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飛鳥京香/SF小説工房(山田企画事務所)

義経黄金伝説■第六章

第六章  一一八九年(文治五年) 平泉

■一 一一八九年(文治五年) 平泉

 文治五年(一一八九)四月三〇日』
「もはや、これまでじゃ。義経殿を高館を襲え」
 奥州、藤原泰衡は、目の前に揃う武者に命令を下していた。激情で目の前が真っ赤になっているのだ。
奥州藤原の武者たち五〇〇騎乗は「おう」と鬨の声を上げる。
藤原秀衡がなくなりまだ、二年とたたない。泰衡は平泉で兄弟や部下の粛正をくりかえしている。自分の命令を聞かない部下や弟を亡き者にしていた。滅亡へ、自ら進んでいるのだ。

武者は、義経がいる高館を目指して駆け寄ってくる。高館の物見がきずく。高館に火矢が打ち込まれる。泰衡の軍勢は、半刻後、高館を取り囲んでいた。逃れる道はない。高館へのすべての道は兵で塞がれている。

「高館が、燃え上がっております」
燃え上がる高館近く、北上川の対岸で、西行と静が二人していた。
「くそ、まにあわなかったか。静殿、残念じゃ、」
「静殿、義経殿にあのこと伝えてられよ。聞こえるかも知れぬ」
西行は静を促した。
 西行は。高館にいる義経に伝えよう叫んでいる。
「殿、和子は生きておわす」
遠くから、静は義経に呼びかける。聞こえているのかいないのか義経の姿は望見できない。
「殿、わ、和子は…頼朝様のご慈悲で生きておわす。和子の命、お守りくださると約定いただきました。これは政子様も、ご承知になられております」
義経の姿が見えたような気がした。静の姿にゆっくりうなずき、炎の中に入って行った。
 火の手が高館すべてにまわっている。
 外から呆然と見上げる西行と静。
「さあ、もうよかろうぞ」
「義経さま……」
静は、高殿の方へ声を限りに叫んでいる。

高館の中、
「もはや、これまでか」義経はうめいている。
「義経様、どうぞ、ご準備のほうを」
 東大寺闇法師、十蔵が、義経そっくりの顔で言う。十蔵は西行の命令で、この地にいる。
「十蔵、私だけが助かる訳にはいかん。私を信じてついてきてくれた郎党たちも、助けてくれ」
「義経様、それは無理というもの」
 義経の回りには弁慶始め郎党たちが、取り囲んでいる。皆、覚悟を決めていた。
「どうぞ義経様、お逃げくだされ。我々はここで討ち死にし申す」
弁慶が涙ながらに言う。
「そうです。それが日の本のため」他の郎党も続けた。
「どうか頼朝殿に無念をはらされよ」
「弁慶、自分だけいい子になるなよ」
「よろしいですか。義経様は我々の宝。いえ、この日本の黄金じゃ、どうか生
き延びてくだされ」
「武者は戦場で死ぬものでございます。我々、義経様のために死ぬこと、恐れませぬ。むしろ誇りに思います」
「我々は、平氏との、幾たりかの、戦いを、楽しませていただきました」
「武勇こそ武士の誇り]
「義経様…」
「俺は良き友を持った」
義経のほおを、滂沱の涙がしたたりおちている。義経は、その涙を拭おうともしない。
「友ですと。我々郎党をそのように…」
 義経の郎党、全員が義経をとりかこみ泣いている。皆、胸に込み上げて来るものがあった。
 弁慶は思った。これは愛かもしれんな。衆道ではない。仏門で、衆道は当たり前だが、俺の義経様への思いは、やはり愛だろう。そうでなければ、もともと俺は後白河上皇様の闇法師じゃ。鎌倉殿の情報を取り入れがために、義経様に近づいたのじゃ。

 弁慶は不思議に思った。そして時折、後白河法皇の憂鬱げな顔を思い出
していた。弁慶を見る法皇のまなざしには何かがあった。家族愛、不思議な感覚であった。弁慶は、また、一個の後白河法皇の闇法師、いわば法皇の捨てゴマだった、その男に対し法皇のまなざしは何かを告げようとしていた。法皇は、今でもまだ、白拍子を呼んで、今様を口ずさんでおられるのだろうか。弁慶は遠く、京都にいる法皇を思った。

「泣いている暇など、ありません。早くお逃げくだされい」
東大寺闇法師、十蔵が冷水を浴びせる。
「何じゃと、人間の感情がわからぬ奴じゃのう、お主は」
 弁慶が涙で目を一杯にしながら、十蔵にけちをつける。
「弁慶殿、俺らが東大寺闇法師の命は、目的のために捨てるのが定法。今がその時。一刻も猶予はならんのじゃ」

「十蔵殿…」
 義経が十蔵の肩に手を乗せた。
「済まぬ。私がごときのためにのう。命を捨ててくれるのか」
「何をおっしゃいます。奴輩は、炎の中で死ぬが本望。先に東大寺での戦で、多くの部下を殺しておりまする。また目的に死ぬこと、東大寺の闇法師として恐れはいたしませぬ」
「すまぬ。許せ。皆、さらばじゃ」
 義経は、地下につくられた坑道から消える。十蔵が支度し、施工した坑道であった。
「東大寺勧進職、重源殿の絵図、役に立ったな」
弁慶がひとりごちた。

