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飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

義経黄金伝説■第三章

第三章 一一八六年(文治二年) 奥州平泉

■一 一一八六年(文治二年)十月 平泉

 奥州の黄金都市平泉にはすでに初雪が舞っている。十万の人口を抱える中心にある藤原秀衡屋敷が騒がしかった。多くの郎党が玄関先に並んでいる。
「我が子よ」
 義経と秀衡は、お互いの体をがっしりと抱き締めていた。それは親子の愛情よりも、もっと根深いものであった。いわば、お互いに対する尊敬の念であろう。が、この二人の仲むつまじさが、秀衡の子供たちの嫉妬を義経に集めたのである。
「よくぞ、ご無事で、この平泉まで」
 義経は肩を震わせている。それは平氏を打ち破った荒武者の風情ではない。
「遠うございました。が、秀衡様にお会いするまでは、この義経、死んでも死にきれません」
「死ぬとは不吉な。よろしいか、この平泉王国、ちょっとやそっとのことで は、頼朝を初めとする関東武士には、負けはいたしませんぞ。おお、どうなされた、義経殿」
 義経は涙を流し、秀衡の前にはいつくばっていた。
「くやしいのでござる。実の兄の頼朝殿の振る舞い。それほど、私が憎いのか。疎ましいのか。一体、私が平家を滅ぼしたのが、いけなかったのか。私は父の敵を打ちたかっただけなのです。おわかりでございましょう」
 秀衡は、義経の肩を抱き、慰めるように言った。
「おお、そうでございますよ。よーく、わかっております。その願いがなければ、あなたを戦の方法を習わせに、女真族の元まで、いかせるものですか」
奥州の帝王、藤原秀衡はゆっくりと義経の全身を見渡し、顔を紅潮させている。
「そうなのです。私の戦い方は、すべてこの奥州、さらには秀衡様のお陰で渡れた女真の国で学んだものでございました。おもしろいほどに、私は勝つことができたのでございます」

 義経は、頼朝のことも忘れて、目をきらきらさせて、戦の話始めていた。義経の圧倒的な戦い方は、日本古来の戦法ではなかった。外国、特に騎馬民族から学んだ戦い方、異なる戦い方をするということが、坂東武士から嫌われる原因の一つともなっていたのである。

 義経は、純粋の京都人でありながら、平泉王国という外国へ行き、そこからまたもう一つ遠くの女真の国へ出向き、新しい地平を見たのであった。
 義経は、自分の力を試したかったのだ。自分の力がどれほどのものか。外国で培った戦術がこの日本で、どれくらい有効なのか。義経は、そういう意味で、戦術の技術者であった。技術者同志ということで、不思議と冶金の技術者であった金売り吉次と気があったのかもしれなかった。もっとも、吉次は、今は商人という技術者だが。
 義経は京都人であった。ましてや、源氏という貴人の血を持っていた。また義経は十五歳以降源頼朝の元へ参じる二十三歳までは、奥州人でもあった。奥州は京都から見れば、異国である。義経はいわば奥州という外国生活をした訳 である後年、戦術においては、それまで存在していた戦い方を一変させた義経の戦闘方法は、いわば奥州という外国製である。
 義経にとって育ての親は、藤原秀衡である。秀衡は当初義経を京都に対する政治的道具として使おうとしたであろう。が、義経の素直さ。また何とも人を引き付けるいわば少年のような健気さをこの奥州の帝王は愛したのである。

■二 一一八六年(文治二年)十月 多賀城・吉次屋敷

 平泉で、義経が感激している時期、西行は少し離れた、多賀城(たがじょう)(現・宮城県多賀城市)に入っている。奈良時代から西国王朝の陸奥国国府、鎮守府がおかれている。つまり、多賀城は西国王朝が東北地方を支配がせんがためにもうけた城塞都市である。
 いわば古来からの西国征服軍と先住アイヌ民族戦争での最前線指揮所である。ここから先は、慮外の地、今までに源氏の血が多く流されしみついていた。今も奥州藤原氏勢力との国境にあり、世情騒然たる有様である。鎌倉と平泉との間に戦端が開かれるかいなか、民衆は聞き耳をたてている。
 西行は多賀城にある金売り吉次の屋敷を訪ねる目的があった。屋敷はまるで、御殿のようであの繁盛を物語っている。ここだけではなく日本中に屋敷はある。

 人は先刻から、座敷に対峙していた。吉次は赤ら顔でイノシシのような太い体を、ゆらゆらと動かしている。体重は常人の倍はあるだろうか。西行は、思いが顔にでていまいかと、くるしんでいる。話はあまり、うまく進んではいない。
「吉次殿、どうしても秀衡殿の荷駄の護衛を受けてくれぬか」
 吉次はふっとためいきをいき、上目つかいで、ためらないながら言った。
「西行様、、、、いくら西行様のお願いとて、吉次は、今は、商人でございます。利のないところに商人は動きませぬ。今、藤原秀衡様は、鎌倉殿と戦いの火ぶたを切られようと、、するところ。さような危ないところに、吉次の荷駄隊を出すことはできませぬ。やはり、昔のような事は、できませぬ」
「わたしとお主との旧い縁でもか」
「牛若様、いや、義経様が、鎌倉殿とあのようなご関係におなりに、今は、、、やはり、時期が 悪うございます」
「吉次殿、お主も偉くおなりじゃな」
 西行は吉次に嫌みを言った。
(一体誰のお陰で、、この身上を吉次がきづけたのか)という思いが西行にはある。

