が控えていた。
「西行殿、どうでござろう。この鎌倉の地で庵を営まれましては」
「いやいや、私は広元殿程の才もありませんでな」
「それは西行殿、私に対するざれ言でござりますかな」
「いえいえ、そうではございません」
「西行殿、わざわざこの頼朝が屋敷を訪れられたのは、歌舞音曲の事を話してくださるためではありますまい」

 西行の文学的素養は、絢爛たるものがあった。母方はあの世界史上稀に見る王朝文学の花を開かせた一条帝の女房である。西暦一千年の頃、一条天皇には「定子」「彰子」という女房がいたが、定子には「枕草子」を書いた清少納言が、また彰子には「源氏物語」を書いた紫式部などが仕えていて、お互いの文学的素養を誇っていた。

「さすがは頼朝殿、よくおわかりじゃ。後白河法皇様からの書状もっております」
 頼朝に書状をゆっくり渡す。頼朝は、それを読んだ。
「さて、この手紙にある義経が処置いかがいたしたものか。法皇様は手荒ことなきようにおっしゃっておられるが」
「義経殿のこと、頼朝様とのご兄弟の争いとなれば、朝廷・公家にかかわりなきことなれど、日々戦に明け暮れること、こ
れは常ではございますまい」
「それはそれ。このことは私にまかされたい。義経は我が弟なればこそ、命令に逆らいし者、許しがたいのです。……」
 頼朝は暗い表情をしたが、しばらくして、急に表情が変わった。
「西行殿、これから行かれようとしている平泉のことだが……」
 西行は、平泉のことを意を決してしゃべりはじまた。
「ようぞ聞いてくだされた。秀衡殿は、平泉に将兵を集めて住まわせることなどはしておりませぬ。よろしゅうございますか。奥州藤原氏の居館は、城ではございません。平泉の町には、軍事施設はないのでございます」
「では兵はどうするのじゃ」
「いざ戦いがあれば、平泉に駆けつけると聞き及びます。秀衡殿、頼朝殿に刃向かうつもりなどないのでございます」
 頼朝は、この西行と藤原氏の関係をむろん疑っている。聞ける情報はすべて聞き出そうと考えていた。広元も先刻、西行と会う前に、耳元で同じ旨を告げていた。この西行、果たして何を企む。頼朝は、頭をひねりながら、西行の話を聞く。平泉は城砦ではないというのか。まるで平泉全体が大きな寺ではないか、と頼朝は思った。
「初代清衡殿は中尊寺、二代基衡殿は毛越寺、三代秀衡殿は無量光院をお造りになったと聞いております」
「それでは、すべて寺院ばかりではないか」
「さようでございます。平泉は仏都でございます。中尊寺建立の供養には、こう書かれているのでございます。これは初代清衡公のお言葉。長い東北の戦乱で、多くの犠牲者が出た。とくに俘囚の中で死んだものが多い。失われた多くの命の霊を弔って、浄土へ導きたい。また、この伽藍は、この辺境の蕃地にあって、この地と住民を仏教文化によって浄化することである。こう書かれているのでございます」
 頼朝は、冷気を浴びせるような視線を、西行に浴びせている。
「西行殿は平泉がお気に入っておられるか」
 頼朝のその質問に、西行の頭の中に、あるイメージが浮かんでいた。平泉・束稲山の桜ある。
「私は花と月を愛しますがゆえに」

 頼朝屋敷はすでに夕刻を迎えている。
「西行殿、なぜ秀衡殿を庇いなされる。ただ東大寺がために勧進とはおもわれぬ。聞くところによれば、西行殿と、秀衡どのとは浅からぬ縁あると聞くが……」
 頼朝は矛先を、藤原氏と西行とのかかわりに向けてきた。この質問に、西行はいささか足元をすくわれる感じがした。この頼朝という男、さすがである。
「いや、それは単なる風聞でございましょう。私は唯の歌詠み。東大寺のために、沙金をいただきに秀衡様のところへ参るだけでございます」
「それならば、そういうことにしておきましょうか。で、西行殿」
 頼朝はかすかに冷笑した。その笑いの底に潜む恐ろしいものを感じ、わずかに言葉がかすれている。
「何か」
「西行殿は、昔は北面の武士。あの平清盛殿と同僚だったとも聞き及びます。なにとぞ、この頼朝に弓の奥義などお聞かせいただきたい」
「よろしゅうございます」
 話の矛先が急に変わったことに、西行は安堵した。頼朝は、これ以上、西行を追い込むことを避けたのだ。あまりに西行を追及すれば、この場所で西行を殺さねばなるまい。殺さずとも、閉じ込めねばなるまい。今、それは政治的には負の要素となろう。無論、広元もその案には賛成すまい。
 ここは少しばかり話を流しておくことだと頼朝は思う。
一方、西行は虎穴に入らずにはと考えたが、頼朝という男は虎以上に恐ろしかった。このことすぐさま、法皇様に書状をもって報告せねばなるまい。この男の扱い方は、義経殿のようにはまいらぬ、そう考えていた。頼朝は、西行がある程度、義経の行方を知っていると考えていた。

