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山ちゃん5963

18.入学試験19.育英会

十八、神戸大学での入学試験

昭和四十年秋、明石高専の入学試験が六甲道神戸大学教養学部にて行われた。前の日から父とワシは神戸市垂水区の山口三郎伯父宅に宿泊させてもらっっていた。三郎さん家は二階建の庭付き一戸建てだった。三郎伯父は柏原高校の卒業名簿には見当たらず、いったいどこの学校を卒業したのだろうか。しかし、とにかく三郎伯父さんは、その頃すでに『兵庫飼料株式会社』の社長をやっていた。しかし、どうしてそこまで出世できたのか、ワシは何も聞いておらんのう。もう一人山口五郎さんちゅう人がおっての、この人は本家の山口新二さんの兄弟じゃったが、神戸市六甲道に住んでおって、空調ダクトの製作工場の社長をしておった。しかし、二人の山口家の身内がそろいもそろって裸一貫でスタートしてその頃すでに二人共社長さんだったのだ。これはまた、たいしたものやーないか。ワシはその時、別に社長になりたいとは考えなかったぞい。

試験前日は興奮して、また、親戚の山口三郎家のため、勉強が手付かずだった。よって、早く二階の客間の寝床にはいった。父と同じ部屋だったわい。しかし、特に話はしなかった。まあする話は無かったということかいな、それとも緊張しとったという事かいな。寝つきが悪かった。
明くる日父とワシは垂水駅から国電に乗り六甲道に向かった。さてさて入試当日。外は晴れじゃったなあ。六甲道から歩いて神戸大学教養学部にアスファルト道を登って行った。気分はすこぶるよろしかった。体調も良好だった。頭の回転も最高じゃった。国立明石高専入学試験は国公立の入試の筆頭だったなあ。ワシは国立明石高専受験に落ちても兵庫県立柏原高校の願書はまだ出せたのだ。しかしワシには、その気はなかった。絶対国立明石高専一本じゃったなあ。兄は兵庫県立篠山産業高校の機械科じゃった。ワシや建築に進みたかったが、建築学科はまだ無かったと思っていた。だから兄と同じく機械工学の勉強をしようと考え、倍率十倍の機械工学科に願書を出した。ワシゃ不合格なら働く予定だった。これはワシがいつも使う『背水の陣』だよなあ。今でもよくやる手だなあ。本当だよ。入学試験はワシにはとっても難しかった。その試験の中身は忘れてしょまったがのう。自己採点したが合格点ぎりぎりだった。はたして運命の女神はワシに微笑むのか?

そしてその試験結果は、山口三郎伯父さんの嫁山口孝子さんによりもたらされたのだ。電話が鳴った『リーン、リーン、リーン』『はい、こちら、山口ですが……』『和久さん、明石高専に合格してるわよ……よかったわねえ……』『ほんまか……・』じつは後になって知ったが明石高専にはその年建築学科が出来ていたのだったわい。でもワシは建築学科より機械工学科に合格してそれがよかったのじゃ。

十九、日本育英会奨学金

担任の谷田担任が『明石合格おめでとう、よかったのう、山口よ、お前の家は貧しいから(よけいなお世話じゃわい)、奨学金もらえるぜ。手続きしちゃるからのう。』と言う訳でワシは日本育英会から奨学金をもらったのさ。月々四千五百円。五年で二十七万円だねえ。これで明石高専の月謝は足りた。国立だからものごっつう安かったなあ。飯代は父が出してくれた。しかし父は苦しい家計からよくワシの教育費を捻出してくれたと思うぜ。本当に本当にありがたいことですばってん。明石高専を無事卒業でけたから今日のワシがあるのだ。本当にありがとう。今、父は遠い天国におるから聞こえないわい。だから母にお礼言うとこう。ありがとう。お世話になりました。出来るだけ母によくしてあげようと思う心はここからもくるんじゃよ。もちろんワシが日本育英会から借りた金はすでに全額支払ったぞやい。



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