「西行様、もうあの頃とは、時代が違ごうてございます。今は世の中は、鎌倉殿、頼朝様に傾きつつあると、吉次は考えます」
「そういうことなら、仕方あるまい」
 西行、吉次の屋敷振り返りもせず出て行く。先を急がねば、いつの間にか、姿を消していた十蔵の姿が現れている。
 この二人をとりまくように、人影がまわりを取り巻き歩いている。鬼一方眼が使わせた結縁衆である。
 西行は十蔵に語りかけるのでもなく、一人ごちた。
「不思議な縁じゃ。いろいろな方々との縁でわたしは生きておる。平清盛殿、文覚(もんがく)殿、みな、北面(ほくめん)の武士の同僚であった。清盛殿 は平家の支配を確立し、文覚は源頼朝殿の旗揚げを画策し、この私は義経殿をお助けしたのじゃ。がしかし、この治承・文治の源平の争いの中を、この私が生き残ってこれたのも、奥州藤原秀衡(ひでひら)殿のお陰じゃ」
 西行は昔を思い起こしている。
 あれは五十年程前であったか、

■三  一一八六年(文治二年) 多賀城   
 西行法師は、多賀城にある吉次屋敷をでて平泉に向かう奥大道を歩いていた。前を歩く小者と従者をつれた女性が、いる。西行は、静であると気付き、呼び止める。
「静殿、静殿ではござらぬか」
「ああ、西行様」
 静は西行に挨拶する。静も平泉を目指していると言った。
「お子様のこと、誠にお気の毒でござる。が、御身が助かっただけでもよいとはせぬか」
西行はなぐさめようとした。
「我が子かわいさのため、あの憎き頼朝殿の前で舞い踊りましたものを。ああ、義経殿の和子を殺されました。ああ、くやしや」
「その事を確かめるのも、みどもの仕事であった。後白河法皇さまから、言われておったのじゃで、静殿、この後はどうされるおつもりじゃ」
 静は、少し考えて言った。
「行く当てとてございません。母の、磯禅師とも別れたこの身でございます」
「禅師殿とのう。さようか、そうなれば白河の宿の小山家(こやまけ)まで行ってくだされぬか。我が一族の家でござる」
 西行の一族、藤原家はこの板東に同族が多い。その一の家にとどまれと西行はいうのだ。 西行は、静のために、今、書状をしたためている。
「白河の関。まさか、義経様がそこまで…」
「はっきりしたことは言えぬ。が、義経殿に会える機会がないとも言えぬ」
「私が、西行様と同道してはならぬとお考えですか」
「ならぬ」
西行はきつい調子で言った。
「儂の、この度の平泉への目的は、あくまでも東大寺の勧進じゃ。秀衡殿から沙金を勧進いただくことじゃ。女連れの道中など、目立ち過ぎる。鎌倉探題の義経殿に対知る詮議も厳しかろう。それに、いくら私が七十才を過ぎた身なれば、何をいわれるかわかり申さぬ」
 静は、ある疑念をぶつけてみた。
「ひょっとして、西行様。わが母、磯禅師とはなにか拘わりあいが、若き時に」
 静は、つねから、疑問に思っていたのである。
「これ、静殿、年寄りをからかう物ではない」
 が、静は自分の疑問がまだ広がっていくのを感じた。
 西行は、自分と乙前があったあの神泉苑で、その思い出の場所で、この若い二人が、義経と静が、出会うとは思っても見なかった。縁の不思議さを感じている、やがて西行は意を決して言葉を発した。 懐から書状を出す。
「これは義経殿よりの便りじゃ」
「えっ、どうして、これが西行のお手に」
「儂がこの奥州みちのくへ旅立つ前のことじゃ。実は、儂の伊勢にある草庵に、義経殿の使いの方がこられて、これを、鎌倉にいる静殿に、渡すよう頼まれたのじゃ。あの鎌倉では、危のうて渡せなんだ」
「西行さま、義経さまとは」
「たぶん、平泉であえるだろう」
「平泉。どうか、私もお連れください」
「それはならぬ。今は頼朝殿の探索が厳しい。そのおりには無用じゃ。この地にある小山氏屋敷に止まっておられよ。きっと連絡いたそう。これが私のしたためた紹介の書状じゃ。儂の一族がこの地におる」
「きっとでございますよ」静は祈念した。