 やがて平泉、北上川を見下ろす北政庁北西の小高い丘にある高館に、藤原泰衡の軍勢がわれさきになだれこんできた。
「お主ら、ここから先は地獄ぞ。わしが閻魔大王ぞ」
 その弁慶めがけ、数十本の矢が打ち込まれていた。
 弁慶は一瞬、たじろぐが、再びからだを動かし
「ぐっ、これは、これは、泰衡殿の武者もなかなかのもの、けつして平家にひ
けはとらねのう」
弁慶は。泰衡の兵に打ちかかっていく。
「こやつは化け物か」
 泰衡の兵共がその生命力に驚いている。

西行と静は、まだ対岸にいた。静は、うなだれている。
「静殿、さあ、今上の別れじゃ。一節、薄墨の笛を吹いてくださらぬか」
「西行様、酷なことをおっしゃいます。それに果たして、義経様に聞こえるか
どうか」
「何をいわれる。ここが静殿の見せ場ぞ。静殿の義経殿への愛の証し、ここで遂げられよ。義経殿の旅に趣向をなされ。それが、静殿のお持ちの薄墨
の笛じゃ」
 西行は文学者であった。この殺戮の場においても、文学者的な演出を試みている。それが、静には奇妙に思われる。この方は何をお思いか。
「薄墨の笛」これは代々源氏の長者に受け継がれる、鋭い音色の出る笛、竜笛である。昔から、中国では竜の声として言われているのである。
 静は、この笛を、吉野で義経と別れた時にもらっている。太郎左たちに襲われたときも肌身離さず持ち歩いていたのである。
「よいか、静殿、最後の別れじゃ。一節吹かれよ」
西行は、静に命令している。
「西行様は、酷なことをおっしゃる」
「静の愛の表現を、この場でされよ…、義経殿とは、もう二度とはこの世の中で会えぬのだ。別れを惜しまれよ」
 静は、涙ながら笛を手にした。

 高館の火の手は、一層燃え上がっている。
 炎を背景に、笛を吹く静の姿は、妖艶であった。静の目の色は、今や狂人のそれである。悲しい音色が、いくさ場の中で、旋律を響かせている。
『十蔵殿、頼んだぞ。このあいだに義経殿は、お逃げくだされい』
 西行は心の中で叫んでいた。静かにすら義経が逃げる事は教えていない。
「ああ、義経様」演奏の途中で、静は崩れ落ちる。
 西行は、静を抱き起こし姿を消そうとした。
藤原泰衡の軍勢が、北上川対岸にいる、西行と静に気づき、こちらにむかってきたからである。

東大寺闇法師、十蔵は高殿の炎の中、僧兵の雄叫びを聞いたような気がした。
(ここが死に場所。平泉、高館。そして義経殿の身代わり。
何とよい死に場所を、仏は与えてくれたものか。東大寺の大仏を焼いてしもうた、部下の僧を助けられなかった責任は、これで少しは心がやすんじられよう)
 悪僧(僧兵)の頃に、心は戻っていた。紅蓮の炎を見ながら、十蔵は思った。
心は、その時に舞い戻っている。

奈良猿沢の池のまわりに、僧兵の首のない死体がごろごろ転がり、地面を流れた血糊が、地を、どす赤黒く染めあげている。
 東大寺、興福寺の伽藍の燃え上がる紅蓮の炎は、火の粉を散らせる。死体をくすぶらせる煙が舞っている。えもいわれぬ臭みが、辺りを覆っていた。空は昼というのに、炎のため浅黒く染まって見える。
 あちこちの地面に差し込まれた棒杭の先には、平家の郎党に仕置きされた僧兵の首がずらりと無念の形相を露にしていた。
ここが死に場所、熱さが十蔵の意識をおそう。
紅蓮の炎が重蔵の体をなめ尽くした。

東大寺闇法師、十蔵の体は、義経として滅びた。

■二 一一八九年(文治五年) 平泉  

 平泉ちかく北上川の川縁にいる西行が、吉次に言った。吉次は小船を用意している。
「さて、吉次殿。義経殿の逃げ先、よろしくお願いいたします」
「わかりました。すべておまかせを。して静殿は、いかがいたします」
「吉次殿、この手配りは、静殿には話していない。供を付けて京都に帰っていただくか」
「わたしもそのほうがよいと考えます……」
吉次も首肯した。静は気を失って倒れている、
 遠くやけくすぶる高殿、義経屋敷跡の煙が巻きあがっている…。

 二日後、北上川の船上に、ゆったりとすわっている義経がいた。吉次が姿を見せる。気付いた義経が話しかける。
「のう、吉次殿、十五年前もお主の船で、だったな」
「さようでございますなあ。なつかしい限りでござます」
 吉次は、遠くを見透かすような目をする。
「あの折りは、ものもわからぬまま、お主に連れられ、摂津大浦(尼崎)から多賀城まで一航海じゃった。が、あの頃の俺は、意気に燃えておった」
「何をおっしゃいます、義経様。これから、まだまだでございます。これからの行き先、蝦夷には、新天地が待っていましょうぞ」
義経にとって平泉は新世界であったが、まだ、その先の新世界へ行こうというのだ。