■二 一一八六年(文治二年) 鎌倉

 西行は、奥州藤原氏のことをしゃべり終わると、急に無口になった。頼朝は、話題を変えた。歌曲音舞、そして弓道のことなどである。頼朝は伊豆に住みながら、いつも京都のあのきらびやかな文化を、生活を恋い焦がれていた。武士という立場にありながら、京の文化を慈しみ愛していた。それゆえ、その京の文化に取り込まれることを恐れていた。
 義経は、京の文化、雰囲気という、得も知れぬものに取り込まれ、兄頼朝に逆らったのだった。同じように義経より先に都に入った義仲も、京都という毒に当てられて死んだ口だった。
 京都は桓武帝以来、霊的都市であった。藤原道長のときの安倍晴明を始祖とする土御門家が陰陽師として勢力を張っていつた。
 京のことを懐かしむ頼朝に、西行は佐藤家に伝わる弓馬の術などを詳しく述べていた。これを語る西行は、本当に楽しげであった。
    ◎
「これは、これは有り難きご教示、有り難うございました。もう夜も白んで参りました。
 鎌倉の酉が鬨の声を告げていた。二人は一晩中語り合ったのであった。
 西行はわれにかえっている。まだ鎌倉にいて、頼朝の前なのだ。
「西行殿、この鎌倉にお止まりいただけぬか」
 唐突な頼朝の提案であった。
「いや、無論、平泉から帰られた後でよい」
 と頼朝は付け加えた。
「それはありがたいお考えですが」
 西行は考える。黄金をこの地鎌倉に留め置くつもりか。加えて西行をこの鎌倉に留めおき、平泉の動き、京都の動きを探ろうとする訳か。
「いやはや、これは無理なお願いごとでございましたな。それではどうぞ、これをお受取ください。これは旅の邪魔になるやもしれませんが…」
 頼朝が手にしたのは、黄金の猫である。
「ほほう、これを私めに、それとも奥州藤原家に…」
「いや、西行殿でございます」
「私はまた猫のようにおとなしくなれという意味かと思いました」
「いや、旅の安全を願ってのこと。他意はござらぬ」

■三 一一八六年(文治二年) 鎌倉

 一一八六年(文治二年)、草深き坂東鎌倉に三人の男が対峙している。
 東国で武家の天下を草創しようとする男。頼朝。
その傍らにて、京都王権にては受け入れられず、坂東にて「この国の形」を変えようとする土師氏(はじし)の末裔。大江広元。
 対するに、京都王権の交渉家、貴族政治手法である「しきしまみち」敷島道=歌道の頂点に立つ。西行。ここにひとつの伝説が作られようとしていた。

 頼朝にとって、西行は打ち倒すべき京都の象徴であった。京都から忌み嫌われる地域で、忌み嫌われる職業、武家。
 いたぶるべき京都。京都貴族王権の象徴物・大仏の勧進のために来た男・武士「武芸道」からはじきでた、貴族の象徴武器である歌道「しきしまみち」に乗り換えた男。結縁衆なる職業の狭間にいる人間とつながりのある男。さらには、奥州藤原氏とえにしもある。坂東王国を繰り上げようとした、平将門を倒した俵俵太の末裔。この坂東にも、そして、義経を育て平泉に送りこんだ男。対手である。

その男がなぜ、わざわざ敵地に乗りこんだか。その疑問が頼朝の心に暗雲を懸ける。

 西行にとってこの頼朝との邂逅は、今までの人生の総決算にあたるかも知れぬ。その長き人生において最終作品になるものかも知れなかった。心に揺らぎが起こっていた。

 その瞬間、重源と歩んだ高野山の荒行の光景が蘇ってきた。山間の厳しい谷間、千尋の谷、一瞬だが、谷を行き渡る道が浮かぶ。目の前にあるその道をたどる以外にあるまい。

「西行どの、こちらへ。」
 大江広元が頼朝屋敷の裏庭に案内される。矢懸場が設けられている。
武家の棟梁頼朝は、毎日犬追物をたしなんでいる。的と砂道が矢来をさえぎられ続いている。
「さっさ、こちらへ」
 促されるまま、西行は裏庭物見小屋へいざなわれる。
 遠くに見える人馬が、的を次々と射ぬきながら、こちらへ走ってきた、頼朝である。
「いざ、西行殿の弓矢の極意を昨晩お伺いし、腕前の程をお見せしたかったのです」
「大殿は、毎日武芸にたしなみを、」
「西行殿は、我が坂東の武芸の祭りをご存知でしょうな」

 坂東のしきたりが、京都の弓矢道と結びついているのが、西行には理解できた。京都人でありながら、武芸は坂東と、頼朝は言っているのだ。
 馬をもといた場所にとって返し、再び、馬を駆けさせ、用意された的をすべて、射抜いている。
 坂東の武芸の祭りとは、坂東足利の庄にある御矢山(みさやま)で行われる八幡神を祭る坂東最大の祭事である。いわば武家の武芸総祭である