 西行と分かれ旅する静たちに気付く数人の騎馬武者がいる。
遠く伊賀国黒田庄に住まいしていた悪党、興福寺悪僧、鳥海、太郎左、次郎左を中心とする寺侍、道々の輩の姿の者どもが板東をすぎる途中に、十四人に膨れあがっていた。その一行である。
 黒田庄は東大寺の荘園であり、東大寺の情報中継基地の一つであった。大江広元からの指示を得て、西行のあとに追いついてきていた。そこでめざとく静をも見染めている。
「おい、あれは静ではないか」
破戒僧、鳥海がつぶやいた。
「おお、知っておる。見たことがあるぞ」
「あれは京一番の白拍子と謳われたのう。が、確か義経とともに吉野へ逃げて、どうやら頼朝が身を離したらしいのう」
 鳥海が付け加えた。
「ふふう、ちょうどよい。ここで、いただこうぞ」
「おう、そうじゃ。女子にもとんとご無沙汰じゃのう」
「よき話。幸先がよいのう。さらに静は西行へのおさえにもなろう」

 なかの三人はゆっくりと、旅装の静たちを追い越し、一定の距離で止まっている。静は何か胸騒ぎを感じた。
 騎上の三人がこちらを見ているのが、痛いほどわかる。それも好色な目付きで、なめ回すように見ている。首領らしい三人とも、普通の武士ではない。
加えて、心の荒れた風情が見えるのだ。この戦乱の世でもその人間の壊れ具合が静には手に取るようにわかる、
「そこなる女性、我々の相手をしてくれぬか」
静たちは無視して通り過ぎようとした。
「ほほう、耳が遠いと見えるわ」
「いや、違うだろう」
「義経の声でないとのう、聞こえぬと見えるわ」
 すわつ、鎌倉探題の追手、静は思った。
 静は走り出していた。が、三人は動物のように追いかけて捕まえている。小物と従者はその場で切り捨てられいた。
「ふう、どうじゃ。我が獲物ぞ」
「兄者、それはひどいぞ」
「次郎左、よいではないか。いずれ、西行が帰って来るまで、こやつは生かし  てねばならぬからのう」
「それも道理じゃ。ふふ、時間はのう、静、たっぷりとあるのじゃ」
 ひげもじゃの僧衣の男がにやついている。静の顔をのぞき込んでいる。


  街道の近くにある廃屋の外にひゅーっと木枯らしが吹いていた。
 可哀想な獣たち。
  静は、太郎佐たちを見てそう思った。
 きっと、この戦乱が悪いに違いない。静は舌を咬んで死のうかと思った。 が、万が一でも、義経様に会えるかもしれない。この汚れた体となっても、義 経様はあの子供のような義経様は許してくださるに違いない。
 静はそう思い、いやそう念じていた。この獣たちと生きて行くが上の信仰となっていた。この獣たちは、静の体を弄ぶとき以外は、非常に優しかった。
静という商品の価値を下げてはいけないという思いと、以外と京の白拍子という、京に対する憧れが、静を丁寧に扱わせているのかもしれなかった。

「おい、鳥海。あの笛、止めさせぬか。俺はあの音を聞くとカンが立つ」
 太郎左が言う。静が廃屋で、源氏ゆかりの義経からもらった形見の薄墨の笛を吹いているのである。
「よいではないか、兄者。笛ぐらい吹かせてやれ」
「次郎左、お前、静に惚れたか。よく庇うではないか」
 静は、我が体が死しても義経に会わなければならなかった。こうなった今はなおさら。

■四 一一八六年 平泉黄金都市

 西行はようやく平泉にたどり着いていた。
 平泉全土の道路に一町(約一〇八m)ごとに張り巡らされた黄金の阿弥陀佛を 描いた傘地蔵が、ここが、新しい仏教世界を思わせる。この地が仏教の守られた平和郷である事をしめしている。長い奥州の祈念が読み取れるのだ。
「おお、ここじゃ。この峠を越えれば平泉は望下の元じゃ」
「では、西行様、我々はこれにて姿を消します」
 東大寺闇法師、十蔵が告げた。
「何、お主は、私と同じ宿所に泊まらぬつもりか」
「はい、私の面体にて、藤原秀衡殿に変に疑いを生じせしめらば、東大寺への勧進に影響ありましょう。私は沙金動かすときに現れます」
 十蔵は、西行の前から音もなく消え去る。また背後の結縁衆の気配も同じように消えている。
 西行の前に、平和なる黄金都市、平泉の町並みが広がっている。京都とそっくりにつくられている。賀茂川にみたてられた北上川が、とうとうと水をたたえ流れている。東の山並み束稲山は比叡山である。ここの桜を、西行との友情のため秀衡が植えてくれていた。

 平泉は当時人口十数万人を数え、この時期の日本では京都に次ぐ第二の都市となっていた。清衡以来、わずか一〇〇年でこのように発展したのは、この黄金の力によるのだろう。
奥州王国は冶金国家であり、その基本は古来、出雲から流れて来た製鉄民の集まりである。金売り吉次が重要な役割につけたのも、岡山のたたら師であった出自が大きなポイントになっていた。

