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2017年06月17日
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 内川さんが学生だった頃、大阪市天王寺区伶人町の片隅にスラム地域があり、その地域の子どもたちを対象にした子供会を夕陽丘セツルメントという学生サークルが細々と活動を行っていました。

 この夕陽丘セツルメントの子供会に内川さんが参加したのは、二年生の新学期が始まった頃だと記憶しています。同じクラスの友だちに誘われて軽い気持ちで見学に出掛けたのですが、貧しい身なりの子どもたちが集まっており、その中の一人の小学2、3年くらいの男の子がいきなり内川さんの背中に飛び乗って来たのです。予期せぬお出迎えに内川さんはビックリしました。

 このとき内川さんはこの子の行動にたいしてどのような感じを抱き対応したのでしょうか。腹を立てて子どもを背中から振り落とした。それとも愛情をこめて胸に抱きしめた。内川さんはその男の子の温かい肌のぬくもりに新鮮な驚きと懐かしみを感じたのです。もうこんな感触を味わったのは何年振りだろう、と一瞬思い、その男の子をおんぶしたまま数歩歩きましたが、男の子はすぐに背中から飛び降りて集団の中に入ってしまいました。

 夕陽丘セツルメントは大阪外大と大阪社会事業短大の合同サークルだったのですが、このサークルの新入部員歓迎のコンパも内川さんに忘れがたい新鮮な喜びを与えるものでした。その歓迎コンパは社事短の運動場で夜に焚き火を囲んで行われましたが、一人一人自己紹介を行った後、サークル仲間から質問を受け付けるのです。社事短の女子学生から4、5人の質問が内川さんにもありましたが、女の子との会話らしい会話も何年ぶりのことでしょうか。

 内川さんはほぼ2年間程熱心にこのサークルの活動を続けましたよ。でも楽しいことばかりではありませんでした。子供会に集まってくる子どもたちの母親たちはスリッパの底のゴム貼り等の内職に忙しく、子どもたちを喜こんで子供会に出してくれるんですが、子どもたちは正直です。内川さんが受け持ったのは小学校中学年程度の主として腕白な男の子たちでしたが、面白くないと「おもろーないわ」といって蜘蛛の子が散らばるように瞬時に平気でその場を立ち去って行きます。

 走りっこ、縄跳びに紙芝居、指人形作り、いろいろやりましたが大半が不成功に終わりましたよ。そんなこともあって部員は減ることがあっても増えることはほとんどありませんでした。そんななかで社事短のジーナちゃんは内川さんの良きパートナーとして子供会で1年間熱心に活動していましたが、どうしたことでしょう、短大の二年生になって子供会に急に現れなくなってしまったのです。

 サークルのみんなは心配して、内川さんが彼女に連絡を取って事情を聞くことになりました。ジーラちゃんは、子供会に集まる伶人町界隈のバラック小屋に住む子どもたちが可愛くてたまらないといつも言っていました。ジーラちゃん自身がふたおやも分からないような環境で育ったからだとも言っていました。そんな彼女が子どもに接する姿には理屈を超えた「愛」が感じられたものでした。

 
 内川さんは大阪社会事業短大の部室でジーラちゃんと二人だけで話し合うことになりました。彼女は最初のうちはじっと黙って下を向いたきりでしたが、内川さんがこれまでの彼女の熱心な活動振りを高く評価し、ぜひ一緒にまた活動をしたいと説得を始めたとき、内川さんの言葉をさえぎるように彼女は語り出しました。


 春休みの始まったころ、ジーラちゃんは一人の男性と交際し、春休みが終わりに近づいたころ、彼から「僕のような人間はあなたのような女性には不釣り合いだ。あなたのために身を引くことにした」と体のいい交際打ち切り宣言を告げられたそうです。

 内川さんが彼女の話に口を挟もうとしましたら、「マアくんにはこんな馬鹿な話が分かるわけないわよ」と言い、これ以上は話したくないし、自分のような人間がこのサークルを続ける資格もないと言い、席を立ちました。

 二人はともに大阪の阿倍野駅を利用していましたから、二人一緒に阿倍野駅まで歩いて帰りました。その帰り道の途中、ジーラちゃんは彼にぽつりと言いました。

 「マアくん、ごめんね。でも楽しかったよ」

 それからは一度もジーラちゃんと顔を合わせることはありませんでした。夕陽ヶ丘の赤い夕陽にたたずむ彼女の後ろ姿を二度と再び見ることはありませんでした。












最終更新日  2017年06月20日 10時00分54秒
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2017年05月22日
カテゴリ:エッセイ


