藤維夫のブログ

2009/04/08(水)15:45

「あるるかん」24

夢判断」「犬の日」 山本まこと 夢判断」はかってにフロイドを連想した。 夢はふつう見たこともなかったのに夢で見ることがある。 この詩のなかに出てくる帽子とか安全靴とかは現実のありきたりの素材である。 母が探していたことを夢のヒントとしてあったにしろ、 過去が夢判断として浮上した今は とてもその意味するものは長い時代の履歴を秘めた感想に戻っている気がした。 夢は未来を見るのではなく、無数の無意識の記憶が造形され、 夢に現れるのである。 過去の軍国主義時代の遺物のように見える軍靴というから、 どうやら帽子だって因縁めいた帽子という連想も成り立つので、 「夢判断」を通りこしているとすれば この詩が必ずしも夢の出来事といえるかどうかはともかく、 不可解な理由をもった物件のようだと思う。 いったいどんな帽子だったかといえば 「あれはジェノサイドを傍観した帽子だった」という関係は 意味深長な行で何を語ろうというのか、 あるいはどういう「夢判断」につながるわけだろうか、 そのあたりがわたしにはよく理解しがたく いまもって読みかえしながら考えこんでいる始末である。 「犬の日」は第1連では実在の犬が語られ、 犬との日常のオピニオンを開陳していて交錯した詩だと思うが、第2連以下の5行    この劇からは遠い凡庸な土地にも    開けられたサージン缶のフタのギザギザ    裂けた目出し帽    人体のように開いたハサミを抱きしめるひとがいて    愛が危険な心の幕間 1行づつはわかるとしても、隠喩としてのつながりを発見するのに苦労した。 「凡庸な土地」という修飾された土地を面白いなと期待感をもちながら、 さらに手触りと具体的であって抽象的な何かのようなとまどいにとらわれる感じがしてならなかった。                               「壁の音」「猫」 森永かず子 「壁の音」はふつうに考えて見知らぬ町あたりのスケッチが具象的にとらえられたという気がするが、 わたしの飛躍した感想では生と死の間の隠喩としての壁そのもの、 ふつうの内面的な壁だろうか、 それとも政治的、時事的なものなのかという壁のイメージでいえば どんどん壊したりするもの、立ちはだかることばの隠喩としてもある。 サルトルから現代の今にまでつづいている、危機的な状況の隠喩がどうしても考えられることだ。 わたしの感想は一方的でかってな読みをしたものだが、じつは素直なこの詩の場合では    今この部屋の窓のうえに    細い糸をひきながら    雨が降りはじめる 見知らぬ町の旅の心象でもあるわけで、 たんに通過できなかったのが印象づよく心に残った。 「猫」もそうした平和でおだやかな作品なので、 しかもごつごつした観念の澱りがとれた慈愛の和みがあふれている。ある日夕方猫がきて やがて鳥も去って行ったように去るのである。 その間の「目にみえない時間」が流れていくときの描かれた姿を しんみり想像させられて作者が癒される誠実さに感動した。

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