 平泉・秀衡屋敷で西行を待ち受ける藤原秀衡は、この時六七歳である。
「西行様、おおよくご無事で、この平泉にこられた」
 秀衡はまじまじと、西行の顔と姿を見る。
「秀衡様、お年を召されましたなあ」
 西行も嘆息した。
「前にあった時から、さあ、もう四〇年もたちもうしたか。西行殿、当地に来られた本当の理由もわかっておるが、私も年を取り過ぎました。息子たち、あるいは義経様がおられましたら、法皇の念ずるがままに、この平泉の地を法皇様の別の支配地に出来ようものを。残念です」
「季節はすぎております。お見せしたかった。おお、東稲山の桜は、きれいに咲いておりまする。その美しさは、ふふ、四〇年前と変わらぬではございませぬか」
 西行はその東稲山の、京都東山の桜に似た風景を愛でた。
「変わってしまったのは、我らのほうです。西行殿、自然はこの後千年も二千年も桜の花を咲かせましょう。が、我々の桜はもう散ってしまったのです」
「何を寂しいことを申されるのじゃ、秀衡殿。平泉という桜も今は盛りに咲い ておるではございませぬか」
「が、西行殿。平泉という桜は、いずれ、散ってしまおう」
「西行殿だからこそ、話もいたしましょう。この陸奥の黄金郷、末永く続けたく思っておるが、悩むのは、私がなくなった後のこと」
「なくなるとは、また不吉な」
「いやいや、私も齢六七。後のことを考えておかねばなりません。六年前までおられた義経殿を、ゆくゆくはこの我が領地の主としようと画策致しましたが、我が子の清衡は、いかんせん、私の言うことを聞きそうにありませぬ」
「ましてや、義経殿が、この奥州を目指していられるとの風聞もある由、そうなれば鎌倉殿と一戦交えねばなりますまい」
「西行殿、再び、平泉全土をご覧になってはどうじゃ。この平泉王国、けっして京都に引けは取りますまい。この近在より取れる沙金、また京の馬より良いと言われる東北の馬が十七万騎。いかに頼朝殿とて、戦火を交えること、いささか考えましょうぞ。そこで西行殿、ご相談じゃ。この秀衡、すでに朝廷より大将軍の称号をいただいておる。加えて、天皇の御子をこの平泉に遣わしていただきたい」
「何、天皇の御子を平泉に…」
「さようじゃ。恐らく、西行殿も同じことをお考えになっておられるに相違ない。この平泉、名実ともに第二の京都といたしたいのじゃ。今、京の荒れようは保元事変以来、かなりの酷さと聞き及びます。どうぞ、御子をはじめ公家の方々、この陸奥ではあるが、由緒正しき仏教王国平泉へ来てくださるようにお願いいたす。秀衡この命にかえましてお守り申しそう」

 平泉を第二の京都に、その考えは、後白河法皇も考えていたのである。が法皇はそれにある神社を付け加えたいと考えていた。保元の乱にかかわったあの方。そして西行もかかわったあのかた。崇徳上皇である。

 京都は霊的都市である。
京都を建設した桓武帝は、怨霊の祟りを封じ込める方策をした。当時の最新科学、風水、陰陽道である。東北にあたる鬼門には、比叡山を置き、西北には神護寺がある。文覚の寺である。
またその対角線上には、坂之上田村麻呂を意味した将軍塚をおいた。将軍塚は東北征伐を意味する。坂之上田村麻呂が征服した東北、鬼門が奥州である。奥州平泉に比叡山にあたる神社をおけばよい。そうすれば、後白川法皇は、京都朝廷は崇徳上皇の祟りから防衛できる。そう考えていた。

 西行は、「しきしま道」すなわち言葉遣い士、言う言葉に霊力があり、西行が歌う言葉に一種霊的な力があるとした。和歌、言葉による霊力で日本を守ろうとし、西行を始めとする歌人を周回させている。
 西行はその意味で歌という言霊を使う当時の最新科学者。言葉遣い士である。
 西行は、それゆえ歴史に書かれてその名が残るように行動した。現世よりも死後歴史著述にその名が残るように行動した。そういう形で西行の名が不滅であるようにした。後世、西行がポーズをとっていると言われるが、その行動様式こそが歌人の証明であった。いわば祝詞という目出度い言葉を口にさせで、目出度い状況をつくりあげるのだ。万葉集という詩華集以来、日本は 世界最大の言霊のたゆとう国である。