「西行殿、奥州平泉からお帰りにこの祭りに参加いただきたいのです」
 馬上から、息をつきつつ、頼朝が叫んでいる。返事は無用という訳だ。答えようとする西行の前から姿を消し、再び馬首を元の方へ。
 西行は義経を助けなければ。しかし、藤原氏の黄金が、果たして役に立つのか。秋風の吹きはじめた鎌倉で、西行は冷や汗がでてきている。

 三度、的をすべて打ち矢って、頼朝は馬上から叫ぶ。
「さらに、西行殿、義経のおもいもの、静の生まれし子供の事聞きたいのではござろうか?。和子は男子がゆえに不敏だが、稲村ヶ崎に投げ捨てましたぞ」
 と言い捨てている。後ろ姿に笑いが感じられる。

 頼朝は、西行の策を、封じようとした。
 西行は動揺を表情に出さず。が、考えている。かたわらにいる大江広元を見た。
(広元殿、政子殿がいるなかば、わづかばかりの希望あろう。また、そうか、あるいは、静の母磯の禅師が糸を引いているかも知れぬ。わずかだが、希望の光はある。極楽浄土曼陀羅、あの平泉におあわす方が。早く合いたい、さすれば、この身、西行法師の体は、まだ滅ぼすわけにはいかない、平泉を陰都となし、この世の極楽を、さらには、しきしま道にて日本を守れねばならぬ)
 頼朝は四度目もすべて撃ち終え、今度はゆっくりと馬を歩ませてきた。
「西行殿、御家、佐藤家は、紀州にその領地がありと聞きます。弟君の、佐藤仲清殿。高野山と争い絶えずときく。誠でしょうか」
馬上の頼朝は、しばし、西行の回答を待っていた。
「その佐藤家御領地を、この頼朝の元に預けられぬか。さすれば、高野山との争いは解決して見せようぞ」
 佐藤家は、高野山山領地、荒川荘の領地におしいっている。西行のなりわいはこの弟の家からでている。いわば佐藤家の家作からから活動資金がでている。紀伊の国、那賀郡、田仲庄は紀ノ川北岸にあり、摂関家徳大寺の知行である。佐藤家はこの徳大寺の家人である。今では平家の威光を背景にしてきたのだ。
 その根っこを、頼朝は押さえよとしているのだ。
「どうでありましょうな、西行殿、この申し出は」
(絡め手か。やはり、頼朝殿は、この西行と義経殿の関係を気づいているか。京都でもその知るは、わずかだが、、)
 大江広元が、秀才顔でしらぢらと西行をにらんでいる。
 大江は、水を得た魚。京都から呼びだされ、この鎌倉に根付いた時、歴史は変わった。日本最優秀頭脳集団・大江家。元は韓国から来た血筋。
 この関東坂東で同じ韓国の主筋武家の平家と結びついた。
「すべてのご返事は、平泉からの帰途におこないましょうぞ」
 西行は、頼朝の前から去ろうとした。
「まて、西行殿」
 大江が呼びとめようとするが、
「よい、広元、勝負は、後じゃ」
 頼朝が止めた。
「はっつ」
 頼朝が打ち据えた的が割れていた。的の裏側には、平泉を意味する曼荼羅が描かれているのだ。武家の棟梁頼朝が、打ち破るべき国だ。そして黄金もまた、、

 そして、西行は、まだ、最大のライバル文覚とは、対峙していない。

■四 一一八六年(文治二年) 鎌倉

 頼朝屋敷を出た、西行の背後から声が掛かる。西行は後方を振り向く。
「西行、ここで何をしておるのじゃ」
(聞いたことのある声だが…、やはり、)
 頼朝の荒法師にして政治顧問、文覚(もんがく)が、後ろに立っている。後ろに弟子である、すずやかな眼差しをした小僧をはべらしている。
「おお、これは文覚殿。先刻まで、大殿(頼朝)様と話をしておったのじゃ」
「話じゃと、何かよからぬ企みではあるまいな」
 文覚は最初から喧嘩腰である。
 文覚は生理的に西行が嫌いだった。
 西行は院をはじめ、貴族の方々とも繋がりを持ち、いわば京都の利益を代表して動いているに違いない。その西行がここにいるとすれば、目的は怪しまなければならない。
「西行、何を後白河法皇から入れ知恵された」
 直截に聞いている。元は、後白河法皇様から命令され、伊豆の頼朝に旗をあげさせた文覚であったが、今はすっかり頼朝側についている。それゆえ、この時期に、この鎌倉を訪れた西行のうさん臭さが気になったのだ。
「さあ、さあ、もし、大殿に危害を加えようとするならば、この文覚が許さぬぞ」
 西行も、この文覚の怒気に圧倒されている。

 文覚は二〇年ほど前を思い起こした。
一一六六年京都。
「西行め、ふらふらと歌の道「しきしまみち」などに入りよって、あいつは何奴じゃ」
 文覚は心の底から怒っていた。文覚は怒りの人であり、直情の人である。思うことは直ぐ行い、気に入らぬことは気に入らぬと言う。それゆえ、同じ北面の武士のころから、そりが合わないでいた。

