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山ちゃん5963

山ちゃん5963

第三部六十七、山口和久遺書(部分)

『山口ファミリーヒストリー』


一、 はじめに

第一部と第二部に関しては、山口ファミリーの過去を、克明にまた正確に記したつもりじゃがのう。さてさてここから先は、『啓示の書』とも言えるのであるぞや。なんとなればこれから記す事は、山口ファミリー家長以下の諸君全員および関連する人々の将来に大きく、また大きくまたまた大きく関わることじゃからのう。諸君の道を大きく大きく開いて行くのは、諸君自身なんじゃよ。本当じゃよ。まあそのつもりでじっくり読んでくだされや。たのむぞや。まず、ここにはワシの遺書から記すがのう、実はここからワシの第二の人生が正に始まっているのじゃよ。執筆開始は平成十五年十月一日。追記は二日。三日。四日。五日。六日。七日。八日。九日。十日。十一日。十二日。十三日。十四日。十五日。十六日。十七日。十八日。十九日。二十日。二十一日。二十二日。二十三日。二十四日。二十五日。平成十六年八月六日。平成十七年五月四日。七日。

第三部

六十七、山口和久遺書(部分)

ワシ山口和久は、もうすでに五十四年もこの地球上の世界に生き長らえてきたのじゃのう、第一の人生としては少し長生きし過ぎじゃのう、よって、ここに我人生の一区切りとして『山口和久遺書』をしたためるもの也。それから、ワシはあの鬼界には決して行かずに、この世にまだまだ留まり、ここ地球上に第二の人生が始まっておるのである也。それを理解出来る輩がはてはて諸君の中におるかいやのう。おれば、そやつはたいした奴じゃよなあ、ワシャほめてとらすであろうぞなもし。

そこでじゃ、まず最初に申し述べるのは、諸君兄弟姉妹皆仲良くやれよ。ワシが一番言いたいことはそれじゃよ。兄弟姉妹とは歳の順に賢一+寧々+藤吉郎秀吉+愛々+茶々の事じゃよ。次にワシの第二の人生死亡時の遺体処理についてじゃがのう、まず葬式は不要であるぞや。もちろん葬式が無いから弔問・香典・献花も全く不要の事也。その手のものは一切断っておくれでないかいなあ。遺体はこの日本にあっては、法に則り、多分昭島市の火葬場(どこにあるか調べていないが、昭島セレモニーホールもあるから、火葬場もまちがいなくあるじゃろうのう)にて火葬する事じゃ。骨は昭島の庭で肥料にするもよし、多摩川に撒き、鮎の餌に(ならんだろうが)撒くも良し。まあ、よろしく頼むぞやーい。また当然のごとく初七日・七七日(四十九日)・一周忌・三回忌・七回忌・十七回忌も不要じゃよ。ワシは諸君の頭の片隅に鎮座ではなく君臨しておればそれでええんじゃよ。諸君の父の山口和久は非常に楽しい一生を送ったとたんまに思い出せやーい。よく理解したかいや。よっしゃ。よっしゃ。ええぞ。その調子じゃよ。

もしワシが死亡時にアメリカ合衆国のハワイ洲か、イースター島か、ナスカか、エジプトか、また他の外国におったならば、これも葬式は不要、遺体は火葬か水葬か鳥葬かなんでもその土地のやり方に則るがええぞや、鯨にくれてやっても(鯨葬)、鷲にくれてやっても(鳥葬)よいぞなもし。日本に持ち帰る必要は無しじゃよ。まあ諸君のやれる方法でよいぞや。一応丹波山口家の先祖代々の墓にはいってやってもよいが(そこはすでに予約してあるからのう)、まあその必要も無かろうとも思うがのう。それも諸君が判断して決めてちょんまげやーい。諸君は墓も位牌も持たないじゃろうが、まあそれもよかろうのう。諸君は諸君の独自の道を歩めやーい。ただ丹波大崎仏現寺の和尚にはワシが死んだと報告してくれいや。それだけで良いぞなもし。しかし、その頃には広瀬和尚(泰俊兄の同級生の和尚)はこの世におらんかも知らんのう。

先日平成十五年十月十二日甲斐の韮崎にて武田新府祭りをやっとったが、武田信玄の子武田勝頼の新府入場を祝う祭りじゃ(ワシは二度目の参列じゃった)が、四百年間も毎年お祭りをしてもらって武田勝頼の末路はまあ哀れだったとしても、武田勝頼はまずまずの幸せ者じゃわい。甲斐大和には勝頼とその妻子が自決した場所があり、昔(平成十四年と平成十五年)、ちゃんとそこに行ってはきたが、もう勝頼の霊魂も無かったのう。ただ、秋の静けさが苔むした巌にあったわいのう。人は死ねばただそれだけのものじゃよ。むなしいこ?そんな事はないのう。何となれば、一生懸命生きてきたのじゃからのう。犬死にではないからのう。むふ。むふ。喝!!