5月1日より軽い脳梗塞のため鹿児島医療センターに入院しておりましたが、昨日(5月20日)に3週間で退院することが出来ました。

入院期間中、お医者さんや看護師さんたちからの手厚い治療や看護を受け、大変感謝しましたが、やっぱり思うように体を動かせないことは辛いことですね。

特に困ったのは排便のことです。体がよくなるに従いトイレも使えるようになったのですが、それでも看護師さんの付き添いは必要です。そのときにはナースコールを押してトイレ使用をお願いするのですが、現在便秘気味の私の場合、尿意を催すことと実際の排泄との間にかなりのタイムラグがあり、下手をすると一日中ナースコールを押すべきか押さざるべきをひたすら考えることになってしまいます。「押すべきか押さざるべきか、それが問題だ」ですね。

まるで人生とはナースコールを押す適切な状況を判断することにすごい意味があるようなな気持ちになり、トイレで空振りになった時にはとても申し訳のない気持ちになり、つぎはヒットを必ず打ちたいものだと自分を励ますしかありません。こればかりは猛練習を重ねることにより成果が発揮できるようになるものではありませんからね。

退院できて何が嬉しかったかと言えば、トイレが自分の意思で自由に使えるようになったことです。すると不思議ですね、トイレに行くことそのものが激減して、 人生には他の大切なことがあることを考える余裕が生まれ、人間らしい生活を取り戻すことが出来るようになりました。






最終更新日  2017年05月22日 15時54分55秒
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2017年04月28日
カテゴリ:エッセイ
 4月26日に拙著『風が開いた書斎の窓』出版を依頼していた南方新社からお昼頃に納品があり、その日の夜には、大阪に勤務している次男が私の誕生祝いにJRで鹿児島に帰省して来てくれることになりました。次男を迎えに鹿児島中央駅に行く途中、車中で私が妻に明石にいる長男夫婦は今回のゴールデンウィークを利用しての帰省は無理だろうなとつぶやきましたら、「二人一緒に都合を付けるのはなかなか大変じゃないの」とにべもない返事。「それじゃ、拙著の出版を祝う家族会は5月頃にでも神戸で開こうか」と提案しましたら、これにもまた「そんなに急がなくていいじゃないの。6月頃にしたらどうなの」とのつれないお返事。妻は私の透析治療のための週3回の病院通いに加えて、最近になって自分の母が腰の骨を痛めたため手術を行って入院しており、そのための病院通いもあり、なにかと忙しいのだろうなと思いながらも、私は妻のこんなつれない返事に些か機嫌を損ねて車内で黙り込んでしまいました。

 鹿児島の拙宅で一泊したは次男は翌日の4月27日の夕刻にはもう大阪に帰るとのこと、鹿児島中央駅近くの寿庵という黒豚料理専門店のお店でお別れの夕食をすることになり、私が先にお店の人の案内で妻が予約してくれていた部屋に入ったとき、ビックリ仰天、そこには全く予想もしていなかった二人の人物たちが待ち受けていました。なんと明石に暮らす長男夫婦だったのです。とても驚いたのですが、後で聞くと妻と子どもたちで私の古希と出版を祝うサプライズ企画を練ってくれていたとのことでした。いつも迷惑を掛けてばかりいる妻と多忙な中を都合を付けてお祝いの会を開いてくれた子どもたちの優しさにただただ感激、いゃー、子どもたちはひねくれ者の父親に全然似なくて本当によかった、よかった。

 私から兄弟二人に拙著の贈呈式の後、彼らからは私への古希の祝いとして風呂敷に包まれた桐の四角箱に入った大きくてずっしり重たいものをプレゼントしてもらいました。額縁大の大きさですから、もしかして私の遺影かな、なんてこともふと頭を横切りましたが、いやいやまだちょっと早すぎるだろうと、風呂敷包みを解いて箱を開けてみるとそこには毎年4月27日(私の誕生日ですね)の毎日新聞の記事一面と番組欄を2016年まで69年間を裏表両面に纏めたものでした。これに次男がサントリーのウィスキー「響」17年も添えて贈ってくれました。

