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2017年11月05日
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カテゴリ:落語

        

 博多・天神落語まつり鹿児島公演が昨日(11月4日)鹿児島市の宝山ホールでありましたので出掛けました。鹿児島公演では落語家は春風亭昇太、三遊亭円楽、桃月庵白酒、桂文珍の四師匠が高座に上がりました。

 最初に「ごあ いさつ」があり、四師匠全員が登場し、三遊亭円楽が司会を務めての挨拶があり、会場に来ていた鹿児島県鹿屋市出身の竹丸師匠が呼び出されるハプニングなどもありました。


 その後、開口一番に春風亭昇太師匠が高座に上がり、まくらで紅白歌合戦の審査員に選ばれての裏話を語って大いに笑いを取った後、昇太師匠お馴染みの新作落語「ストレスの海」を演じます。この噺は、妻が夫にいろいろなストレス解消法を紹介し、その一つとして行楽がいいと夫婦で実際に海に出掛けて、ゴムボートで沖にこぎ出し、青い空と波の音のなかてストレスを忘れ始めるのですが、ボートからシュー、と……、突然悲劇が襲うのです。


 つぎに高座はでは三遊亭円楽が高座に上り、まずまくらで笑点の司会が昇太師匠になった理由について本当か嘘か判らないような裏話を語って笑いをとった後、古典落語の「禁酒番屋」を演じました。ある藩で、酒の上の刃傷沙汰が起き、殿様が藩士一同に禁酒令を出し、城門に番屋を設けて見張り、商人が城内に酒を持ち込むことも禁じますが、ある酒屋さん、飲んべえの藩士になんとか城内に酒を持ってきてほしいと頼まれることになり、番頭たち奉公人があの手この手で禁酒番屋の見張り人を騙そうとするのですが……。

 
 中入の後、桃月庵白酒師匠が古典落語「化け物使い」を演じました。あるご隠居さん、人使いが荒く使用人が居つきません。ところが桂庵(奉公人の紹介業者)がそのことを承知で紹介された無骨者の杢助さんはこのご隠居さんの家で3年間も文句一つ言わず働き続けます。ところが、隠居は化物屋敷と噂される家に引っ越すことになり、化物は大嫌いで苦手な杢助さんは暇をいただきたいと言いだし、引っ越し先への荷物の持ち込みまでは手伝いますが、その後でご隠居さんの人使いの荒さに大いに不満を述べた後に国元へ帰ってしまいます。使用人がいなくて困っているご隠居ですが、そこに一つ目小僧、大入道、のっぺらぼうの女が毎晩入れ替わりに出て来るので、これ幸いとご隠居はこの化け物たちをこき使います。ところが四日目の晩に大きな狸が現れて……。

 トリを務めたのが桂文珍師匠で、会場の入場者の大半が高齢者と判断したのか老夫婦が登場する新作落語「憧れのホーム」を演じます。ホームに入るお金もないので刑務所に入るために銀行強盗をやることになり、まずお爺さんが一人で銀行に行って「金を出せ」と刃物を振り上げたら、「カードをお入れください」との回答、ATMの前で叫んだんですね。今度は爺さん、婆さん二人で銀行へ行き、爺さんが銀行員の前で「強盗だ!」と叫ぶと「後藤さんですか?」と尋ねられ、「金出せ!」と叫ぶと「金田さんですか?」と訊かれ、振り上げた手に持っていたのは間違って持ってきたおろし金といった調子……。

 どの師匠の高座にも会場の千六百人以上の満席の入場者が大笑いし、特に桂文珍師匠の「憧れのホーム」では会場は爆笑の渦に包まれました。ところが私にはよく聞こえない箇所が多く、会場の笑いに取り残されることが多々ありました。帰りに妻にそのことを言って「嗚呼、私も年取ったな」と嘆きましたら、妻が「会場が広くて集音マイク等の装置もあまり良くないからじゃないの」と慰めてくれました。でも会場の観客のみなさんはよく笑っていましたよ。







最終更新日  2017年11月08日 16時48分54秒
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2017年10月31日
カテゴリ:中国

 最近、幾つかのメディアで中国人観光客相手の「白タク」問題がよく報じ られています。国内の主要空港の到着ロビーで漢字で書かれた中国人の人名を掲げて客を待ち、その客を車に乗せて行きたいところまで運転する「白タク」が増殖しているそうです。もし警察が取り締まろうとしても、運転手が「友達を乗せているだけ」と言えば取り締まれないそうです。

 こんな無法行為が報道されていると、中国の文化大革命当時に毛沢東が発した「和尚打傘」(和尚さんが傘を差す)という言葉が思い出されます。

 この「和尚打傘」の意味は中国の歇後語(しゃれ言葉)を知らないと意味が判りません。歇後語とは、二つの部分からなる成句で、前のたとえの部分だけ言って後の部分を自然に推察させるものです。前の部分は「前置き」の働きをして、なぞなぞの題のような存在で、後の部分はなぞなぞの答えになります。