「吉次殿、お前もあの頃に比べると、偉くおなりだな」
「あの仕事で、私に運が開けました。お陰様であの縁で、藤原秀衡様にかわいがっていただき、このような身代が築けました」
「ああ、そうか、すべては西行法師殿のお陰だなあ」
「さようです。西行様のお陰でございます」
「残念ながら、私は西行殿の役には立てなんだ」
 義経はすこし寂しそうな顔をした。
「西行様の思いとは…」
「あの平泉を、第二の京都、陰都とするとする事じゃ。そして崇徳上皇をお祭りする事だ。平泉王国を、北のそなえとして仏教王国として、平和郷を作ることだった。その将軍が私だ。また、主上を、平泉お招きするという案だ。この企みは、後白河法皇も気に入っておられたのだ」
「仏教の平和郷ですか。もう、それもこの日本にはございますまい。すべては鎌倉殿の思いのままになりましょう」
「藤原泰衡殿が、兄上頼朝殿と何とかうまくやってくれればよいが」
「それは、やはり、むつかしゅうございましょう」
吉次は冷たく突き放した。

北上川の水面も寒々と、月光をあびて澄み渡っている。

■三 一一八九年(文治五年) 京都

「なに、義経、自刀したとな」
後白河法皇がうめいた。
「今、多賀城国府より知らせが入りました」藤原(九条)兼実が答えた。
「しかたがないのう。後は頼朝が動き注意せねばなあ。ところで、義経が家来、皆、討ち死にいたしたか」
後白河が、兼実に不安げに尋ねた。
 後白河の顔色を見て、藤原兼実が意地悪く尋ねる。
「院がお気になさっているのは、弁慶の事でございましょう」
兼実は、うれしげに返事を待っていた。
「そうじゃ、あやつは朕が手先。が、途中で義経に寝返ってしまいよった。せっかく熊野の山で見つけた、朕がための闇法師だったのだが」
「さようでございましたな。院が熊野へ参拝なさったのも、もう三十回になりましょうかや」
「そうなのだ。弁慶は十度目の熊野参拝の折り、朕が、眼につけたのだ」
後白河はそのおりを思い返すように言った。

 この時期、蟻の熊野詣といわれるくらいに、熊野詣は流行っていた。我も我もと、皇族や貴族が和歌山の熊野に詣でるのである。京都から淀川をくだり、渡辺津から泉州をぬけて…
熊野は旧き日本の時から、1つの王国勢力であり無視できぬ。それゆえ、特別の配慮が行われている。熊野三社は伊勢神宮と同格とされている。大和朝廷統一以前の勢力がいまでも残滓として残っている。山伏もこの地域を勢力範囲とした。

当時の海の交通には熊野の海商が、海の侍が大きな役割を果たしている。熊野三社の供御人(くごにんー神社に属する人間)が、遠く奥州まで船を運んでにぎわっている。
熊野、伊勢の回船や船人をいかに把握するかが、この時期の日本の支配者には是非とも必要であった、山伏もまた、この時期の日本にひとつの勢力である、が、頼朝と広元は、日本全国に守護地頭という制度をつくり、板東のご家人を送り込む事により統一しょうとした。

 十度目かの後白河法皇の熊野巡幸。その折りに山法師が後白河法皇の宿所に願を願っていた。
「殿下、弁慶とか申す山法師、ぜひともお目にかかりたいと申しております」
「どんな奴じゃ」
「いや、それは化け物のような…」
「化け物のようじゃと、おもしろい」
「朕が会ってみようかのう」
「お止めください。危のうございます」
 が、その返事の前に、向こうで騒ぎが興り、何かが法皇の前に飛び出して来ていた。雑色を振り切り、弁慶が雑色たちの人垣を跳躍して来たのである。恐るべき膂力であった。
「私が、その化け物の弁慶でございます」
 悪びれずに、その大男は言う。後白河は思わずたじろいでいたが、
「くはは、お主が弁慶か。ふふふ、おもしろい奴よのう」
 が、一瞬、後白河は、弁慶の顔に何かを見たようだった。
「いかがなされました、法皇様」
「いや、何でもないのじゃ。汗が目に入ってのう」
後白河は顔をつるりとなでた。
「それでは、私の考え、お聞きください」
 護衛の武士が追いついて来た。
「恐れ多いぞ、何者ぞ。主上の前なるぞ。いかがいたした」
「よいよい、しゃべらせてやれ」
「よろしゅうございますか。法皇様、この世の中は、断じて間違ごうてございます」
「何をぬかす」
「よいよい、しゃべらせてやれ」
「平家がごとき世の中を支配するとは、必ず法皇様、天を御所に取り戻してくださいませ。これらは我らが願いにございます」
「我らじゃと、我らとは誰じゃ」
「我々、山法師でございます」
「ほほう、気にいったぞ。お主の心根、面構え、名は何と申す」
「はっ、武蔵坊弁慶と申します」
「弁慶とやら、朕の闇法師を申し付けるぞ」
 ちらりと後白河は笑ったように見えた。が、弁慶は「ありがたき幸せ」
 と深々と頭を下げているので、その表情が見えない
。「して、お主の母、ご鶴女殿は息災か」
「法皇さま、わたしの母親の名前をなぜご存じか…」
「うむ、昔あったことがな、あるのじゃ」

