36.花嫁入籍三十六、花嫁入籍とパスポート昭和五十年十一月四日島根県松江市長あて婚姻届けを提出した。その日、冬の雨が降っておった。松江というところは、弁当忘れても傘忘れるなちゅうほどよく雨の降る土地なのだ。確か前の日に大内母と恵理子が松江に来たのだ。ワシは事務の浜田さんに頼み、もうすでに新居は用意してあった。浜田さんには黒耀石をもらったなあ。さて、住所は島根県松江市浜乃木町 浜乃木ビル五○○号室というところで、窓から宍道湖に浮かぶ『嫁が島』がよく見えた。この嫁が島は江戸時代出雲から松江に嫁入りする御嫁さんが一度立ち寄り嫁ぎ先の平安と実家の平安を祈ったと言い伝えがある。天気がいい日の宍道湖の夕焼けはとても美しかったぜ。嫁入り道具は恵理子と義母秋枝が松江一畑百貨店にて購入した。緑の三面鏡。桐の箪笥。水屋。その後いったん恵理子と秋枝母は丹波市島に帰って嫁入り支度をした。この早い入籍は父のアイデアであった。実は新婚旅行はアメリカのグアムとサイパンを予定していたのだ。そのパスポートが山口和久と大内恵理子では非常に面白くない。だからパスポートを取得する前に入籍し、パスポートは山口和久と山口恵理子となった物を使いなさい。と父は示唆したのだ。島根県庁にてパスポート申請を行い昭和五十年十一月二十日発行された。十一月二十一日には疱瘡の予防接種に関する国際証明書を取得。十一月二十八日にはアメリカ渡航ビザを取得した。これは大正解であった。他の夫婦ものは皆旧姓で新婚旅行をしておったが、我々のみ新姓山口和久&山口恵理子で新婚旅行出来た訳だから。ワシはこの頃からアメリカが好きやったんかいな。 |