37.出雲天照三十七、出雲天照大神昭和五十年十二月三日松江ホテル一畑にて出雲大社天照大神の御許で結婚した。天照大神の御前で誓いの言葉を発して受理されたのであった。結婚指輪の交換もしたぞや。結婚式後の結婚披露宴の司会はホテル一畑増築工事SC作業所西村所長にお願いした。有り難う御座いました。友として飛行機で二部屋滋が松江にきた。野村正信はその日国鉄ストライキの為こられず。我親族として父山口完二、母山口玉枝、兄山口嘉孝、伯父松本悦治、伯父山口三郎(おじさんはヘビ皮の財布をくれた、よく金がたまるだって、中に中華民国のお札が入っておったよなあ)、叔母山口孝子、甥山口充弘、甥竹山行雄、司会西村信孝、現場田中信夫、中村清人、現場川本勇次が出席した。花嫁恵理子の親族はバス一台を仕立てて、義父大内伊三郎、義母大内秋枝、義兄大内治、義姉大内喜代子、大内一彦、大内里美、義兄木下剛之、姉木下八重子、芦田喜治、姉芦田文代、芦田瑞樹、が恵理子の友人として田中郁子、近藤明美が出席した。その結婚バスツアーの中で新婦は多いに歌ってバス旅行を満喫したそうな。高砂やー帆の裏船にー帆をあげて……なかなかワシは人生一度の舞台は緊張したねえ。写真はたくさん写したぞ。しかし、ビデオが無いのだ。残念だが仕方がないのう。その結婚式披露宴の席で新妻恵理子が歌を披露したのだ。『瀬戸は日暮れて、夕波小波、あなたーの町へ、御嫁に行くの、若いと誰もが心配するけれど、愛があるから、大丈夫なの』そうだ、瀬戸の花嫁だった。誰か言っていた『花嫁が歌うた披露宴なんて始めてだよ』『ええじゃーないの、いい歌だったじゃん』さてさて、二人でウエディングケーキカット。それから出席者のテーブルへキャンドルサービス。大竹課長が祝辞を述べた。仁部屋滋は歌をうたった。『赤いりんごにくちびるよせて、だまってみている青い空、りんごはなんにも知らないけれど、りんごかわいいや、かわーやりんご、りんごかわーいや、かわいやりんご』この『りんご』の部分を『恵理子』と変えてうたったのじゃよ。最後近くには恵理子から山口家へ花束贈呈、次にワシから大内家へ花束贈呈。最後の親父の挨拶はいまでも思い出すのう。 『えー、本日は寒い中、皆皆様におかれましては、あー、この遠い松江まで息子和久と恵理子の結婚披露宴に出席たまわりまして、まことに有り難うございます。エヘン、この二人はまだまだ未熟ものでは御座います。今後ともご指導ご鞭撻賜りますようよろしくお願い申しあげます。本日はまことに有り難うございました。』嬉涙。というような感じじゃったのう。 |