■四.一一八九年(文治五年) 鎌倉   

 文治五年(一一八九)六月一三日。
「九郎義経殿の首、届きましてございます」
 広元が頼朝に告げていた。
「何、義経の…」
「いかがいたしましょう。御館様直々に」
「いや、止めておこう。顔を見知りおく梶原景時と、和田義盛に行かせるのじゃ」
 (これが義経が首か)塩漬けにされた首が、漆箱から出された。梶原景時は思った。
 (何とこやつは不思議な奴よ。数々の新しい戦い方を考えつきながら、言うこと、話すこと、考えることは、まるで童子のような奴であった)
 義経の首は、塩漬けにされていた。奇麗に彫金された漆の箱から取り出される。
 (されど、泰衡も可哀想な奴よ。自らの首を絞めよったわ。頼朝様が自分の弟をこのような目に合わした奥州藤原氏を許す訳がない。なんと政治的見解のない男よのう。所詮は奥州の田舎者。祖父、父よりはずーっと人間が下がりおる)梶原は思った。
(頼朝様の怖さを知らぬ。あの方は自分の思いどおりに動かぬ者、あるいは頼朝様の思いを読み取れぬ者を非常に嫌われるのだ。が、それに義経に対する兄弟愛を泰衡は気づかなんだか。
 義経を捕縛して、頼朝殿に差し出せば何とかなったかもしれんな。いや、まてよ、やはりだめか。頼朝様が欲しいのは、奥州は金の打出の小槌よ。頼朝様が言えば言うだ
けの金が送り込まれて来るわ。)これからの戦略を梶原は思った。

 頼朝は忙しげにあちこち歩き回っていた。頼朝は自分で命令しておきながら、義経の首は見たくなかった。
「どうであった」不安げに頼朝は、広元に尋ねた。
「梶原曰く確かに義経様の首であったということです」
「むう、泰衡め。我が弟を殺しおったか。早速、奥州を打つ。我が弟が敵じゃ」
 頼朝は、急に怒り出した。その怒りの激しさに、広元は驚いている。
(なぜだ。ご自分が命令なさったくせに。この殿は、京の女子のようなところがあるな) 
「院宣はどうなさいます」
「そのようなもの、必要ない。この頼朝の弟を殺したは許しがたい。奥州藤原氏め、余が総指揮をとって攻め滅ぼそうぞ」
 頼朝は甲高い声で、上ずって、まるでヒステリー状態のように命令していた。
「御意。いよいよ日本は、頼朝様のもとに」
「広元よ。日本よりも、俺は義経を殺した泰衡めが憎いのじゃ。父秀衡があれほどかわいがっておった義経を、自分が王国支配したいがゆえに、殺してしまいおった泰衡めがのう」
「はあ…」広元は急に気が抜ける気がする。
(一体、何を考えておられるのじゃ。が、まあよい。今は奥州藤原氏を滅ぼせばよいのじゃ)
 広元と頼朝は、しばし無言でみつめあう。
 頼朝は、急に昔にした義経との会話を思い起こした。
「兄上、父上は兄上に似ておられますか」
 頼朝は、急に義経にこう聞かれたのだ。
「なんだ、こいつは…」
 義経は真剣な眼差しで頼朝をじっと見つめている。
「こやつは子供か」
と頼朝は思った。
 義経、は父のことを覚えていないのだ。一二歳の時まで父親と一緒に戦い、無念にも負けた頼朝とは違う。父親の愛情を受けたこともなく、父の記憶もまったくないのだろう。義経の心のどこかに、父を思う気持ちが常にあるのだ。と、人間観察にかけては優れている頼朝は思った。
 (このような純粋な心を持っている奴は、かえって危ない。思い込んだらそれこそ命懸けだ)と、頼朝は義経の心の純粋さを羨み、そして義経を憎んだ。

一方、大江広元は、鎌倉へ来いという書状を受け取った日のことを思い起こしていた。貧乏貴族である大江広元は、昇殿を許されていない。つまり、帝にお会いすることなど、かなわぬのだ。
 しかしながら、幼少のころから蓄積された学問が、広元の自意識を肥大させていた。
(私は大江の家のものだ。自分ほどの者が、なぜ重用されぬのか。藤原の阿呆どもが、どんどん出世し、なぜこの俺が、このような貧乏ぐらしをしなければならぬのか)
鬱屈した意識が、一層勉学に打ち込ませていた。
 そんなある日、源頼朝の元にいる知人から、ぜひとも鎌倉へという手紙を受け取った。
新たな天地、板東の鎌倉!。新世界。
 広元は迷った。鎌倉などは町ではない。この当時、日本で都市といえたのは京都、そしてかろうじて南都奈良。そして奥州藤原の平泉。それ以外は泥臭い田舎である。教養人など、一人もいないのだ。 広元は文化の香りが好きだった。知的な会話を欲していたのだ。その知識人のいない鎌倉へなど。しかし、義経の存在が、広元の意を決しさせた。