  私は高校生の頃、凡河内久躬恒(おおしこうちのみつね)が詠んだ「今さらに なに生ひいづらむ 竹の子の 憂き節しげき世とはしらずや(我が子はいまは筍のように元気にすくすく育っているが、人生には辛いことがの多いことをいまは知らないのだろうな)なんて和歌に強く共鳴するようなかなり屈折した人間でしたが、こんな嬉しい誕生日を迎えるとは想像もしていませんでした
 






最終更新日  2017年04月29日 11時44分00秒
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2017年04月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類

昨日(4月26日)、拙著『風が開いた書斎の窓』が拙宅に納品されました。



 それで拙著の入手を希望される方には無料でお送りたいと思いますので、下記のメールアドレスに氏名、住所をお書き下さり入手希望をお伝え下さい。
             ↓
 yamamomo02@yahoo.co.jp







最終更新日  2017年04月27日 09時14分14秒
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2017年04月16日
カテゴリ:カテゴリ未分類


 四月二七日に南方新社から出版予定の太田秀夫著「風が開いた書斎の窓」の原稿の第3校まで終了し、私自身が装画も担当した表紙の表と裏ともに南方新社から添付ファイルが送信してきましたした。

 それで拙サイト「やまももの部屋」に拙著の宣伝をアップし、「はしがき」や「目次」を紹介することにいたしました。四月二七月以降に拙著に興味を持たれた方は私宛メールに送り先の氏名、住所をお書き下されば無料でお送りいたします。






最終更新日  2017年04月16日 07時19分59秒
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2017年03月29日
カテゴリ:カテゴリ未分類


 『風が開いた書斎の窓』と名付けた太田秀夫の著作集を4月27日に出版することにいたしました。

 執筆者の太田秀夫がハンドルネーム「やまもも」で約十七年間運営して来たホームページ「やまももの部屋」( http://yamamomo02.web.fc2.com/ )にアップしてきた拙文のうち、論文「田中一村の遊印」に新たな訂正を加えて「田中一村の二つの遊印」と改題し、それに短編小説集「目に染み入るような青い空」、エッセイ集「風が開いた書斎の窓」、宮部みゆき作品評論集「我らが隣人の宮部みゆきさん」の併せて計四編を一冊にまとめて自費出版したものです。

  私がこの著作集の出版を思い立ったのは、ひとさまから来年は古希ですねと言われたときです。 と言いましても、 古希を記念して出版を思い立ったのでは決してありません。嗚呼、馬齢を重ねてもうそんな歳になるのかと自己の年齢を思い知ったとき、拙サイトの運営がいつまでも出来るわけではなく、私が1999年から約17年間に渡って書き込んで来たインターネット上の拙文は、電子情報である限りこの世から瞬時に消え去ってしまう運命にあります。そう考えたとき、この世にせめて四編ぐらいは紙に印刷された活字情報としてこの世に遺したいものだと切に思うようになりました。

 これらの四編は、太田秀夫が自然と湧き起こる執筆意欲にまかせて書き綴ったもので、自分のための自分による自分の拙文でしかありません。特に私小説風の短編集や個人の思い出を纏めたエッセイ集などは、文芸界に新たな一石を投じようとか、独自の視点から社会に鋭く切り込んで問題提起しようとか、さらには有り難いお説教やご立派な教訓を上から目線で語ろうなんて大それた気持ちなどこれっぽっちもありません。

 それでもこの著作集の拙文の一部でも読者のみなさま方の琴線に触れ、想いと重なるようなことがありましたら著者としてこんな嬉しいことはないと思い、出版することにしたのです。

 もし拙著の入手を希望される方は「ポンコツ山のタヌキの便り」のこのブログの拙文下か太田秀夫のフェイスブッグの拙文下のメール宛てに住所、氏名をお書き下さり、その旨お伝え下さい。5月以降に無料でお送りしたいと思います。

 なお、もしありがたいことに書店の店頭で拙著のご購入を考えて下さっている方がおられましたら、残念ですが店頭に並ぶことはありませんので、もし入手を希望される場合、やはり私宛にメールで配送先のご氏名、ご住所をお書き下さってその旨お伝え下さい。5月以降に無料でお送りいたします。

 太田秀夫宛てメールアドレス
   yamamomo02@yahoo.co.jp







最終更新日  2017年03月31日 19時33分51秒
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2017年02月17日
カテゴリ:鹿児島