 前の言葉が「和尚打傘」なら、後に「無法(髪)無天」という言葉が自然と浮かんで来るんですね。

「和尚さんが傘をさせば、髪=法も無ければ天イコールお空も見えない」ということで、毛沢東は「法も天もクソくらえ、オレ様のやりたいようにやる」と言ったんですね。文化大革命当時の法治主義完全否定の発言なんですが、中国ではいつの時代でも「無法(髪)無天」で、法律や社会的ルールが無視される傾向にあります。







最終更新日  2017年10月31日 16時49分25秒
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2017年10月22日
カテゴリ:エッセイ

 3日前、大阪に勤務している次男が妻の誕生祝いのために鹿児島に帰ってきてくれました。翌日、次男が私たち両親のために霧島の温泉旅館に夕刻から1泊する計画を立ててくれましたが、その日は妻が朝からボランティアのために家を空け、次男と私で来年引退する安室奈美恵(次男が彼女の大ファン)のことなどを居間で熱く語り合いました。

 その直後のことです。次男が居間から出て行き、しばらくすると隣のピアノが置かれた部屋からハッピーバースディのピアノの音が聞こえてきたのです。さらにドビュッシーの月の光(妻の大好きなピアノ曲です)のピアノの音色がきこえてくるではありませんか。私は不思議に思って隣の部屋のドアーを開けました。

 次男坊がピアノを弾いているのです。次男坊は鹿児島では全くピアノなど習っていなかったので、不思議に思って理由を訊くと、2年前から母の誕生祝いのために大阪でピアノ教室に通って練習をしていたそうです。

 その日の夕刻に帰ってきた妻に私たちが誕生祝いのための花束贈呈をした後、次男坊が先に紹介した2曲を弾きましたので、妻は大感激いたしました。その後、予定通り次男の運転で霧島の温泉旅館に出掛けました。

  

P.S.
 今日(10月23日)長男夫婦から妻に誕生祝いのマットレスのプレゼントが届きました。妻は肩こりや腰痛に日頃悩まされており、今回のプレゼントはそんな母親のことを考えての睡眠時に体圧分散、寝姿勢保持のマットレスとのことで、長男の言葉によりますと「母親のことを心から思っての高額、高品質な贈り物」だそうです。妻は長男夫婦のこの優しい思いやりのプレゼントに大感激しておりました。



 







最終更新日  2017年10月23日 23時10分03秒
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2017年10月09日
カテゴリ:我が家の庭

 鹿児島は日中は気温30度と暑い日が続いていますが、それでも流石に朝夕はめっきりと涼しくなり、庭のフェンスに垂れ下がったハギの小枝が風に揺れ、秋らしい風情が満ちあふれています。また庭のポーチ沿いに列をなすナツズイセンの清楚な白い花が美しく、これまた秋の風情を感じさせてくれます。






最終更新日  2017年10月09日 18時03分41秒
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2017年09月23日
カテゴリ:エッセイ

 私が小学校低学年の冬の季節、可愛い女の赤ちゃんを抱いた着物姿の若い美しい女性が母を訪ねてきました。その女性と赤ちゃんが帰った後、私の母は私に腹腹立だしげに彼女たちの哀しい境遇を語ってくれました。

 母を訪ねて来たこの若い女性の名前を仮にA子さんとしておきます。A子さんは母が勤めていた高校の卒業生で、卒業後すぐに親同士が決めた結婚式を挙げ、彼女が身籠もった直後に浮気相手がいるらしいことが発覚し、夫から離婚話を切り出されます。前から交際している好きな女性性がいるので別れてくれないかと言うのです。A子さんは泣く泣く離婚話に応じることになりました。

 母は相手の男の自分勝手さに憤り、私も幼い子どもながらにこの話に腹を立てました。ところで、こんな話とそっくり似たような外国での出来事がありましたね。そうです、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚騒動です。チャールズ皇太子が結婚前からカミラと交際しており、結婚後も交際を続けていたという不倫が発覚しました。

 ところでなぜチャールズ皇太子は、そんなに好きなカミラに最初から結婚を申し込まなかったのでしょうか。カミラは社交界の人気者ボウルズ氏とすでに結婚して子どもも生まれていました。そんなカミラ夫人との結婚など母親のエリザベス女王や周囲の王族から当然反対されて、優柔不断なチャールズ皇太子は愛してもいないダイアナと結婚することになったのです‥‥。

 A子さんの夫の不倫相手の女性が既婚者かどうかは全く分かりませんが、少なくとも親たちが決めたA子さんとの結婚話を承諾し、結婚後も交際を続け、不倫が発覚したのでやむなく離婚話を持ち出したのでしょう。幼い子どもの頃にはただ腹立だしかったこの種の浮気男に対するイメージが随分変わりましたよ。優柔不断な情けない男の姿が自然と眼に浮かぶようになりました。