 それは暑い日だった。
 その日、木曽将軍を滅ぼした義経の軍勢は、都大路を行軍していた。京の民は、「ほう、あれが義経か」と物見高く、都大路に並び、一目有名な義経を見ようとざわめいていた。義経は武巧一の武者であり、そしていわばアイドルスターだったのだ。
 広元は興味にかられ、庶民の間に入って、義経の軍勢を眺めていた。 「うっつ」広元は、衝撃を受け、急に道ばたに倒れていた。 何かが広元の額に当たり、一瞬気を失い、倒れたのだ。やがて、気がつくと、額が割れじっとりと血がにじんでいる。
「くそっ、一体」
「だいじょうぶかい、お公家さま」
 見知らぬ庶民が、不安げに広元に声をかけている。
「一体、私はどうしたのだ」 思わず、ひとりごちていた。
「お前さん、気付かなかったのかい。義経さまの馬が撥ねた石が、お前さんの頭に当たったのさ」額に手をあてる、じっとりと血がにじんでいる。
「何…、今、義経は…」
 怒りの勢いに、その庶民の男はのけぞり指さす。
「ほら、あそこさ」
 広元は勢いこんで人込みをかき分け、義経の顔を覚えておこうとした。
「おのれ、義経、覚えておけ」
(相手は凱旋将軍。何も覚えてはいまい。俺は単なる路傍の石。が、今に見ておれ)
何かが広元の中ではじけていた。
(俺は、俺の知識で新しい国を作ってやる)
急にそんな思いが、広元の心を一杯にした。思いもかけぬ考えだった。そんなことを、今の今まで考えてもみなかった。

 この日、しかし、民衆の羨望の目を浴びながら、にこやかに、すこやかに、何の苦労も知らぬげに、都大路をゆったりと後白河法王の元へ向かう義経に、広元はどす黒い怒りを覚えた。

■五 一一八九年(文治五年) 十三湊(とさみなと) 
  
 津軽平野を横切る岩木川の河口に十三湖と呼ばれる海水湖がある。現在は狭い水戸口で日本海と結ばれているが、昔は広大な潟湖であった。
 義経と吉次が目指していた十三湊(とさみなと)がここである。 藤原秀衡、その弟秀栄の勢力圏である.この十三湊を中心に蝦夷地、中国大陸との貿易を行い、繁栄していた。この湊から貿易された蝦夷や、黒龍江など、異民族の産品は、京都に送られ、公家たちを喜ばせていた。
 夷船、京船など各国の船が商売を求めてこの港をおとづれている。その船どまりに、吉次の船は停泊している。船を外海用の船にさし変えて出かける。食糧、水を積み込むためである。

「吉次よ…」と義経は吉次に呼びかけていた。牛若の頃を思い出している。
「そうだ、あの源空はどうしていよう。今の私の姿を見たらどういうだろう」
源空はすでに法然として宗教活動にとりくんでいる。後白河法皇も帰依しているのだ。
(無駄な殺生はおやめなされと今でもいうかな。だがすでに私の手はもう汚れている、平家の若武者の屍をいくたり気づいてきたことか。日本全国に死体の山を気づいていた。兄じゃのために、その私が兄者のために、この日本を追われるのだ)

今はもう若き頃、思い出だ。
「京都の鞍馬山、よう冷えたな」
「はっ、殿。京と鞍馬山よりも奥州平泉の方が寒いのではありませぬか」 吉次は、義経の質問の意味をうまく理解できずに答えていた。
「いや、吉次。人の心じゃ。京の人の心は冷たすぎる。あの都市の地形によるものなのか」
「が、殿、これからゆかれる蝦夷はもっと寒うございますぞ。雪も深うございます」
「そこに住む人の心が暖かければよいが…」少しばかり義経は考えていた。
「ところで吉次。静は健やかだろううか」
「心配なされますな。後ろ盾には西行様がついておられます」
「が、西行様もお年じゃ」
「ようございますか、義経様。義経様が今日あるは、西行様の深慮遠謀のお陰。すべて考えられる手は打っておられます」
 義経は、目の前に広がる寒々とした日本海の海面を見つめ、寂しそうにして言った。
「そうであろうな、無論。が、吉次殿、お前はなんで私を逃がす手助けをした。なぜ心変わりした」
「吉次は商人。利で動きますぞ」吉次は僅かに笑ったようだった。
「利か。私と一緒にいて、お主に何の利益がでるか」
「ふふう、それはこれからの義経様の動き次第。よろしいか、義経様。十三湊の先は宋国そして、あの金でございます。また新しい国が誕生するとの噂も聞いております。その時に義経様に助けていただきましょう。藤原秀衡様の祖父、清衡様は、昔から黒龍河を逆上っておられます。その河の沿岸には、商品が数多くございましょう」
「それに吉次、俺は蝦夷の地図を持っておるからのう」
「そう、それでございます。それは言わば宝の地図。いろんな商材がありましょう」
 吉次は遠くを思いやるような眼をした。
「もう一度、夢を追ってみるか」吉次は思った。
 (奥州藤原秀衡様のお陰で一財をなした。が、その秀衡様も今はない。これからの日の本は、源頼朝殿の世の中になる。が、そのうち外国で一儲けも二儲けもしてみよう。商人吉次の心には、もう日本の事は映っていないかもしれない。
出雲、備前、播州、大坂渡辺、京都平泉第、多賀城、平泉。あちこちを移り住み、商売をした。平の清盛と共に奥州の金をつかい、福原で宋の商人と貿易もした。日本全国に吉次事の手配の者が散らばり商売を行っている、主人であるこの儂がいなくても、商人の砦としての吉次王国は揺るぎもしまい。儂の後輩が跡を継いでくれよう。日本全国に儂のような商人が増え、日本の商売が繁栄し、日本が繁栄するだ)吉次はそれを、望んだ。(日本が平和であればよい、すでに頼朝殿により、日本は統一されるだろう)

