2016/08/12(金)21:02
源義経黄金伝説■第1回
源義経黄金伝説■第1回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。祭神は崇徳上皇(すとくじょうこう)。日本の大魔王といわれている。幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。「さあ。御君(おんきみ)、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師(さいぎょうほうし)殿との約束をお伝え下さいませ」幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。そして、陰都(かげみやこ)でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といた します。が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくだされ」御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。崇徳上皇は、保元の乱(ほうげんのらん)の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山(しらみねさん)に葬られた。讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門(うらきもん)であり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。空から、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが街じゃ。朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬぞ。見ておれ」この日、元号が明治と改元された。(続)2014版改稿作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所