 平泉を第2の京都には、実質は、奥州藤原氏によって立ち上げられている。後は祭事行為をどこまで、認めるかである。

「秀衡殿、そうならば、鎌倉の頼朝殿の攻撃から逃れられるとお考えか」
「甘いとお考えかもしれぬ。しかし、我が子泰衡の動き、考え方などを見るにつけても、泰衡一人で、この陸奥王国を支配し、永続させていく力はございません」
「そのために、義経殿がおられましょう」
「義経殿は、いまだ、どこにおわすかのう」
「秀衡殿、お隠しめされるな」
 西行は語気強くいった。
「何と…」
秀衡は慌てていた。
「すでに義経殿は、秀衡殿の手に保護されておられるのではないか」
 西行は疑う様子が見える。
「何を証拠に…」
 慌てる秀衡に対して、西行は元の表情に戻っている。
「いえいえ、今の一言、この老人のざれ言じゃ、気になさらずとも良い。が、もし義経殿がおられるとしたらどうするおつもりじゃ」
「そうよ、それ、もしおられるとすれば…。西行殿もご存じのように、津軽十三湊(とさみなと)、我が支配にあることご承知じゃろう」
「知っております」
 そうか、その方法があったのかと西行は思った。海上の道である。
「あの十三湊は、大陸との交易につこうておる。今、大陸では、平清盛殿のおりとは違って、宋の力も落ちているとのこと。もし鎌倉殿の追及が激しければ、義経主従、かの国に渡っていただこうと思っております」
「おお…、それはよい考えじゃ」
「つまり、義経殿は、この日の本からいなくなるという。それで頼朝殿からの追及を逃れる。加えて法皇様の力で、この平泉政庁を第二の京都御所にしとうございます。そうすれば、この平泉仏教王国は、京都の背景を受け安泰でござる。そのためにはぜひとも…」
 秀衡は砂金を使い、砂金をそれこそ、金の城壁にして平泉を守ろうとしている。京都はそれで、いうことをきくだろう、
しかし、鎌倉は、頼朝殿は、そうはいくまい。西行は思った。頼朝は、源氏の長者は、その金そのものがほしいのだから。
「その東大寺の沙金、そうした意味の使い方もござるのか」
「さようです。無論、東大寺の、重源殿に渡していただければ結構。しかしそれがすべてではございまぬ。どうぞ、後白河法皇様にこの秀衡の話を、取り次いでいただけませぬか」
「わかりました。この西行がこの老いの身をおして、再び平泉の地を訪れたのも、この極楽郷、平泉の地がいかがなるかと気に致してのこと。秀衡殿、この地、永遠に残したいという思いあればこそ、二ヵ月もかけて、この陸奥の地を踏みましたのじゃ。よくお受けくださいました。法皇様も喜ばれることでございましょう」

 西行の思いは半ば成立している。崇徳上皇様、後白河法王様、喜び下され。これで少しは鎌倉殿の勢力を押さえる事が可能かも知れない。西行は四国の寒々した崇徳上皇稜を思った。
 同じ寒さでも、ここは、崇徳上皇様にとって暖かかろう。西行は、この平泉平和郷を守りとうしたかった。
 ここでなら、西行の守る西国王朝、京都の言葉の武器「しきしま」道も守れるかもしれん。

 平泉の衣川べりの高い台地に、新しい館が建っている。高館(たかだて)と平泉に住むものどもは呼んでいる。 館の下を二人の雑色がとうりかかり、館を見上げる。
「あれはどなた様のお館じゃ」
「お前、知らぬか。あれは高館御所。義経様と郎党の方々が住んでおられるのじゃ」
「おお、あの義経殿か。それでもお館様の伽羅御所に比べれば、小さいのう」
「まあ、これは俺が聞いた話じゃが、泰衡様が、義経様に対して、あまりよい顔をなさってはおられぬ」
「なぜじゃ」
「それは、お前。秀衡様は、我が子泰衡様より義経様をかっておられるからじゃ」

■五 一一八六年 平泉黄金都市

 数日たち、平泉にある藤原秀衡の政庁である伽羅御所で、宴が開かれていた。秀衡が上機嫌で、招かれた西行に挨拶する。
「西行殿、今日はよう来てくだされた。お知り合いを紹介しょう」
 「この西行の知り合いですと、はて」
 秀衡はほほえみながら
 「これへ、、」
 小柄な優男が、障子の向こうから現れて、西行に深々と頭をさげる。
「西行様、義経でございます」
「おお、これは……もうやはり平泉に着いておられたか」
 西行、身繕いを正す。
「それでは、私はあちらへ……ゆるゆるとお話下され」
 秀衡は気を使い、二人っきりにしてくれた。

 西行は義経に深々と頭をさげた。
「私が西行、歌詠みの僧です」
「西行様、ありがとうございます」
 義経が、逆に西行に対してまた深く頭を下げる。
「これこれどうなされた。源氏の武者が、歌詠みの老人に頭を下げるとはめんような」
「いえいえ西行様、お隠しありますな」
「これは何をおっしやる」