ワシも茶々もお祭りは大好きじゃわいのう。それは諸君もよくご存知の通りであるわいのう。茶々は『昭島くじら祭り』が確か好きじゃったよのう。なぜか昭島の八高線の多摩川鉄橋下あたりで鯨の完全化石が見つかったのじゃよ。高校の先生が見つけたのじゃ。つまり、昔このあたりは海じゃったということじゃのう。それを祝うのが『昭島鯨祭り』じゃのう。昔の事を考えるのは、楽しいのう。そのころ昭島は海面下にあり鯨が泳いでおったとさ。茶々も地下を掘ってみな、多分貝殻の化石はごまんと出てくると思うよ。ここ掘れワンワン。楽しいもんじゃのう。

次ぎに山口家の財産の件じゃが、ワシゃ、あまりたいしたものは持っておらんのじゃがのう、一応ワシ名義の不動産としては、平成十七年五月現在次ぎの九項目があるのじゃよ。諸君も知っとると思うが羅列しておくと、

1 昭島市福島町二丁目 土地家屋 五千四百 万円
2 中央区日本橋蠣殻町一丁目 801号 二千六百十 万円
3 中央区日本橋蠣殻町一丁目 1003号 二千二百六十万円
4 静岡県伊東市池字中野六十四番
ワンウイークリゾート伊豆高原一〇二号 五十万円
5港区南麻布二丁目三番 八〇一号 二千四百四十万円
6アメリカ合衆国ハワイ島ハワイアンショアーズ
Hawaiian Shores #376 TMK 3‐1‐5‐97‐66
壱千七拾六 万円
7新宿区東新宿七〇一号 土地家屋 弐千五百 万円
8新宿区東新宿七一〇号 土地家屋 弐千五百 万円
9府中市藤吉郎秀吉マンション 土地家屋 弐千壱百 万円


となっており不動産の総額は、取得時の価格を単純合計すれば弐億九百参拾六万円也。あまりたいした金額(ワシの本心は『たいした金額やなあ』と思うておるが)ではないが、ワシがゼロから出発して五十三年目にしてやっと築き上げた財産じゃからのう。わかるかいのう。この金額は購入時の価格であるからのう、実勢価格はもう少し、いやいやまだまだ下がるのよのう。それは諸君にもわかるじゃろうが。なに、わからん?ちゃんと勉強せいや。諸君、頼むぞや。諸君。参考のため本年平成十五年八月立川税務署の署長に確認したところ昭島自宅の土地実勢価格は弐千万円自宅は壱千万円合計参千万円じゃったぞや。まったくもってギャフンじゃよ。もしも売却する場合は、そうじゃのう四千五百万円くらいになるかいのう。まだ査定はしとらんが。

さて、その不動産の譲渡先は次ぎに記す通りであるじょー。心して聞きたまえやーい。ははー。
1 は山口藤吉郎秀吉(26)に
2 は山口賢一(31)に
3 は山口賢一に
4 も山口賢一に
5 は山口愛々(24)に
6 は山口茶々(12)に
7 は山口寧々(27)に
8 も山口寧々に
9 は山口藤吉郎秀吉のものじゃから良いが


記したとおり与えるものともうすでにワシが決めてあるのじゃよ。しかし、これらはもう何回も口頭で言ってあり、また平成十七年五月三日更新のワシの遺書にも記してあるから、諸君も知っておるであろう。何知らん?いったいどういうこっちゃい。まあ良いわい。もしも辞退する人は今のうちに連絡せえよ、わしが死んだらわしや面倒見んぜ。

10さてその他のものはすべて山口恵理子に譲渡するぞや。どうじゃい、長生きしてよかったであろうが。ワシが、いまからもう少し長生きすれば、ワシの財産は多分まだ多少は増えると考えて宜しいぞや。多少じゃがの、多分間違い無いぞや。それも第二の人生長生きの楽しみの一つじゃと言えるのう。まあワシが破産しておったらその時は知らんぞ。まあそんな事は決して無いと思うがのう。