 もの思う吉次、義経二人の前に、唐船が、突然現れて、義経らの船腹に急激に力任せにあたっていた。衝撃が走る。
 「む、この唐船は、何用」
 「何奴?」
 船から竿がのび義経の船へ。その船へ飛び乗ってきた僧衣の聖たちが、突然、義経を圧し囲んでいた。
「義経様、お命ちょうだいいたす」聖たちが叫んだ。
「待て、お主ら、誰の手の者じゃ」
「我らか。我らは文覚様が手の者じゃ」
「何!文覚」
「今はもう頼朝様が世の中。義経様のこの世での役割、もう終わられたぞ。消えていただきたい」
「まてまて、お主ら、文覚殿にお伝えあれ。この義経は兄上と張り合う、そのような望などない。もう私、義経は日の本にはおらぬ。遠い国へ行くのじゃ。日の本のことなど預かりしらぬこと」
「それが俺らは合点が行かぬ。いつ帰って来られるかわからぬ。それは頼朝様が世を危うくする」
 聖たちは、八角棒を構え、殺意をあらわにしている。義経はしかたなく刀を引き抜いている。坂上田村麿呂将軍の刀である。飛びかかる男を二人切り放った。
船上で、殺戮が始まろうとした。

「まて、皆、やめよ」
戦船の長らしい男が、船からわたって来て、義経に対対峙していた。
「義経様と存じ上げます、我らも無駄な殺生はしたくはございません。文覚様からの伝言をお聞きいただきたい」
「何、文覚殿の…、申してみよ」

「もし、坂上田村麿呂将軍の太刀をお返しくださるならば、我々手を引くように言われております。我らが目的はその太刀でございます」
「なに、この大刀を…」
「さようでございます。その太刀は征夷大将軍の太刀、大殿様にとっては征夷大将軍という位、大切なものでございます。また皇家にあっては、その太刀が外国に渡ること、誠に困難を生ぜしめます、なぜなら皇家にとって、その刀は蝦夷征服をして統一を果たした日本国を意味する大事な刀でございます」
吉次が言った。
「義経殿、よいではないか。お返しなされい。そんな太刀など、どうでも良いではございませぬか」
「何を言う、吉次。お前も知っておろう。この太刀、我が十六歳のおり、鞍馬から盗みだし、ずっと暮らしを共にしてきた刀じゃ。そう、やすやすと…」
船長が、続けて言う。
「では、こういたしましょうか。約束をもうひとつ。もし、その太刀をお返しくださるならば、決して義経様が和子、義行(よしゆき)様を襲いはしないとお約束いたしましょう」
「我が和子をか。くそ、文覚め」
「が、殿、このあたりが取引の決め所かと」吉次が告げる。
「この商売人めが。むっ」
しばらく、義経は考える。
「よい、わかった。この太刀、お返しいたそう。が、必ず、我が和子、義行がこと、安全をはかってくれ」
 義経の太刀は、頭らしい男の手に渡った。

やがて船と船とを繋いでた桁が外されている。
「では、義経殿。よき航海を、いや失礼いたしました。これから先の事。我々の預かり知らぬことでした。我々は義経殿には合ってはおりませぬ。ただ、海から行方知らずの太刀を、拾いあがただけの事」
 両船は、少しずつ、離れて行く。
「が、義行のこと、必ず約束を…」義経は船にむかい叫んだ。
「わかり申した。文覚様にそう告げます」
「大丈夫でしょうか」吉次が疑問を投げる。
「まあ、西行殿、鬼一殿、生きておわす間はな、大丈夫であろうよ」
義経は、遠くをみながら言った。

■六 一一八九年(文治五年) 鎌倉

「さあて、源氏の古式にならい、旗をあげる時じゃ、広元、準備おこたりないか」
源頼朝が言った。
大江広元は大江国房の孫である、平泉に攻めいるは源氏が「前九年の役」からの野望であった。
「源氏の血を奥州に広めねばならん」。
「大殿(頼朝)様、日本のすべての国に動員をかけませ。頼朝様の見方かどうか判断できましょうぞ」
「ということは、源平の争いのおり、我が源氏の軍に刃向かいものどもにも、動員をかけるわけか」
「さようでございます。今天下は大殿さまに傾きつつあります。誰が味方か、敵か、この動員に参加するかどうかで見事にわかりましょうぞ。これにより、大殿様の天下草創が周知徹底できましょうぞ。すなわち、源氏が武家の王であることが見事証明できましょう」
「わかった。みなまでいうな。広元、その力をもって平泉を征服しょうぞ」


東国は将門(まさかど)の乱の後、1028年(長元1年)平の忠常(ただつね)が反乱を起こした。追討使は源頼信。多田の満仲の子供である。
源頼義(よりよし)は前九年の役(1051年から1063年)、後三年の役(1083年-1087年)を通じて関東平家を郎党とする事に成功した。

源頼義(よりよし)は、板東の精兵を、奥州の乱の鎮圧に動員した。その契機は平直方(なおかた)の娘婿となったからである。忠常(ただつね)の乱のおり、平直方(なおかた)は追討使となり、源頼義(よりよし)の騎射の見事さに感心し、娘を嫁がした。
平直方(なおかた)は鎌倉に別荘を持っており、源頼義は義理父からこの屋敷を譲り受ける。鎌倉は関東平氏のの勢力範囲であったが、源氏は関東地方に人の支配権を得た。源頼義の子供であり平直方(なおかた)の外孫である義家(よしいえ)は、前9年の役、後3年の役でその武名を天下にとどろかせた。