西行が、佐藤義清という武士であったは、鳥羽院(とばいん)の北面の武士。院の親衛隊である。西行は、いわば古代豪族から続く政治エリートであり、それがさっさと出家し、歌の道「しきしまみち」に入った。それも政治家など上級者に、出入り自由の聖である。

 いわば、北面の武士よりも自由を得、知己も増えたのである。それが故、文覚の気に入らなかった。
 文覚の罵詈雑言は、京都になり響いていた。やがて、後白河法王に対する悪言が、後白河の耳に入って来たのである。
「私のことを悪し様にいう、文覚とか申す僧主おるそうな」
「これは法皇様のお耳を汚しましたか。厳重に叱り付けましょう」
「よいよい、その文覚という男に、朕も会ってみたいのじゃ」
「これは、法皇様も物好きな」
 やがて、文覚が、法皇の前に呼ばれて来る。 法皇に対して正々堂々と政治の有り様を述べる文覚は、流石である。一応しゃべり終えたと思われる文覚に、後白河は思いも付かぬ言葉を告げた。
「どうじゃ、お主、面白い男じゃ。いいか、伊豆へ行ってみぬか」
「伊豆ですと」意外な言葉に言葉もない。
「そうじゃ、伊豆じゃ」
「何を申される。このおり、私を罪に落とされるつもりか」
「いや、そうではない。良く聞け。源氏の頼朝が伊豆に流されておる。その男に会って欲しいのじゃ」

 文覚は頼朝を説得していた。一一八〇年永暦元年、今から六年前のことである。
 文覚は、頼朝を前に懐の袋から、古びた頭蓋骨を取り出していた。
「頼朝殿、この髑髏、どなたの髑髏と思われる」
 このとき、すでに文覚の幻術中に、頼朝は入っている。
 無論、そんなはずはない。それゆえ、常人の常識は通じない。文覚の声が、遠くから聞こえて来るようであった。
「亡き父君の骨ぞ」
 といい、文覚は涙を流した。
「見られよ。平清盛のために殺された父義朝殿の成れの果てじゃ。何も思われぬか。お主は義朝殿の子供ぞ。お前に今源氏の氏長者は、お主じゃ。頼朝殿、この平家の中でお主が、今立ち上がらなければ、誰が立つというのじゃ。父君、また源氏の恨み、このおり晴らすべきではないか。それが「人の道ぞ」。
文覚は大きな声で、一気にしゃべり終えた。頼朝の質問の暇など与えはしない。頼朝も、もう文覚の言語の勢いに飲まれるようだった。
 本来ならば、判断力の鋭い頼朝であったが、このおりは熱病に取りつかれたようであった。
「よし、余が源氏の旗をあげるのじゃ」
サイは投げられていた。が、本当の振り手は、京都にいた。後白河法皇である。

■五 一一八六年(文治二年) 鎌倉

 西行は文覚に言う。
「文覚殿、西行はこの世を平和にしょうとおもうのだ」
「平和だと、うろんくさいこと言うな。おぬしの口からそんな言葉がでようとは」
「では、この国の形を変えると、申しあげればどうだ」
「くっつ」
 文覚は苦笑いしている。
 その笑いは同じく、文覚もまた国を変えようとされているからである。
「何年たっても,私の考えがおわかりにならぬか」
「わかりたくもない」
「で、源頼朝殿から頼まれて奥州の藤原秀衡殿を呪殺されようというわけか」
「主は何を企む。平泉と何を企む。まさか、」
文覚はある考えを思う。
「主は崇徳上皇にも取り入り、弟の後白河法皇に取り入り、また平泉にも取り入るつもりか」
 崇徳は三〇年前、一一五六年保元元年、弟の後白河法皇に敗れてる。保元の乱である。この後、四国に流されている。
「文覚どの、鎌倉には法皇の命令で、今は鎌倉の味方か」
「だまれ、西行、貴様こそ、由緒正しい武士でありながら、しきしまみち」を使うとは、武家である先祖に対して申し開きできるか」
「文覚どの、その言葉そのまま返そう。お主も武士でありながら呪殺を江ノ島祈願いたしておろう」
「うぬ。敵、味方はっきりしたならば、お主を平泉に行かせまい」
「よろしいのか。大殿の命は」
確かに頼朝の命令は、西行を平泉に行かせよである。
「しかたがない。ここで雌雄を、」
 二人はにらみ合っている。恐るべき意識の流れがそこに生じていた。
「御師匠様、おやめ下され」
 かたわらにいる子供が言った。
 子供ながら恐るべき存在感がある。その顔は夢みる眦に特徴がある。
「おおう、夢見か。わかった。この西行殿が顔を覚えておけ」
「西行様、夢見でございます。京都神護寺からまいりました。師匠さまの事よろしくお願いいたします」
 夢見、後の明恵である。法然と宗教上で戦うこととなる。そして日本の運命、精神革命を行うことになるのだが、
 二人の背後に、集団が近かづきつつあった。
「くそ、西行、味方が増えたらしいな。集団で動くか。お主も、勝負はいずれじゃ,その時をまちおれ」
「生きて合えればな」
 西行も悪態をつく。