ワシがもしも、もしもじゃよ、不慮の事故等で御崩御あそばした場合は、下記のものを各会社から受領する事が可能であるぞや。これは、よく覚えておく事よのう。それ以外は何も無いと考えてくれい。わかったかいや。よし。

1 会社から退職見舞い金 三千万円
2 日本生命から死亡保険金 二千万円
3 第一生命から死亡保険金 二千百万円
4 明治生命から日本橋801分 千六百五十万円
5 第一生命から日本橋1103分千八百五十万円
6 大同生命から麻布 801分二千百八十万円
7 明治安田生命から新宿401分二千百万円
8 明治安田生命から新宿407分二千八十万円

そのうち45678は各生命保険会社が、ワシの不動産の残債を支払うため全て消滅してしまうのじゃ。そうすると、マンションの借入(残債)は相殺されゼロとなるわけじゃよ。そして家賃が入金(504,360円/月)され始める事となるのじゃのう。口座はみずほ浜松町支店シーバンス出張所の総合預金口座であるぞや。
だから、諸君の手元には123の合計七千百万円から税金をひいたものが残ると考えてくれい。諸君わかるかいのう。これが全て恵理子の取り分じゃのう。あまりたいした額ではないが、しかし考えようによってはたいした金額になるのじゃよのう。一ヶ月二十万円使って一年で二百四十万円じゃから、三十年生きて使えば七千百万円は使い尽くす事になるなあ。まあよろしいかな。まあ茶々の学費と恵理子の老後(何年生きるかワシャ知らんぞや)の足しになるであろう。諸君、安心したかいや。しかし、それらはすべて公の手続きを必要とするので、ワシがこの世に第二の人生を生きとるうちにワシにちゃんとその方法を確認せいよ。わかったかいや。頼むじょー。よし。

その他として、平成十五年現在あるものを記すならば、次ぎの通りじゃ。

9 会社株式三千五十株(約百五十万円相当)
10 金銀(約百万円相当)
11 切手類(約百万円相当)
12 貨幣類(約百万円相当)
13 定期預金(約百万円相当)
14 イラクの土偶(約一千万円?だとしたらどうする?これはできれば、東京三鷹の中近東センターに寄贈してちょんまげやーい。なんとなれば6000年前のバビロンの怨念があるからのう。ワシはそんな怨念は払いのける力があるが、諸君にはそいつに取り付かれる輩がおるやも知れぬからのう)
等色々あるがまあ恵理子が自分で使えば宜しいぞや。あまりたいしたものではない。よって遺産分けしてもよろしいぞ。

六十八、幸運にも

ワシがまだまだまだ、死なぬ場合には、まあワシが満六十才にて会社を円満に定年退職するとして、退職金と生命保険会社の満期保険金が給付されるのじゃよ。それらの項目と支給される金額を列挙すれば次ぎの通りであるぞや。

1会社から退職金    参千万円
2日本生命満期保険金 参百万円
3第一生命終身保険金 壱百万円

よって、合計三千四百万円から税金を引いたものがワシの手元に入ると考えられる。ワシはこの金を日本橋801日本橋1103麻布801の残債の支払にあてる予定なのじゃよ。よって手元に金は一銭も残らないことになるのじゃ。非常に残念じゃがその通りなのじゃなあ。

ワシはそれで第二の人生を送れるのかいや。そこで、ここに丸秘情報じゃがのう、ワシの六十一才の時点における隔月の収入は次ぎの通りになると予測できるので記しておこうと考えたのじゃよ。今予測されるそれは、次ぎの通りとなるぞなもし。

1会社積立年金   40,000円/月
2会社からの退職年金  120,000円/月
3欠番
4更生年金(多分) 180,000円/月(但し配偶者年金は含まず)
5家賃収入 504,360円/月
合計 844,360円/月
よって年収は10,320,320円となる。

また六十二才以降は次ぎの通りとなる予定じゃ。

1会社積立年金    40,000円/月
2会社からの退職年金  120,000円/月
3欠番
4更生年金(多分) 260,000円/月(但し配偶者年金は含まず)
5家賃収入 504,360円/月
合計 924,360円/月
よって年収は11,092,320円となる。厚生年金に関してはあまりあてにしない方が良いと思われる。つまり年金は小泉純一郎がなにかしくむようなきもするのう。あてにするな。

