32.高円寺間借三十二、杉並高円寺間借りその頃、泰俊兄は高円寺に住み、その後中目黒へ移り住んだ。勤務先は赤坂『MUGEN』だった。無限だったか夢幻だったかよく覚えていないが、ワシは遊びに行った。兄はそこで、バーテンダーをしていた。ある時会社の同期入社の三井さんとMUGENに遊びにいった。兄はボトルを用意しておいてくれた。ありがたいのう。もつべきものは肉親じゃのう。そこで、ワシも兄にひきつられ清水建設株式会社松戸寮から高円寺の間借りに移り住んだ。住所は次の通り。東京都杉並区高円寺北。 その頃のワシの仕事は建築現場の建築設備現場巡回管理じゃった。一生懸命やったぞ。その現場名で言うと 1 東京信用金庫田無女子寮新築工事 (所長は倉品所長だった、設備は小野設備主任と野村担当と共に現場巡回管理した。空調は東京三冷社佐藤担当) 2 陽輪台高円寺マンション新築工事 (岩屋所長だった。今は好々爺になっておられる(同期の野村談)。空調は市ノ瀬主任だったがすでに退社、新菱冷熱が衛生設備工事担当。電気設備工事は雄電社。先日(平成十五年)ウォーキングで前を歩いた陽輪台高円寺マンションは今もそびえていたぜ。かつて施工した建物を訪れるのは非常に楽しいもんだぜ。) 3 小伝馬町川島紙店新築工事 (今の川島株式会社 小伝馬町川島紙店のあたりは何が有名だったかというと、昔、江戸時代に小伝馬町牢屋敷があった場所であった。すぐ隣に大安楽寺があって、斬首刑を行っていた処刑場跡を浄める為に明治初期に建立されたのじゃ。江戸末期、井伊直弼の安政の大獄の際には吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎ら五十人もここで処刑されているのう。昔、叔父嘉は吉田松陰を徹底的に研究した形跡があった。 まあそのような歴史も勉強しながら、川島紙店新築工事を行い完成したのじゃ。竣工式は昭和四十七年九月二十九日(金曜日)に挙行された。取締役中島金之助。ワシはそれに出席した。さて、今でもこのビルは立派に川島株式会社の役に立ち続けておるぞや。建設した担当者にとってはとってもうれしい事じゃよのう。本当じゃよ。) 4 新宿御苑丸山園女子寮新築工事 5 大塚東京ブラウス新築工事 6 新橋酔心本店新築工事 (鶴巻所長だったなあ) 7 兼松江商東京第二ビル新築工事 (佐藤所長だった。SHIMZ 専務取締役より昭和四十八年六月二十一日優秀施工工事表彰を受けた。しかし、この建物は、もうすでに解体されている。この建物は寿命が短かったのう。この場合は寂しいものじゃわい。今は新しく免震ビルが完成しとるぜ。時代の流れよのう) 8 渋谷NCR新築工事 (工事途中に建物計画部分の空中にマイクロウエーブが貫通している事が判明し建物上部が切断せざるを得ないというハプニングあり。これも寂しいはなし……)等 であるが、これらはほとんど同期の野村(富山高専、富山出身、現在MILX勤務)と共に巡回管理した。野村は電気工事管理、ワシゃ機械設備(空調衛生)設備工事管理じゃった。二人でよく頑張ったもんだぜ。なあ。まあこの工事途中で転勤が決まったが…… ワシ等ーぁ、しかし、仕事から帰ると暗く冷たい高円寺の三畳の部屋が待っとったなあ。しかしその三畳は小さくても自分の城じゃからのう。一応。それから、ワシは近くで晩飯を食い、その後風呂行きだった。しかしなんとなく味気ない夜が続いたなあ。だから、よく飲みまたよく勉強したもんじゃ。 |