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山ちゃん5963

33.広島転勤

三十三、広島支店転勤

昭和四十八年一月一日から社員に任せられた。同年三月一日から広島支店勤務を命ぜられた。希望があった。高円寺の下宿部屋からリヤカーで高円寺駅まで荷物を運んだ。独身者に荷物は何もなかった。東京駅から広島まで東海道新幹線にて行った。広島駅に降り立ち市電で八丁堀まで行きSHIMZ広島支店まで歩いた。広島縮景園のすぐとなりに広島支店はあった。また広島城もすぐ隣にあった。設備課の課長は大竹課長だった。四月一日から三級職になった。広島支店には大星主任と、前内主任(鳥取中央病院常駐勤務)がいた。もう三人とも退職されたなあ。広島のワシの住所は広島県安佐郡祇園町大字長束平原長束寮だ。おばさんは重田さんだった。お世話になった。ワシは毎日頑張ったぜ。設備工事現場巡回管理を行った。現場巡回管理は非常に辛かった。守備範囲が広い。広島・徳山・島根・鳥取・山口が守備範囲であった。それを巡回しながら現場の進捗に合わせて管理していく仕事だった。ワシのような青二才の若造には、非常な心身の負担じゃったのじゃ。ああ青春の苦悩の結果、とうとうしまいにはその仕事に自滅し、ワシゃ辞表を書いて大竹課長に渡したのじゃよ。長束寮において布団袋に布団を入れて引っ越し荷物をまとめておったら、重田寮母さんが『まあ、何してんの』とワシをいさめた。その内大竹課長がやってきた。二人牛田の河原でゴルフの打ち放しをして話合いの結果、事無きを得た。また次ぎの日から広島支店で働きだした。

昭和四九年八月一日から五十年八月九日まで広島清水ビル新築工事に常駐管理した。作業所長は清水所長、工事主任は井原だった。施工図班の川本もおった。総工事費○○億八千七百万円。そこでは一番の友は川本だった。今も広島で元気に仕事をしとるぞや。ここの仕事は同期の宮崎(現設計副本部長)が空調・衛生設計者だった。全館Variable Air Volum System(空調可変風量システム)による省エネ設計だった。トイレは全館超高層ユニットトイレシステムにワシが変更したんじゃ。ワシと第一設備の山下担当者は東京の超高層の見学をおこなう事で知識の補充をおこなった。また同時に衛生シャフトと換気ダクトシャフトは超高層用にユニット化した。無事工期通りに竣工し現在も順調にSHIMZ広島支店の機能をはたしとるぞや。
この現場もSHIMZ取締役広島支店長より昭和五十年十二月十九日優秀施工工事表彰を受けた。

昭和四十九年九月三十日父完二は次の手紙をワシに送った。

悠久の大地に比べて
人生は短く
人はまた妻子を持たねば
幾歳になっても幼い

わしも二十三歳であった。そろそろ妻子を持つ事を真剣に考え始めた。そして実行に移し始めたのだ。


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