源義家よりの4代目が、源頼朝、源義経の兄弟である。後三年の役は1087年に終わり、その100年後、頼朝の私戦、「奥州征伐」は、1189年7月に鎌倉の出発を持って始まる。
頼朝は、新しい日本歴史を作ろうとしていた。日本の統一である。

■七  一一八九年(文治五年)九月 平泉王国   

 (なぜ私が攻められるのじゃ)。奥州王である藤原泰衡は悲しくなった。(約束を守ったではないか。ちゃんと頼朝が言うとおり、義経を殺し、その首を差し出したでしないか。義経を差し出せば、奥州は安堵するという約束をしたではないか。くそっ、西の人間など、やはり信頼できぬ。この戦どうしたものか。助かる手段はないものか。そうじゃ、ともかくも頼朝に平謝りに謝ろう。そうしなければ、親父殿、祖父殿に申し訳が立たぬ。この身、どうしても奥州仏教王国守らぬばのう。そうだ、まだ西行がおる。あやつを捕まえ、頼朝に申し開きもうそう。そうだ、それがよい)
 奥州の平泉王国第四代国王、藤原泰衡は思った。
 が、一瞬後、その命が吹き引き飛んでいた。郎党、河田次郎の裏切りであった。奥州黄金郷は、ここに滅んだ。
一一八九年(文治五年)九月三日の事である。

■八 一一八九年(文治五年) 平泉王国 
  
 平泉王国の焼け跡を馬で見回る二人の姿があった。源頼朝と大江広元である。
 文治五年(一一九六)八月二二日、頼朝の奥州成敗で、実質上日本統一がなったといえる。大和朝廷の成立後も奥州は異国であり、異国であり続けた。
 二人は、中尊寺のところに来ていた。この寺跡は焼け残っている。見上げる頼朝は、感動していた。
「おお、広元、この平泉王国の富、さすがというべきか」
「ははっ、聞きしに勝る都城でございます」

 西行がいった通りだと頼朝は考えていた。平泉は仏教王国だった。なにしろ、頼朝は、伊豆に流されて以来、毎日毎日読経ばかりだったのである。心根に仏教教典が染み付いている。空で経文がいくらでもいえるのだ。奥州藤原氏に対するやっかみの心が、頼朝に擡げてきた。
(こやつら奥州藤原氏にだけは、負けたくない。私が日本の統一者だからだ。私が日本一の武者の大将なのだ。それならば、私の町鎌倉にもこのような寺が必要だ)
「このような寺を鎌倉に作るのじゃ。鎌倉が、都や平泉に劣ることあれば、われらが坂東武者、源氏の恥じぞ。この平泉におる職人共をすべて鎌倉に連れ帰り、寺を建てるのじゃ」
「心得ました。この平泉にある寺の縁起、すべて書き出し、我が手に提出致しますよう命じてございます」
 頼朝の願いどおり『鎌倉には、平泉の寺院を模倣した寺が建てられた』が、それは平泉には及ばない。所詮は、平泉の寺院のコピーでしかないのだ。コピーは本物をこえることはできない。

 やがて、頼朝は、目下気になっていることを聞いた。
「泰衡が弟、忠衡、発見できぬか」
「いまだ発見できませぬ」広元は残念そうに答えた。
「ええい、忠衡がおらねば、黄金の秘密一切わからぬとは」
  古代東北の地、中でも気仙地方は、世界でも最大級の豊かな金鉱を有していた。今出山金山、氷上山の玉山金山、雪沢金山、馬越金山、世田米の蛭子館金山などである』
頼朝はいらついている。
(この国を攻めたは、実は奥州黄金を手に入れることぞ。この国の王には黄金が必要なのだ、あの京都を凋落するのは黄金が一番なのだ)
「国衡も見つからぬのか」
「いまだに姿が見えませぬ」
「ええい、国衡もいないとならば、奥州の金を手に入れたことにはならぬ。されば何のための奥州征伐ぞ」
 怒りの目で、頼朝はあちこちを見回している。その時、何かがキラリと光り頼朝の目をいた。
「あれは…」
 頼朝が、小高い台地にある焼け跡に目を移した。あきらかに何ヵ月か前の焼け跡である。

二人は高館の跡まで馬を走らす。
「この場所が、義経殿が最期を遂げた場所でございます」
 広元が冷静に告げていた。
「義経が死に場所か……よし、少しばかり見て行くとするか」
 その頼朝の目には、涙がにじんでいる。頼朝は馬を、その台地に乗り上げ、ゆっくりと馬から降りた。その場所から崖が北上川へと急に落ち込んでいて、東稲山も間近に見える。頼朝はその風景を見ながら思った。
「目の前のあの山が東稲山でございます。西行殿が愛でた桜山です」
(義経、なぜ私の言うことを聞かなんだ。俺は武士の世を作ろうとしたのだ。それを後白河法皇などという京都の天狗に操られよって…。我が兄の心根、わからなんだか。やはり母親の血は争えぬか)
頼朝は母常盤の血を引いていた、やさしい、さびしげな義経の顔を思い浮かべていた。
(あのばか者めが…)
太陽の光を受けて、頼朝の眼をいる輝きが焼け跡にある。
(これは…)
頼朝は、その土を触ってみた。何かが土仲から姿を現す。それは、猛火にも拘わらず、溶け掛けた銀作りの猫の像だった。見覚えがあった。
「大殿様、その像は…」
 広元が不審な顔をしている頼朝に尋ねた。頼朝は3年前の、鎌倉での西行法師の顔と話を思い起こしていた。
「西行め、こんなところに…、やはり」
 頼朝は悔しげに呟いている。
「では、その猫の像は、あのおり西行にお渡しなされたものではございますか」
「そうだ」
「やはり、西行は後白河法皇様のために…」
「いや、違うだろう。西行は義経を愛していたのであろう。まるで自分の子供のようにな…」
 頼朝は遠くを思いやるようにぽつり述べた。広元はその答えに首をかしげていた。