しかしじゃ、ワシは年金生活で、ワシのファミリーは何か商売を始めている可能性も大いにあるから、当然、ワシがこの世に生きて第二の人生を送っていたほうがおおいに得なのであるぞや。諸君おわかりかな。よし。ワシが六十五でまだ健在なら、この時点で先に記した不動産を遺言通り譲渡する。なぜ六十五歳なのか。それはのう、今の法律ではその時から生前贈与に税金がかからないからじゃよ。これを良く理解しておいてくれよな。実は平成十五年に立川税務署と相談した結果そういう事じゃった。相談者は立川税務署長じゃった。ただ、一年間に一人百十万円の生前贈与には税金がかからないのじゃ。数年後に寧々に伊豆高原の権利を譲渡する予定だが当然無税なのじゃよ。むふ。

さてそれでは、それを使って一体何を楽しみにしようというのか。それを次ぎに記す事としよう。はてはて。

六十九、茶々の教育費

茶々は大人になるまでは(まあ十八才までじゃのう)ワシが面倒を見なければならないのう。(あと六年かいな)ひょっとして茶々は昭島市郷地に住む友達ののんちゃんと雲に乗ってアメリカ合衆国ハワイ島ハワイ大学ヒロ校に行くかも知れないのう。多分じゃがのう。また茶々は二十二になるまでにはシンガポールの国籍をとるかまた日本の国籍をとるか選択肢(国籍オプション)がある。さらにワシがアメリカ永住権を取得しようとしておるから、茶々もまたアメリカ永住権を取得できるようになるかもしれないのう。その選択は茶々本人が決定すものであり、ワシがとやかく言うものではない。しかし、茶々が成人するまでに(茶々)の教育費に約一千万円程度必要とするのじゃないかいのう。多分。昔はケーキ屋さん、今のところ茶々は薬剤師になりたいといいおるが、まあそれもこれから変わるかも知れん。先日茶々がそう言いおったわい。彼奴はなかなか人生がわかっているのではないかいな。まあそこはゆっくり自分自身で考えればよろしい。自分の人生じゃからのう。
まあ人生とは、戦争状態では無い平和な世界では非常に楽しいものであることは確かじゃわいのう。賢一も寧々も藤吉郎秀吉も愛々も茶々もワシに生きる喜びを与えてくれておるよのう。本当じゃよのう。さらに、もう賢一・寧々・藤吉郎秀吉・愛々は自立しておるのう。しかし、茶々はまだまだこれからじゃよのう。だから少々気にかかっておるのじゃよ。まあワシがいなくてもどうちゅうことはないがのう。エヘン。

七十、ワシの計画

六十才まで会社で働らいちゃおうかいなあ、と思っておるぞや。まあ、今は会社建築事業本部見積部主査をやっとるのであるが、これはどうもワシの隠居仕事みたいなもんでのう、へへへのへ。じゃが人生ちゅうのはこれから先どうなるかわからんぞなもし。ひょっとすると日本が再び戦争状態にあるかもしれんしのう。また病原菌にが蔓延しとるかもしれんし。サダムフセインちゃんは平成十五年十二月吉日に捕獲されたが、ビンラディンちゃんのテロにひっかかっとるやも知らんしのう。それはたれにも分からんのう。ひょっとしたらイラク復興建設団団長になっちょるかも知らんし、それは神にも分からんと思うぜ。ははは。

今(平成十七年)現在は毎朝五時半に昭島自宅を徒歩で出発する。徒歩五分で東中神駅に到着。東中神五時四十五分発。秀吉がくれた九千八百円のPanasonicラジオを聞きながら、また読書か新聞を読みながら、浜松町駅には七時には到着しとる。そこから朝のウォーキングじゃのう。会社の始業時間は八時三十分からじゃ。だから、その朝1時間半はゆっくりとインターネットで勉強も遊びもできる。さてさて、始業時間から見積仕事を開始して、昼飯昼休みは十二時から一時まである。ここは健脚ウォーキングにあてる。一日一万歩。これは一日一万円稼ぐと考えると長続きするぞや。一年で三百六十五万円やで。終業時間は五時十分じゃ。帰宅時間は六時半という毎日の繰り返しである。しかし、いくら繰り返しと言っても、ただ一つとして同じ見積作業は無いのじゃから、毎日毎日が頭の右脳を使う仕事よのう。ぼけるひまがないぞや。だからこの仕事は継続できるのじゃよのう。しかし、これは本当に隠居仕事であるのう。なぜかというと直接現業として現場を動かして、会社の利益を上げる為には貢献しておらんように思えるからのう。しかし、間接的にはなんとかなっとるよなあ。ふむ。ふむ。さてさて、ここでワシの今後の計画じゃが、