 二人は双方向にわかれた。
「西行様、ご無事で」
 いつのまにか、東大寺闇法師十蔵が控えている。が、笑いをこらえている風情である。
「おお、十蔵殿、あいすまぬ。」
 汗をかいている。
「ふふ、ワシとしたことが、つい歳を忘れてしまう。あやつにあうと」
にが笑をしている。
「文覚殿とは、お知り合いでございますか」
「古い付き合いよ。北面の武士以来だ。」
 西行は、出現した廻りの集団が気に成っている。
「結縁衆の方々、お助けのしだいありがとうござる。何でもござらぬ。もう終わり申したぞ」
 十蔵の言葉に、近くの樹木の影にいた多くの人の気がすべて消えていた。    西行はにがりきった笑いをする。
「鬼一法眼殿の手下か」
 先の手勢は、方眼が京都から連絡した結縁衆であろう。密かに西行を守っている。鬼一が、友人の西行のために護衛集としてつけたのだ。
 十蔵は、西行にも、文覚との先刻のような面があるかと思い微笑んでいる。この有名なる京都「しきしきみち」の漢(おとこ)西行に子供のけんかのような、、
「あの童の方が気にかかります。なにやら恐ろしげな、、」
 十蔵はつぶやいている。

 西行は生涯を通じて、交渉者たらんと欲した。佐藤家という彼の出自が大きくものをいっていた。時代は西行のような斡斡旋者を強く要求していた。保元の乱から始まる源平合戦は、古代より続いた貴族社会に住む人々にとって、青天の霹靂であった。仏教でいう末法がと思われた。
 武士という自分たちのルールに従わない人種が出現し、あれよあれよという間に政治の仕組みに食い込んで来た。そして、土台ごと乗っ取られていることに気がついたのである。
 古から貴族たちは、血が流れるのを嫌った。自分の勢力拡大のために、流れる血は気にしなかったのだが。今の血の流れている戦いは別種であった。古の壬申の乱以来である。
 西行は源氏にも平家にも顔が効いた。まして、相国(しょうこく)平清盛入道とは、北面の武士のおり、同役であった。

 また征夷大将軍坂之上田村麿ゆかりの、京都神護寺(じんごじ)の文覚とも同役であり、顔見知りであった。平家往時のおり、西行の庵は六波羅のすぐ側にあった。

 六波羅は鴨川の東岸にあたり、鳥辺野の真ん中に位置する。平家政治集落の様相を呈していたのである。また、六波羅は清水寺への参道に位置していた。
 京の動きは、街道の人の行き来から判断することができた。

 西行に、上皇をはじめ、院、貴族層が気を許したのは、その歌の作詞能力(しきしまみち)であった。古代からの歌の伝統を踏まえ、美しい歌をつくることができる西行は、貴族たちと同じ人種であることを意味した。西行は、平家、源氏、貴族、そして寺社勢力、両方面に顔が効き、出入りができたのである。
 源平の争乱のとき、西行は伊勢の草庵に隠遁していた。そして、西行、最後の賭けの時が六十九才のおりに訪れて来た。

西行の動き、あるいは言葉の一つで、この微妙なバランスで保たれている。日本の政治状況が変わるかも知れなかった。
 西行は変えようとした。
 彼は政党を持たない一個の政治家であり、思想家であった。

■六 一一八六年(文治二年)十月 鎌倉

 薄ら寒い十月の鎌倉の朝もやの中で、西行が先の情景を思い出している。
「十蔵どの。頼朝殿は、流鏑馬に熟達し、当代第一の弓持ちと言われたこの西行の前で、弓矢の技を見せられたのだ」
 東大寺闇法師十蔵が返した。
「それは何をお考えなのでしょうや」
「頼朝殿、平泉を攻めるつもりであろう」
「えっつ、やはり」
 十蔵は西行を見た。
 が西行はすでに自分の殻に入り考えにふけっている。
(不思議な方じゃ)
 十蔵は、最初の出合いを思い出していた。
  ◎
 西行は、しばらく前から後からつけて来る僧衣の男に気付いて身構えて、足取りが早くなる。元は、北面の武士である。
 十蔵は、住処伊勢の草庵から着けていた、そろそろ自ら自分の存在を知らしめた方がよいと考えている。この西行の、ただならぬ武闘の力を見抜いていた。それゆえ、自分の身を西行が気付くようにあらわしている。
「西行様、私はお味方」
 十蔵はつぶやく。
「自己紹介いたします。私は十蔵、重源様が遣わされた闇法師にございます。西行様をお守り申します。西行様、どうぞお気を付けなされませ。鎌倉殿が、やすやすと東大寺への沙金を動かすことなき気あれば」
「鎌倉殿が沙金を盗むので、それを防げとな。重源殿の指は、それだけだったかのう」
 西行は十蔵をじっと見る。
「と申しますと」
 十蔵は少したじろいでいる。
「例えばじゃ、私が裏切って、平泉にて平和極楽郷を作るなら、この西行を殺めよとか、な」
 西行は、初手から恐ろしい言葉を放っている。
 西行の答え方いかんでは、十蔵はこの場で、西行と戦わねばなせない。十蔵の背後には、巨大な「東大寺」勢力が控えている。
「さすれば、西行様は、もう。京都に帰られぬおつもりか」
「ことと次第によっては。わしは、平泉の桜がすきなのじゃよ」
 西行は、遠くを見、一瞬、思いにふけっていた。十蔵はそんな西行を、不思議な顔をして眺めた。いったいこの法師様は何を考えてござるのか。十蔵には想像もつかない。今まであったことのない別種の人間だった。
   ◎