 A子さんは見るからにお嬢さん育ちのおとなしい女性でしたから、夫の勝手な離婚話をやむなく承諾したのでしょうが、この後に私が知った似たような離婚話における奥さんたちの対応には様々なものがあるようです。不倫相手の女性の家に押しかけて大きな声で罵詈雑言を浴びせるってのがありますね。自殺未遂を繰り返し夫の浮気に対する自らの精神的苦痛を表現する手もあります。実家に帰って、夫が謝りに来るのをじっと待つ方法もありますね。しかし、チャールズ皇太子的な夫は所詮は優柔不断な駄目男ですから、しばらくはお嫁さんの元に戻って来るかもしれませんが、相手の女性との腐れ縁は切れないでしょうね。

   死んでも君をはなさない 地獄の底までついていく
   oh,please stay by me,Diane.おっと違った Camillaですね。







最終更新日  2017年09月23日 16時14分43秒
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2017年09月13日
カテゴリ:エッセイ

 私の父親についての記憶は天狗のお面の恐怖とともに始まっている。幼い私の目の前に突然真っ赤な色をした大きな鼻の厳つい顔の化け物がニューッと現れ出たのである。私はそのときギャーッと叫んで別の部屋に逃げ出したと思う。

 しかし厳つい顔の真っ赤な大きな鼻のお化けは泣き叫ぶ私の後を追いかけまわし、泣き叫ぶ子どもの声を聞きつけた母が現れて、その怖いお化けもやっと面を脱いでくれた。その天狗のお面の記憶が私の父親に対する最初の記憶だったように思う。

 関西の奈良のことであるから、父親が天狗のお面を被って私を驚かせたのは、秋田のなまはげの風習を見習ってのものではなかったであろう。ただ幼い子どもが泣いて騒ぐのが面白いかったにすぎないと思われる。私の父はそういう人であった。

 この私の幼い頃の記憶は、私の両親が祖父母の暮らす奈良市の大豆山(まめやま)に身を寄せるようになった頃でことである。そして私の父親の記憶は上に述べた天狗面の恐怖の体験と重なっている。天狗のお面は祖父が集めていた能面の一つであった。







最終更新日  2017年09月14日 02時04分21秒
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2017年08月31日
カテゴリ:エッセイ

 私が小学校低学年の頃、学校の教師をしていた私の母は、ときどき日曜日に幼い私を連れて生徒の家庭訪問をしたことがあります。おそらく母は、我が子が日曜日に独りぼっちで過ごすことが可哀想だと思って、家庭訪問に私を連れて行ってくれたのでしょう。

 そんな家庭訪問の思い出の一つとして、いまでも強烈な記憶として残っている体験があります。それは奈良市から近鉄の電車の駅を乗り継いでたどり着いた農村地帯にある生徒の家に家庭訪問をしたときのことです。訪れた大きな藁葺き屋根の豪邸は、青々とした水田の広がりのなかに建っていましたが、私たち親子を見つけると周辺で遊んでいた子どもたちがワーッと集まって来ました。その子どもたちの様子が奈良の町で育った私には異様なものに感じられました。こんな表現を使うと大変失礼なこととは思いますが、土人の子どもたちに取り囲まれたように感じたのです。子どもたちはみんな真っ黒の顔をしており、着ているランニングシャツも土と泥に汚れていました。

 いまではテレビに映る農村の子どもたちは街の子どもたちと大きな違いを感じることがありませんが、私の子どもの頃(1950年代末から1960年代初)は全国的に都市と農村に文化的に大きな格差があったのですね。


 訪れた家庭は靴下生産工場を経営していたのでしょう、お父さんが私たち親子に見せるために織機を一台外に出して、女子職員によって靴下を編み出す様子を見せてくれました。この昔の記憶からネットで調べてみましたら、奈良県は全国の5割を占める生産量ナンバーワンの県だそうで、昔から靴下生産が盛んだったとのことでした。








最終更新日  2017年09月02日 17時47分08秒
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2017年08月20日
カテゴリ:エッセイ
私の両親は戦後一年後の1946年12月に台湾から奈良(父の生まれ故郷)に引き上げ、高畑の伯父の家に一時身を寄せ、そこの農機具小屋で母のお腹のなかにいた私を出産しました。その後、大豆山(まめやま)町の私の祖父母の家に移り住みました。

 母にとって奈良は同地の奈良女子高等師範学校で学んでいたのですか、寄宿舎生活しかしておらず、奈良独特の風習文化には馴染んでおらず、女高師卒業後は台湾に戻り、台北の女学校の先生をしていました。