一昨年平成十五年中(ワシ五十二才)(茶々十才)にハワイの土地登記を完了してしまう事が目標じゃった。登記作業はヒロ・ハワイアン株式会社(東京都港区南麻布2-11-10 OJビル2階)に業務代行契約を行い、ハワイのエスクロー会社タイトルギャランティー・エスクロー・サービス・インク社が代行し平成十五年十一月十九日に登記完了したのであるぞや。平成十五年十二月四日にはハワイホノルルに登記確認に行ってきたぞや。日本時間午後八時十五分発で成田を飛び立った。日本とホノルルの時差は十九時間。ホノルルが遅れとるよ。実飛行時間は六時間だったから、ホノルルには四日の午前八時十分には着いた。なんとも不思議な日付変更線を越えたぜ。その足でハワイ洲の登記所にいったぜ。登記番号2003‐253251じゃった。Affects : Tax Map Key (3)1-5-097-066 Lot 376 Hawaian Shores Subdivision File Plan No. 737 KAZUHISA YAMAGUCHI ,Hasband of Eriko Yamaguchi と続く。五日には現地視察の旅に行ってきたのじゃよ。詳細にはまた後日申し述べることになるであろうと思う。

現在山口ファミリーハワイ事業にたいする出資者は次ぎの通りやど。まあしかし、はやばやと出資する奇特なお人がおってまずまず助かりましたわい。ありがとうさん。
1 ワシ山口和久プレジデント壱千万円出資
2 長女山口寧々六十万円出資(平成十五年十二月十五日六十万円完済)
3 三女山口茶々五十万円出資(平成十五年十一月二十一日五十万円完済)
4 長男山口藤吉郎秀吉はまだ
5 山口賢一もまだ
6 山口愛々もまだ
7 山口恵理子もまだ
8 乙川四季さんもまだ
9 永原里美さんもまだ
10 青木 孝先輩は平成十五年十二月十九日打合せ結果出資確約ですぞ。出資額十万円で山口ハワイ別荘無料使用確約(青木ファミリーなら誰でもOK奥様もOKですぞ)です。振込先は次ぎのとおりで御座いますぞ。UFJ銀行 日本橋支店 (店番号)302-0000000(普通預金口座番号)名義人名前 山口和久
11 黒田先輩検討中でござる
12 石原同輩もまだ
13 野村同輩もまだじゃよ
14 山口兄もまだ
15 山口嘉孝兄にもまだ連絡しとらんからまだじゃよ
17細井仁子さんは興味があるらしいがまだじゃがただ今山口ファミリーヒストリー熟読中ですぞ。
ほれでワシャ金を集めとる最中となっちょるぞ。その金(三千万円ほど必要)はハワイ山口ファミリー家を建設するのに使用する予定じゃわい。

平成十八年(ワシ五十五才)(茶々十三才)ハワイの二世帯住宅設計図を作成する。敷地は60・35m*23・16mで敷地面積は1397・95m2(423坪)である。でかい敷地じゃのう。出来れば二階建てにしたい。なんとなれば、二階からハワイの海が見えるはずだからである。双眼鏡を使用すれば、海には鯨の潮噴きが見られるはずじゃのう。今頭の中に図面ができあがりつつあるぞや。一階に駐車場を作るのじゃが、そこをまた、ちょいと喫茶店にして商売ができるようにしくんでおきたいもんじゃ。まあ趣味の喫茶店(名前はCOFFEE CYACYAと考えちょるが、どうかいのう)じゃわい。それを図面にしないといけんわい。別棟に7―11を建て増しできるように考えておく。外には山口茶々果樹園(名前はHAPPY FROUTS GARDEN)を作る予定じゃ。これは無農薬で作り自分で食べるのじゃ。あまれば、道路に出して無料奉仕すればええやんか。それからその住宅の見積作業じゃのう。見積はお手のものじゃないか。しかし、そこはアメリカ合衆国ハワイ洲じゃからのう。建設コスト(金額)に関してはよく分からんというのが本音じゃのう。本当はハワイ島まるまる欲しいのう。カメハメハ大王になりたいもんじゃのう。さて今の見積額は(US$9,100)壱千万円を予定しとますぞ。しかし、この二倍になるかも知らんぞや。さてさてどうなりますか。平成十五年十二月五日ハワイにて小生の図面にて値を確認したところ神宮司氏の概算金額は金三千万円とはじきだされたのじゃよ。むー。むー。可能か?