■七 一一八六年(文治二年)十月 鎌倉 文覚屋敷。

「くそ、いらぬじゃまが、はいりおったわ。夢見よ」
 文覚が同意を求め、弟子の夢見、後の明恵は答えた。
「西行様の背後には、あるやんごとなき方への想いが見えます」
「和歌に対する想いか」
「いえ、そうではございません。人で御座います」。
「女か」
「いえ、ある男の方への想いで御座います」
「では、まさか、あ、の方にか、」
 文覚は、西行の想いの対象が、待賢門院へかと思った。
が,夢見は違うという。待賢門院の兄は徳大寺実能、西行は藤原家徳大寺実能の家人であった。待賢門院は崇徳上皇の母である。が、その西行の想いの先は、誰なのか?

 夢見は感受性が強い、それゆえに、その人間の過去もうっすらと読み取る事ができる。夢見のよく見る夢は恐ろしい。きり刻まれた体の夢だ。夢見の父は,「頼朝」決起の戦いでなくなっている。母は紀州豪族湯浅氏の出身であった。

 この時期の紀州は、熊野詣で大繁盛している。
 紀州熊野は、仏教に日本在来の民間密教が結びつき、一大新興宗教センターとして機能している。密教秘儀を身につけて貴族の保護を受けるモノが、京都の政治を左右できる。桓武帝降、宗教各派は、政治闘争を繰り返している。摂関政治に関与できた宗派が権威を持ち荘園を所有できる。仏教各教団は、経済組織集団でもあり、一般民衆もその権威に頼ろうとした。
夢見の夢想の中に西行が現れている。


■八 一一八六年(文治二年)十月 京都

 関白、九条兼実の屋敷に僧がいる。
「兄上、どうでござりますか。後白河法皇様は」
 精悍な僧服の男が言った。
「何にも、お上は麿のことなどかもうてくれはりません。あのお方は、先の関白の事しか考えておりはらしません。わかってはりますやろ。藤原基道さんのことや」
「そうでございますか。しかしながら、兄上もその関白につけたのは、頼朝様のおかげ。」
「ふふ、慈円殿、そういうこと言わんといて。麿の身がかなしゅうなりますな」
 関白、藤原九条兼実は悲しげな顔を向ける。
「で、慈円殿、西行殿から頼まれた、あのお仕事はお進みか」
「そうですな。ゆるゆると進んで居ります」
 慈円は後年、「武者(むさ)の世は」という歴史書「愚管抄」(ぐかんしょう)を書く事になる。比叡山最高責任者天台座主(てんだいざす)にもなる、西行より三八歳年下の友人である。
「西行様には、重源様のお手のかたが、ついておりはるから、まあ。あのお仕事のほうは無難にこなしはるな」
関白、九条兼実は、悲しげな目で比叡山を眺めている。

■九 一一八六年(文治二年)十月 鎌倉 大江屋敷。

 鎌倉の大江屋敷では、静の母である磯禅師と、大江広元が密談していた。大 江は西行との話の後、磯禅師を呼びつけている。
「ここは腹を割っての相談じゃ。二人だけで話をしたい」
 怜悧な表情をした広元は、ゆっくりとしゃべる。
「これはこれは、何事でございましょう。頼朝様の懐刀といわれます広元様が、この白拍子風情の禅師にお尋ねとは?」
 磯禅師は身構えている。広元は京都の貧乏貴族、昇殿できない低格の貴族だった。それが、この鎌倉では確固たる権力を手にしている。侮れぬこの男と禅師は思う。
「あの静殿、本当はお前の娘ではあるまい」
 磯禅師の返事は少し時間がかかる。やがて、答えた。
「さすがでございますね。広元様、確かにあの娘は手に入れたもの」
「禅師殿、赤禿を覚えておられるか」
 急に、広元は京都の事を問い始める。
 磯禅師の頭には、赤禿の集団が京都を練り歩く姿が思い起こされた。
「何をおっしゃいますやら、平清盛殿が京都に放たれた童の探索方、平家の悪口を言う方々を捕まえたというは、広元もご存じでございましょう」
 禅師は、続いて白拍子が清水坂にたむろしている姿も思い出していた。
「いや、まだ話は続くのじゃ。この赤禿以外に、六波羅から清水寺にいたる坂におった白拍子が、公家、武士よりの悪口を収集していたと聞く。その白拍子を束ねていた女性(にょしょう)があると聞く」
「それが私だとおっしゃるのですか」
「いやいや、これは風聞じゃ」
「……」
 磯禅師は黙った。次に来る言葉が怖かった。