 西行が名乗りをあげるのは、この時が始めてである。それ以外は、鬼一方眼が義経牛若丸の相手をしている。正式な紹介は今までなかったのだ。
「昔、私が鞍馬に引き取られたのも、西行様のお働きがあったと聞いております。また商人金売り吉次殿が、この平泉に私を連れて来てくれたのも、西行様のお口添えと聞いております」
「はて、またおかしなことを申される。私は単なる歌詠み。それほどの力は持っておりませぬ」
「いえいえ、隠さないで下さい。私の供者、弁慶が「縁糸(えにしのいと)」は、日本全国に散らばる山伏の縁糸でございます。この世の動き、知識は、世にある山伏の、すべて口から口へと伝えられております。西行様、お礼を申し上げます。この平泉で秀衡様に我が子のように可愛がられたのも、西行様の口ききのお陰。いや、またこの私が、平家を壇の浦で滅ぼすことができたのも、十五才の折よりこの平泉王国や外国で学びました戦術のお陰でございます。すべては西行様の縁糸から始まっております」

 義経は、十五年前の京都の鞍馬山、僧正ケ谷を思い起こしていた。

 西行はこの後、秀衡の政庁である伽羅御所の北に離れている義経の高館へ招待されていた。
 自分の屋敷で、うって変わって弱きになる。
「のう、西行殿、私はだれのために戦うてきたのでしょう」
 義経は。急に気弱になって父親に話すがごこくである。
「何をおっしゃる。今、日本で天下無双の武者であられる義経殿が、何を お気の弱いことを」
「しかし、西行殿」
 義経の顔がこわばっている。ある思いでが義経の精神的外傷(トラウマ)としていつも義経の心にある。
「私の最初の……父親の膝の記憶は、何と平清盛殿なのです。母、常盤が清盛の囲い者であったからのう。養父の大蔵卿長成殿の記憶は、あまりないのです」
「……」
「それに平泉についてからは、秀衡殿の北の方、また外祖父の藤原基成殿の保護をうけました。奥州藤原氏と京都藤原氏との眼に見えぬ縁ある糸があったのです」
「……」
 西行は、ただ聴き入っている。
 義経は、自らの心の闇をのぞき、自分の過去半生を知る西行におもいのたけを、打ち明けていた。
「考えて見れば、私の一生は、いろいろの人々の縁の糸がもつれ合っております。源氏の糸、京都藤原氏の糸、奥州藤原氏の糸、後白河法皇様の糸、そして、眼に見えぬ平家の糸が、」
義経は少し考えていたのか、しばらくおいて話した 。
「いま考えれば、平家の糸があればこそ、平家の長者平宗盛殿、平清宗殿を、あの戦いの折り、殺さずにおいたのじゃ。それが一層兄者頼朝を怒らせてしもうたとはのう。何という世の中だ」
 義経、溜め息をつく。
「そして、、、最後は西行殿が糸です。西行殿も奥州藤原氏のご縁です。それに加えて、西行の別の糸がございましょう」
「私の別の糸とは」
「山伏が糸。また仏教結縁の糸じゃ。いや山伏の糸といってもいいかもしれませね」
西行は義経の顔をみている
「私は、いろいろな糸に搦め捕られて動けませぬ」
 義経は、この地で、どうやら鬱状態に入っている。
 西行は思う。この和子義経は、ついに安住の地をみつけられなかったか。背景となり保護してくれる土地がなかったのか。
 私が、この地平泉に、義経殿を送り込んだのも間違いかもしれぬ。 その行為は義経殿の悩みを増大させたのかもしれぬ。
「ここ平泉が死に場所かもしれません。が、私は、清衡殿、秀衡殿のように中尊寺の守り神となることはできぬでしょう。私は奥州藤原氏の長者ではないのです」
 初代清衡、三代基衡の遺骸は、守り神として、中尊寺黄金堂三味壇の床下に安置されている。
「義経殿は、みづからが、奥州藤原氏になる事をお望みか」
「いや、そうではござらぬ。拙者はやはり源氏の武者、華々しく戦って死にとうござる。が、戦う相手が兄者ではのう」
 ためいきをついている。
「迷われておられるのか」
 西行は、こころの奥深いところから、怒りがわき上がってきた。
「義経殿の迷いが、この、平泉仏教王国を、滅ぼされるぞ」
 この義経の弱気が、平和郷を崩壊させるのだ。
「されど、この仏教王国も元々は奥州藤原氏が造ったもの。私が、この国の大将軍になるは荷が重うござる」
「しかし、秀衡殿のお言葉がござろう」
「その言葉、仕草が重うござる。何せ戦う相手は兄者が軍勢。また相手の武者は、私が一緒に平家を滅ぼした方々。いわば戦友。その方々を相手に、戦わねばならぬのです」