平成十八年(ワシ五十五才)(茶々十三才)ハワイに二世帯住宅の建設を開始する。大体工期は半年じゃないこ。多分ね。日本から遠隔コントロールで施工管理が可能。これはヒロが報告することになっちょる。

平成十八年(ワシ五十五才)(茶々十三才)二世帯住宅完成予定。

平成十九年(ワシ五十六才)(茶々十四才)ハワイに移住可能なようにする。が当面はヒロ・ハワイアン株式会社に貸す予定じゃ。
まあここまで生きればまだ定年の六十歳までにまだ四年もあるぞや。よかろうがいや。しかし、百才まで生きるとすると、あとは何をするのかい。しかしワシだけ生きとっても詰まらんぞい。諸君皆長生きせいや。いやはや全く人生はやる事が多いのう。ワシが遣り残した事それは

1 ハワイ島にて茶々果樹園HAPPY FROUTS GARDEN(バナナ・マンゴー・パイナップル・ココナッツ・ドリアン・マンゴースチン・コーヒーの木・ゴムの木・蘭の花等)を老後の楽しみとして成功させるのじゃ。できれば、そこに道楽でコナコーヒーショップCYACYAと、本業で6―8セブンイレブンの真似でもやりたいもんじゃ、と思っておる。(どうも出来そうな感じじゃのう、そんな気がする)ハワイで6―8なんてどうじゃい。ここは朝六時から夜八時まで開店するのじゃよ。だれか手伝いに来やへんこ。それとも、諸君が自分でやってもええぞや。まあここハワイでの生活はワシが六十才(茶々十八才)から七十才(茶々二十八才)の十年間を充てる予定じゃ。ワシは果樹園、茶々は大学ちゅうことにならへんかいのう。まあわからんがのう。なんとかなりそうな気がしやへんこ。諸君はどう思うかいね。

2 次ぎにハワイ島からイースター島に移住する。ここにもぜひ住みたいのう。ロンゴロンゴを見たいのう。解読したいのう。ここはワシが七十才から八十才までの十年間を充てる。十年あればロンゴロンゴ解読出来るじゃろうか。いや、出来ないかも知れない。まあそれでもええわい


3 イースター島からペルーのナスカに旅行する。セスナで空中から地上絵を見たいのう。マチュピチュにも生きたいのう。ここも七十から八十までの間。

4 イースターからエジプトに旅する。ここで永遠の生命が得られないかいのう。昔のファラオが望んだようにのう。この永遠の命を得る方法がのう実はあるのじゃよ。それは多分諸君のほうがよく知っているかも知れんのう。ワシも知っとるが、ワシは信仰によらず、まず自分の力で手に入れたいもんじゃと思うておるのじゃがのう。昔のファラオのようにのう……・・彼らは今どこにおるのかいのう。もう消滅してしまったのかいのう。それをエジプトで確かめたいのう。

5 ワシがやりたいことはそれ等等まだまだ色々あるのう。人生色々。七色吐息じゃのう。1から4まで二十年くらいで出来ないかいのう。本当は月世界にも生きたいのじゃが。どうも一億円ほどかかるそうなわい。まあ体力もないじゃろうなあ。まあ考えるだけ只だからのう。頭の体操じゃよ。これはおもしろいぞや。ほんとうじゃ。茶々がどこでもドアを開発してくれたら月にも行けるのう。茶々やーい、頼むぞや。

しかし、まあ、どちらにせよワシ等―山口ファミリー、頑張ってこの広い世界で、生きていこうじゃーないの。この世はなかなか楽しいものぞ。
我々山口ファミリーはいったい何処から来て、はたして何処へ行こうとしているのか。諸君わかるかい。昔、昔の大昔に、エデンの園からやってきて、きっと大陸から朝鮮半島経由で舞鶴あたりへ上陸してきて丹波を経由して、今は日本国は花のお江戸の東京昭島(いつも美しい富士山が見える)じゃが、今後ハワイ経由南米方面あたりを目指しておるのではないかいなぁ。さらに永遠の命を目指しておる。ワシの言いたい事はそれくらいじゃのう。後は諸君、色々良く検討して各々の道でそれぞれが頑張ってくれい。多分諸君の代でその結果は出ると思うのじゃがのう。ワシはワシの第二の道を今からも歩んでいくからのう。そうじゃ、じっくりと考えながら悔いの無い人生を送っておくれでないか。たのむぜベイビー。

君の行く道は果てしなく遠い。
だのになぜ、
歯をくいしばり、
君は行くのか、
そんなにしてまで。


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