 尼僧が禿(かむろ)を呼び止めている。京都、六波羅の近くである。
「どうや、あの方、佐藤様のこと、何かわかったか」
「あい、禅師様。残念ながら、も一つ情報がつかめまへん」
「ええい、何か、何か、手づるは、ないのかいな」
「へえ、でも禅師様…」
 禿は、いいかけて言葉を止めた。自分の想像を禅師に告げたならば…。仕返しが恐ろしかった。禿の思いには、何故そのように西行様の情報を…、何か特別な思い入れがおありになられるのか…、答えはわかっているようであった。つまりは嫉妬である。
 西行が皇室の方々に恋をし、またその皇女の方も、西行を憎からず思っていることを…。どうしても邪魔をしなければならなかった。

 磯禅師の顔色は変わっていた。
が、しかし、次の広元の言葉は禅師の予想とは違った。
「が、安心せよ。本当に聞きたいのは西行殿のことじゃ」
「え、西行様のことですか」
 磯禅師はほっとした。平家のために行っていた諜報活動を責めるのか。いや そうではない。私はお前の過去のすべてを知っているぞという威しであろう。ともかく、安堵の心が広がっている。そこは同じ京都人である。
「そうじゃ。今日、西行殿が頼朝様の前に現れた。西行殿は東大寺重源上人より頼まれて、奥州藤原氏、平泉へ行くと言う。目的は東大寺勧進じゃ」
「確か、西行様は、七十才にはなられるはず。西行様と重源様とは、高野山の庵生活の頃から、お知り合いとか聞いております」
「そうじゃ、が、その高齢の西行殿は、よりにもよってこの時期に、平泉へ行くというは何かひっかかるのじゃ」
「それで、何をこの私にお尋ねになりたいのですか」
「まずは、平清盛と西行殿の繋がりじゃ」
「確か、北面の武士であられたときに知己であったとか、また文覚様とも知己であったと聞いております」
「あの文覚どのと、重源どのは京都で勧進僧の両巨頭だ。清盛がこと。西行庵と六波羅とは指呼の間、六波羅へは足しげくなかったか」
「特にそれは聞いておりませぬ」
 広元は、しばし考えていた。
 やがて、広元の声が、磯禅師の耳に響く。
「聞きたいのは西行とは奥州との繋がりだ。私も京都にいたとき聞いておるが、あの平泉第の吉次じゃ。あやつが数多くの公家に、黄金や財物を撒き散らしておるのは聞いておる。そこで、吉次と西行との関連だ」

 金売り吉次は、奥州藤原秀衡の家来であり京都七条にある平泉第(首途(かどで)八幡宮のあたり)の代表である。平泉第は京都の一条より北にあり、広大な屋敷を構えている。いわば異国の大使館である。
 吉次の率いるの荷駄隊は、京都にて黄金を、京都在住に多くの貴族に贈り物として差し出していた。

「そういえば、平泉第は一条より北にありましたが…」
「西行は平泉第へは通っておらなんだか」
「ともかくも西行様、平泉の秀衡様とも確か知己であったはず。そうなれば、京都での西行様の良き暮らしぶりも納得がいきます」
「さらにじゃ、西行は西国をくまなく訪ねている。これは後白河法皇様の指示ではなかったかじゃ」
「そこまでは私には断言できませぬ」
「それもそうじゃな」
「広元様は、西行殿をお疑いですか」
「この時期に平泉に行くのが、どうもげせんのじゃ」

 西行殿…、なつかしい名前を聞いた。思わず磯禅師の顔は紅潮している。広元に気付かれなかったろうか。
 京都・神泉苑でのことを、磯禅師は思い出している。

多くの白拍子が踊っている。観客は多数である。その中に一際目立つ、りりしい武者がいた。磯禅師は、近くの知り合いの白拍子に尋ねる。
「あの方はどなたじゃ」
聞かれた白拍子が答えた。
「ああ、あの方は佐藤義清様よ。このお近くにお住まいの佐藤家のご長男よ」
 磯禅師は佐藤義清の方を見やって、溜め息をつくように思わずつぶやく。
「佐藤義清様か」
 その白拍子が、微かに笑って言う。
「ほほほ、さては、磯禅師さま、一目ぼれかよ」
磯禅師ははじらった。
「ばかな、そのようなこと……」
 しかし、事実だった。頬が紅色に染まっている。禅師十七才の頃の思い出である。