思い出したように頼朝が告げた。
「平泉中尊寺の寺領を安堵せよ」
頼朝は急に広元に命令を下していた。 頼朝は信心深い性格だった。三二歳で伊豆で旗を揚げるまで、行っていたことと言えば、源氏の祖先を祭り、お経を唱えることだけだった。
 まさに、日々、お経しか許されていなかった。毎日十時間の勤行は、頼朝の心に清冷な一瞬を与えていた。神、仏が見えたと思う一瞬があるのだった。この一瞬、頼朝は思索家と思えるものになっていた。
 頼朝は、自らの行っている幕府作りが日本の歴史上、大きな転換点になるとは考えてもいる。
板東の新王、ついに平将門以上の存在になった。
源氏の長者が、何世紀にもわたって成敗できなかった奥州も我が手にした。彼の考えていたのは、武家が住みやすい世の中を作ることのみであった。

■九 一一八九年(文治五年) 京都

 京都の後白河法皇御殿にも平泉落城の知らせが届く。
「頼朝、ついに平泉へ入りました」関白,藤原(九条)兼実が後白河法皇に悲しげに報告した。
「そうか、しかたがないのう。平泉を第二の京都にする計画潰えたか。残念じゃのう」
「せっかく夢を西行に託しましたが、無駄に終わりました」
「が、兼実、まだ方法はあろう」後白河は、また、にやりとする。
「と、おっしゃいますと…」 不思議そうに、兼実は問い返す。
(いやはや、この殿には…、裏には裏が、天下一の策謀家よのう。平泉を第二の京都にできなかったは残念だが、次なる方策は)
「鎌倉を第二の京都にすることじゃ。源氏の血が絶えさえすれば、京に願いをすることは必定。まずは頼朝を籠絡させよう。さらに頼朝が言うことを聞かぬ場合は…」後白河の目は野望に潤んでいる。
「いかがなさいます」
「義経が子、生きていると聞くが、誠か」
「は、どうやら、西行が手筈整えましたような」
「その子を使い、頼朝を握り潰せ。また、北条の方が操りやすいやもしれぬ。兼実、よいか鬼一法眼に、朕が意を伝えるのじゃ」
笑いながら、後白河は部屋に引き込んだ。兼実は後に残って呟く。
「恐ろしいお方じゃ」
兼実は背筋がぞくっとしている。

■一〇 一一八九年(文治五年) 伊勢

 西行も伊勢にある草庵で、平泉壊滅の知らせをききながら京都六波羅でのある男との会話を回想していた。

 いまから二十九年前、永暦元年(一一六〇)
 西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れている。清盛と話す西行から、座敷の遠くに幼児と母親が見えていた。
「おひさしゅうござる。西行法師殿の巷の噂、ご高名聞いておる。これがあの北面の武士、当時の佐藤殿とはのう」
 清盛は、西行に色々な歌を代作してもらったことを思い出して、恥じらい、頭を掻いていた。
「いやいや、北面の武士と言えば、あの文覚殿も」
「いやはや、困ったものよのう、あの男にも」
「今は、確か」
「そうじゃ、後白河法皇にけちをつけ、伊豆に流されておる。のう、西行殿。古き馴染みの貴公じゃから、こと相談じゃ。この幼児、どう思う」
「おお、なかなか賢そうな顔をしておられますなあ。清盛殿がお子か」
「いや、違う。常盤の子供じゃ、名は牛若と言う」
「おう、源義朝がお子か」
 西行は驚いている。政敵の子供ではないか。それをこのように慈しんでいるとは。清盛とは拘らぬ男よのう。それとも性格が桁外れなのか。自分の理解を超えていること確かなのだ。
「そうじゃ、牛若の後世、よろしくお願い願えまいか。西行殿も確か仏門に入られてあちらこちらの寺に顔もきこうが。それに将来は北の仏教王国で、僧侶としての命をまっとうさせてくれまいか」
「北の…」
 西行は、少しばかり青ざめる。
「言わずともよい。貴公が奥州の藤原氏とは、浅からぬ縁あるを知らぬものはない」
にやりとしながら、清盛は言う。西行は恐れた。西行が秀衡とかなり深い関係があり、京都の情報を流していることを知れば、いくら清盛といえども黙っているはずはない。西行は冷や汗をかいている。
「……」
「それゆえ、行く行くは、平泉へお送りいただけまいか。おそらくは、秀衡殿にとって、荷ではないはず」しゃあしゃあと清盛は言う。西行の思いなど気にしていないように。
「清盛殿、源氏が子を、散り散りに……」
「俺も人の子よ。母上からの注文が多少のう」
 相国平清盛は頭を掻いていた。母上、つまり池禅尼である。清盛も母には頭があがらぬ。この時が西行と義経のえにしの始まりとなった。

第六章 完


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