■六 一一八六年(文治二年) 平泉

西行は、京都の松原橋の事件を思い起こしている。
義経が、源頼朝の暗殺部隊に襲われた事件だ。
「義経殿、私はこの平泉王国が好きなのじゃ。この異国の平泉が。この平泉を私が訪れましたのは、二十六才の頃です。それは、それは、このような地が日本にあるとは…、平泉は仏教王国、聖都です。このような平和な美しい都が、末長く続いてほしいのじゃ。この度の、私の平泉訪問の目的も知って おられましょうぞ」
「聞いております。法皇様は、この平泉が鎌倉と事を構えないように、お考えになっておられるとのこと、相違ございませんか」
「さようでございます」
「そのために、この義経が邪魔だと」
「そうおっしゃるでしょうな。が、義経殿、秀衡様は別の考えをお持ちじゃ」
「と、いうと」
「義経殿のお命を、平泉の沙金で買おうとなさっておいでじゃ」
「この私の命を、、沙金でと…」
「お怒りあるな。義経殿もご存じでござろう。南都東大寺が平重盛様に先年焼かれてしまいました。その勧進使度僧を重源上人がこの私にお命じになり、 この平泉までやって参りました。私西行は平泉への途上、鎌倉へ寄り、頼朝様にも会っております」
「兄者と…」義経、表情が変わる。
「いえいえ、心配なさるな。義経殿の扱いの提案を、秀衡様とあらかじめ書状で取り交わしておりました」
「兄者は何と…」
「義経様も、お聞き及びでしょう。東大寺勧進が、頼朝様は金千両、それに対して秀衡様は何と金五千両。その差四千両。これではあまりに差がつきます。それで秀衡様より、内密に頼朝様に金四千両の沙金をお渡しする約束で きております。それを東大寺へお送りします」
「つまりは、私の命を、平泉の砂金四千両で買おうとうわけか」
「いえいえ、頼朝様のこと、今は四千両を受け取り、後々様子をお伺いになりますでしょう」
「それが平泉からの物資、必ず鎌倉を通すという約定の本当の目的なのですか」
「さようでございます」

 西行は義経に、東大寺の重源(ちょうげん)から預かったものを渡す時がきたと考えた。
「さあ、義経殿。やっと二人になれたところで、重源殿からの贈り物です」
 西行は義経に竹包みを差し出している。
「これはどうもありがとうございます。さて、これは…」
「まあ、まあ、開けてくだされ。それからお話しいたします」
 西行は、にこりと微笑んだようであった。
「おお、これは、建物の図面ではござりませぬか。これを私のために…」
 義経は子供のように、喜んでいた。
「そのように喜んでくだされるならば、西行いささか恥ずかしく思います。いやいや無論、私が図を起こしたものではない。ほれ、義経殿も知ってござろう。重源様の図面なのじゃ」
「おお、あの東大寺を再建されておられる重源様の…」
「よいか、私が直々重源様に頼んだのです」
「一体何故に、このような図面を」
「よいか、義経殿」
 西行は真剣な顔付きとなり、義経の方へ膝からにじり寄った。
「これはあくまでも二人だけの話ですぞ」
 義経は西行のただならぬ気配を感じ、顔色を変えている。
「奥州藤原氏を信じてはならりません」
「何を仰せられます。あの秀衡殿が…」
「まあ、義経殿。落ち着いて聞きなさい。秀衡殿は別じゃ。和子たちが問題なのです」
「和子たちが一体私に対して企みを持っておられるといわれるのか」
「そうじゃ、義経殿。己が身の上考えて見なされませ。いずれの身かわからぬお主を育ててくれ、勉強されてくれたは秀衡殿。が、和子たちはお主のことを、よくは思っていまい。考えてもみなされ。義経殿がいることで平泉が危険になっておる」
「私にこの平泉から逃れよとおっしゃるのか、西行殿。それはあまりではござらぬか。私と秀衡様のこと、西行殿はよくご存じではないのか」義経は涙を流さんばかりである。
「よいか、義経殿。この地図の通りに建物を建てなおされよ。そして密かに北上川への抜け穴を作られのです」
 西行は、秀衡を動かし人即に手配をさせていた。
「抜け穴ですと、私は敵に後ろを見せる訳にはいきません」
「万が一のための予防策でございます。そして、この造作にはこの男を当てられよ」
 西行は後ろから、人を呼び入れた。人影が急に義経の前に現れている。
「お初にお目にかかります。東大寺闇法師十蔵と申します。重源様から命を受けて、この平泉まで参りました。どうか、この建物の作事の支配方は、私にお任せくださいませ」