 佐藤一族の屋敷は、油小路二条のあたりにあり、神泉苑に近かった。
 佐藤氏は平将門を討った俵藤太…藤原秀郷の末裔である。祖先は藤原北家である。
 藤原秀郷五世の孫公清が左衛門尉に任じられ、左衛門尉藤原を略して「佐藤」とした。秀郷は鎮守府将軍となった。
 平安初期の鎮守府将軍が坂上田村麻呂であり、奥州という異国に対する大和政権側の侵略側の大司令官である。
 秀郷の長男千時が鎮守府将軍を受け継ぎ、その末流が奥州平泉王国を作り上げる藤原清衡と繋がっていく。西行の血はこの秀郷の五男千常の系であり、この頃は衰退していた。この佐藤家の傍系は、関東地方を中心に上野、下野、上総、相模、駿河、三河、尾張、近江、伊勢にも広がっていた。西行は藤原氏、源氏、平氏と並ぶ豪族佐藤氏の一員だったのである。
 奥州では、さらに奥州侵攻のための兵站基地としての関東での勢力拡大をはかったのが、後から来た源氏であった。関東、奥州で根を張っている佐藤一族の勢力を食い散らかして、武門の頭領となったのが、源氏であった。
 古代の豪族であった佐藤氏末裔の西行が、関東、奥州を旅行する際、助けを得たのは、この秀郷を祖とする佐藤(藤原)一族の人々であった。
 当時の旅は、知人を頼っていくのが常識であり、いわば関東、奥州は佐藤一族の血縁連絡網がすでに張られていたのである。
そのような佐藤一族と源氏との長い争いがあり、 西行は源氏をひどく嫌っていた。

 北面武士のとき同僚であった平清盛とは、その全盛期昵懇であった。その清盛の息子重盛が、東大寺の大仏を偶然とはいえ焼き払ったのである。
 聖武天皇以来滅びることのない仏教聖地が滅びたのである。青天の霹靂であった。世の中は地殻変動が起こっていた。その象徴的なものが大仏焼失であろう。大宝律令以降の古代の貴族支配は、終わりを告げようとしていた。
 国分田を耕す者とてなく、荘園が日本中に広まっていた。西行ですら、佐藤家の持つ高野山近くにある荘園のあがりを弟仲清から送り届けられていた。
 そして、西行が属していた武士の台頭である。保元・平治の乱を通じて、この世の中を動かしているのは、武力であり、つきりは武家階級が日本を支配し始めようとしていたのである。

 京都に設けられた平泉第は、いわば平泉の大使館であった。清衡の頃より設けられた平泉第は平泉と陸路、海路を通じての黄金ルートが発達していた。
 この時期の黄金には現在ほどの価値はない。この頃の日本は銀本位制であった。また貨幣流通経済は発達しつつあったが、貨幣は中国の宋から輸入された宋銭が通貨として利用されていた。

 海の交通は、現在想像する以上に活発であった。奥州に住む人々は、京都に住む公家にとって誠に異国人であった。白河の関より先は異国であった。
 京都から平泉までの荷駄隊が、吉次に指導され出発する。鎖国期の江戸時代のイメージから、日本人が海洋民であることを忘れてしまいそうになるが、日本に大和政権が発生する昔より海洋文化は発達していた。いわば、日本国家の設立は大いに海洋によっていた。
 すでに平安時代後期には、対馬海峡や東シナ海を自由に航行する和船が数多く存在した。 金売り吉次に代表される平泉と京都を行き来する商人たちも、陸上の道以外に海上の道を多く利用していた。
 太平洋航路京都から平泉までの主な港は、以下のとおりである。由良湊、和歌裏、牟婁湊、新宮湊、尾鷲浦、鳥羽浦、畠湊、焼津、三保浦、江之湊、下田湊、御崎湊、鏡浦、置津、御前湊、那珂湊、菊多湊、松川浦、逢隈湊、国府津湊、牡鹿湊。 平泉までは、牡鹿湊からは北上川を北上するである。

■十 一一八六年(文治二年)十月 鎌倉 源頼朝屋敷。

 日本を古代から中世へと、その扉を開こうとしていたのは、西行の嫌いな源氏の長者、源頼朝であった。
 また頼朝の側にいるのは、貴族階級の凋落を見、新しい政治を求めて鎌倉という田舎へ流れていった貧乏貴族である。その代表が大江広元である。頼朝は西行の背景にいる後白河法皇に憎しみを滾らしている。
「あの大天狗、私を騙そうと言う訳か。広元、大天狗にひとあわふかせるべく手配を致せ」
 頼朝が広元に命令する。
「いかように取りはからいます」
「西行へ藤原氏よりいだされる沙金を奪え。が、平泉から鎌倉までの道中にてぞ。鎌倉についてしまえば、これから先は鎌倉の責任、黄金を奪う訳にはいかぬ」
「さようでございます。また、よくよく考えますればこの沙金、奈良まで着きましたならば、西国にいまだ隠れおります平家の落人たちに渡るやも知れません」
「あの大天狗の考えそうなことよ。北の奥州藤原氏と西の平家残党から、この鎌倉を挟み撃ちにしようとな」
「では、義経殿もこの謀に加わっておられると」
「可能性はある。実の子供よりも、義経を考えておった藤原秀衡殿のことであるからな。また、後白河法皇もいたく、義経が気に入っておった。あやつは法皇の言うことなら何でも聞く」
「頼朝さま。やはり、沙金を必ず奪い取らねば、我が幕府の痛恨となりましょう」
「さっそく梶原と相談し、しかるべく手配をいたせ」
「わかり申した。すでに手は打って御座います。
私、京都におりました時より、東大寺にはすこしばかり手づるがございます」
 広元は、東大寺の荘園黒田荘への使者をすでに旅立たせていた。

第二章 完


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