 私の祖母は目から鼻に抜けるような賢い人で、太田の奥さんは接待上手だとの定評があったのですが、その祖母がたまたま用事で家を空けていたそのときのことです。祖父を訪ねて一人のお客さんがやってきました。祖母に代わって母が接待しなければならなかったのですか、お客さんが帰った後、祖父が母に「皇后さんやな」とポツリと言ったそうです。

 その祖父の言葉、私の母にとっては義父の言葉になりますが、普段は寡黙な人の「皇后さんやな」の寸評はあまりにも的確すぎて母の心を深く傷付けたようです。母は幼い私に繰り返しこのときの「皇后さんやな」との批評がショックだったと回想していました。

 この祖父が母を評して「皇后さんやな」と言った「皇后」とは、昭和天皇の香淳皇后のことで、昭和天皇が1945年終戦の翌年1946年1月に「人間宣言」をしてから1954年にかけて全国を巡幸したときに一緒に付き添っていた皇后をイメージしてのものだと思われます。言葉の表面にはお嬢さん育ちの気品のあるお嫁さんだとの褒め言葉と理解できますが、母はその言葉の裏に全くお客さんに対してまともな接待も出来ない役ただずの気が利かない嫁だなという皮肉が込められていると理解したのです。






最終更新日  2017年08月31日 08時17分32秒
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2017年08月12日
カテゴリ:エッセイ

仙台の市川寛治叔父への返事

 

次男の望(大阪の病院勤務)が東北地方太平洋沖地震の被害状況を学ぶために仙台市に立ち寄ったときに、私の亡母昌子の姉弟(達夫叔父、寛治叔父、宣子叔母)に連絡を取って、そのときに私が四月に自費出版した拙著『風が開いた書斎の窓』を手渡すことになりました。

 ところで仙台市には達夫叔父、寛治叔父、宣子叔母さんたちが住んでいるのですが、私の子どもたちとはどのような親類関係になるのでしょうか。辞書で調べましたら大叔父、大叔母ということになるそうです。

 

 次男の望は達夫叔父さん、宣子叔母さんとは寿司屋さんで寿司をおごってもらったそうですが、残念 ながら寛治叔父さんとは今回はお会いできませんでした。その寛治叔父さんから拙著贈呈に対するお礼の葉書が届きましたので、その返事を書くことにいたしました。

 

市川寛治叔父への返信内容

 

前略

拙著贈呈へのお礼のお葉書をいただき、「昌子姉のことなど思い出し、懐かしく読ませていただきました」等のお言葉をいただき感激しております。

 

私の大学浪人時代、仙台の叔父さん、叔母さんたちには大変お世話になり、そのことは拙著『風が開いた書斎の窓』の短編小説「目に染み入るような青い空」にも書いておりますが、そんな叔父さん、叔母さんに私の次男が去年、今年と二回に渡って連絡を取り、温かく歓迎して下さったことに痛く感激いたしました。

 

ただ残念ながら、次男の望の仙台訪問では、寛治叔父さんとは今回はお会いできなったとのことです。それでも寛治叔父さんから久しぶりにお葉書をいただき、大喜びしております。

私が大学浪人時代、確か寛治叔父さんは大学卒業後銀行に就職されて6、7年経った頃だったと記憶しています。生意気な私はいろいろ議論をふっかけ、「大人」の寛治叔父さんから非常に真面目に反論していただいたことに驚くとともに感激したものでした。

 

そんな時代から半世紀以上過ぎ、私は70歳、叔父さんは82歳になられたとのこと、あのときのことを懐かしく思い出す今日この頃です。叔父さんはきっといまも聖書の勉強会を真面目 に続けておられることと思います。いつまでもお元気でご活躍下さい。

 

                                  敬具

 







最終更新日  2017年08月15日 11時33分06秒
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2017年08月04日
カテゴリ:エッセイ
頭部挙上訓練(Shaker訓練)

 昨日(8月3日)、言語療法を受けているとき、水を飲む場合、よく咳き込んで困っているのだが、どうすればいいかと相談しましたら、シャキア訓練(頭部挙上訓練 Shaker訓練)を行えば良いと教えてもらいました。

 このシャキア訓練法の目的は、舌骨上筋群など喉頭挙上にかかわる筋の筋力強化を行い、喉頭の前上方運動を改善して食道入口部の開大を図るものです。食道入口部の食塊通過を促進し、咽頭残留(特に下咽頭残留)を少なくする効果がありまう。

        

 シャキア訓練法のやり方は、仰向けに横になり、肩を床につけたまま頭だけを足の指が見えるまで拳上する方法です。疲れない程度で30秒程度持続し、休憩を入れながら5~10回繰り返します。できれば1日3回行い6週間継続します。施行中、口を閉じて訓練したほうがいいですよ。






最終更新日  2017年08月05日 15時00分09秒
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