 西行が一人ごちた。
「不思議な縁でござりました。平清盛殿、と私は北面の武士の同僚で
ございました。清盛殿は平家の支配を確立し、この私は義経殿をお助けしたのです。治承・文治の源平の争いの中を、私は伊勢に草庵をかまえ、戦いとは無関係に生き残ってこれました。それも、秀衡殿のお陰です。食扶持の費用は、秀衡殿にまかなっていただいた」
「西行様にとって、秀衡様はどのようなお方なのですか」
「そうでございますな。あれは私が二九才の折りでござったか。京都で秀衡さまにお会い申した。そのおうた折り、我が佐藤家に夢を与えて下ったのです」
「夢ですとと」
「そうです、京の戦いにもかかわらず、奥州には、この平泉のような仏教の平和郷、極楽郷があるという夢です。私が昔、この平泉を訪れた時の思い出は、永遠に心に残ります。この戦乱の世に、いつも、目に焼き付いていて慰めとなるは、この束稲山の桜の姿なのです。あれが、この世にあっては、何か平和の証しのように私には見えたのです」
「西行様は、桜の花が、それのどまでにお好きなのか」
 義経がたづねる。
「私は、月と花をよく謡います。日本のしきしま道の根本なのです。が、この何年か身近に人の死をみすぎました。その京の地に比べ、この奥州平泉の地、なんと静かなことよ。100年の平和、その時期をお作りななれた奥州藤原氏の見事さよ」
 義経が深くためいきをつく。
「西行様は、秀衡さまと御同族と聞いております」
「さようでございます」
「では、藤原秀郷様の子孫ですか」
「そうです」
「兄上が西行さまに在られてごきげんはいかでございましたか」
「銀の猫をいただき歓待させました」
「藤原藤原秀郷の子孫、西行どのが、坂東新王、頼朝殿を、つまり新しい反乱王将門(まさかど)をとどめるわけですか」
「私にとってもこの地は安住の地、が、この私の存在が、この平泉の地を、地獄に変えるかもしれぬ」
「何を気の弱いことをもうされます。この奥州の地は敢馬の地。もとより義経殿の戦ぶり、この地で培われたのではありませぬか」
「……」
「そのために、私はこの地を陰都(かげみやこ)としょうと考えるのです」
「かげみやこ」
「東北の地を納める京都です。政庁には京都からどなたかをお招きし。そして祭神は、崇徳帝様でございます」
 義経は、西行の話に引き込まれている。この平泉を救う事、また義経を救う事を西行は話しているのである。
 それには、頼朝に対して平泉の黄金をつかい、頼朝をとどめ、平泉を安泰にするため京都から皇族をよび、崇徳を祭神として京都の陰都にしょう。そして平泉と京都が連携し鎌倉を牽制しょうという案である。

■七 一一八六年(文治二年) 平泉

 秀衡の政庁を、西行がおとづれている。
 現れた秀衡に土産がございますと西行はある巻き物を広げている。
「これは…」
 秀衡の前に広げられた絵図。鎌倉の地図だった。それに何やら矢印 が付け加えられている。
「まさか…」
驚きを隠せない秀衡に、にこりとしながら西行が言った。
「ほんの手土産です。秀衡様とは長い付き合いじゃ。ほんのお礼ですよ。私は鎌倉の地をよく見て参りました。戦いはどうすればよいか、 また守るにはどうしたらよいか。加えて、この知識と絵図を東大寺の重源殿に送り、できあがったのが、この絵図です。重源殿とは、ご存じのとおり、俺とは高野山で若きころよりの知り合いです。また、重源殿は中国に二度渡り、中国・宋の都市建築を見て参られた。新しい都である鎌倉の欠点は、南の海岸にあります」
「南の海,由比ガ浜から攻撃せよとおっしゃるのか」
「さようです」
「水軍が必要となろうが」
「そこは、それは秀衡様は、水軍にお強い吉次を初めとしてな。加えて、義経様の者共は、水軍出身の方が多いでしょう。また、弁慶殿は熊野水軍ともお近い。平泉水軍、安藤水軍、熊野水軍、伊勢水軍、加えて西国の反源氏平家勢力を加えれば、これは、容易いことでこざいましょう。相手は伊豆水軍となりましょう」
「おお、何と」
「しかし、よろしゅうございますか。必ず総大将は義経様とされよ。義経様こそ、反頼朝公の旗印です」
「西行殿、ありがとうございます」
秀衡は頭を下げている。
「いやはや、これはこれ、この東大寺のため、沙金をいただいたほんのお礼です。まだまだ、秀衡様には生きていただいて、働いてもらわねばなりますまい」
「ほんにな。日本を京都と平泉を中心とした仏教王国にするためには、それが必要でございましょう」
 秀衡はにこやかに言った。
「が、伊勢神宮の方はいかがかな」
「それはそれは、私の知恵の糸を使い、この仕事を終えて、京都へ帰ったのち、再び、重源様をはじめ三百人ばかりの僧を、伊勢神宮に参らせるつもりでございます」
「西行殿のお考えは、さようなこと、できようか」
 秀衡も、西行の考えに興奮して答えた。
「ふふう、秀衡様、西行もそれくらいのことはできるのでございますよ。さらに、このおりに、伊勢神宮にいろいろな歌を報じます。有名な歌のいくさ人、歌人にお願いしていて、「しきしま道」による国家防衛、平和祈願を行います」
「ほお、例えば、どなたかな」
「近ごろ、よい歌を作りよる藤原定家殿とか」
「おおう、よくお名前は聞く。さすがは西行殿、京都の、いや日の本の歌事、「しきしま道」の総元締めでおられるか」
「いやはや、然様な者では、私はございませぬ」
「ふふう、そうなれば、やはり後白河法皇様に進められ、出家なされたのも無駄ではございませんでしたな」
「ふふ、そのことは、他言無用にしてくだされませ」
 西行は、後白河と話し合いをした案を、秀衡に話、京都と平泉の連携作戦を話し合い、その時はいつまでも続くように思われた。

第三章 完


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