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山ちゃん5963

四十七、東京立川へ

四十七、東京立川へ

SC本社設備部に斎藤部長という部長がいた。その頃、MC(SC)はイラクバグダッドに大型プロジェクトを契約。総工費八百億円。バグダッドに四十四万平方メートル二千六百戸の住宅を建設する事に決定。そこで、日本人技術者が不足した訳だ。建築技術者も設備技術者もまた事務職も不足だった。斎藤設備部長は広島支店に技術者買いにやってきたのじゃったのだよ。昔、藤吉郎秀吉が墨俣築城で郷士蜂須賀小六のところに人夫の調達の為に駆けつけたようになあ。さて広島の某料亭で斎藤部長が一席ぶった。部長は月光仮面のようにアラブ首長国連邦においてバイクで走りまわった話をしておったのう。野球好きの非常におもろい部長だったわい。さて、当広島支店設備課からはまず、ワシと同期の坂本善紀が海外転勤に手を挙げた。『山口はどうかい』と斎藤部長は聞いた。『おもしろそうですのう』と答えたら、それで海外行きはもうその場で決定していた。なぜか、すぐに辞令が届いた。

『昭和五十七年一月十六日本社設備部勤務を命ず』
ワシらー親子四人は又引っ越しだい。ワシ等ー引越し貧乏ではなかった。なんとなればもうすでに子宝二人合計四億円も持っておったもんなあ。ははは。広島駅に広島支店の同僚とその家族が見送りしてくれた。『万歳』山陽新幹線にて新天地へ、出発。『さようなら広島支店の皆さん方』寧々四歳、秀吉二歳。その日は立川北口のホテルに一泊した。が、翌日我々の行き先は東京都立川市錦町六の二七の七立川マンション一一〇二号室。ここはワシが入社した時昭和四十六年にSC量産住宅部が建てた十一階建の優良量産社宅じゃった。特にその頃は海外へ行く社員の社宅専用のような気がしたのう。そこには海外に転勤し国内で留守を守る家族がいた。イラクの吉井さんとか、同期の坂本善紀とか。ワシ等の部屋は十一階の最上階だった。エレベータで最上階に上がり右に曲がったところの突き当たりから二つ目の部屋2LDKだったなあ。まあ親子四人が住むにはちょうど良かったのう。別に狭くは無かったのう。窓から外を見ると立川市民球場、そして多摩川が流れていたなあ。天気が良い日には、はるかかなたに富士山が望見された。なかなかいい住居じゃった。家族はここに約七年間も住むことになるのじゃった。まあどこでも、ワシ等住めば都だって。


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