 2月11日、12日に次男の望が大阪から鹿児島の我が家に帰省してきましたので、私たち夫婦は彼の運転で出水まで武家屋敷や鶴の見学に出掛けました。

 出水麓は、薩摩藩内に設けられた江戸時代の外城制度の麓として最大規模のものとのことです。なお、薩摩藩は領内を113の「郷」に分割し、藩の直轄郷には「地頭仮屋」、私領には「領主仮屋」を設け、その周囲に外城衆中(郷士)を配置し、郷士は農耕で自活するという兵農一致の生活を送らせるという「外城」すなわち「麓」の制度を取っていました。今回の出水訪問では、当時の面影を遺した税所邸や竹添邸などの武家屋敷を見ることが出来ました。

 出水市は鶏肉・鶏卵の生産額日本第2位の「鶏のまち」でもあります。そんな出水市で新たに開発当地グルメが鶏肉と鶏卵を組み合わせた「親子メニュー」だそうで、市内のレストランで鶏肉焼き肉、鳥刺し、卵スープ、黄身二つ入り卵とご飯がセットになった「いずみ親子ステーキごはん」を美味しく賞味させてもらいました。

 出水で鳥と言えば、鶏だけではありませんね。出水平野には毎年10月中旬から11月中旬にかけて約1万羽のナベヅルと約3千羽のマナヅル等の鶴が飛来してくることで有名ですね。無数の鶴が賑やかに鳴き騒いでいました。これらの鶴さんたちも2月上旬から3月下旬頃にシベリアに飛び立って行くそうです。

 最後に薩摩川内市の藤川天神にお参りして帰ることにしました。天神様ですから菅原道真公が祀られています。えっ、菅原道真公は大宰府政庁の近くで生涯を終えられたのではなかったかですって。そんなこと観光(菅公)のためなら「天神様のお参りだ、行きもよいよい、帰りもよいよい」とどうでもよいのと違いまっか。






最終更新日  2017年02月27日 16時29分29秒
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2017年02月11日
カテゴリ:news
1984年にアップルコンピュータ社の創始者スティーブ・ジョブズが「マッキントッシュ」を売り出したとき、つぎのようなジョージオーウェルの作品に擬えた有名なCMを流します。

 
 https://www.youtube.com/watch?v=1j3A6ckVois

 モノクロ画面に囚人服のような灰色の服を着た男たちが巨大なスクリーンの前に整然と座っている映像がまず映し出されます。さらにそのスクリーンに演説する 「ビッグブラザー」の顔が大きく映し出されます。そこに白いランニングシャツに鮮やかな赤色の短パン姿の若い女性がヘルメットで武装した警備隊から追われながらスクリーンの前まで走ってきます。彼女は手に持っていたハンマーを大きく振り上げ、スクリーンに投げつけます。そしてつぎのような文章が表示されます。

 On January 24th, Apple Computer will introduce Macintosh.
 And you’ll see why 1984 won’t be like “1984”.
 1月24日、APPLEコンピュータはMACINTOSHを発表します。
 そして、あなたは1984が「1984」にはなり得ないことを確信するでしょう。

 この有名なコマーシャルは、マッキントッシュのようなパーソナルコンピュータの普及によって、ジョージ・オーウェルが未来小説『1984年』に描いたような未来社会、すなわち全ての人々が「ビッグブラザー」に監視され管理されるような全体主義的世界にはなり得ないだろうとしたのです。

 しかし、現実には各人の所有するパーソナルコンピュータのみならず無数のタブレット、スマートフォンがインターネットで結びつけられ、マスメディアを介さない怪しげなフェイクニュースが垂れ流され、多くの人々がそれらから「真実の情報」かどうかを確かめるよりも「そうあってほしい情報」、「分かりやすくて好ましい情報」だけを選び取り、さらにそれらをネットで拡散して行く情況が生まれています。

 現在もし日本の電気通信事業者やコンピュータ、スマートフォン、携帯電話、タブレットの販売会社が社会の真実をありのままに伝えるのなら、白犬一家や三太郎、黄色い鳥などを登場させるのではなく、トランプ米国大統領と自分たちの望む新大統領の誕生に喝采する半数の米国民、そしてこの米国の新大統領に条件反射的にひれ伏すどこかの国の首相の姿を映し出し、さらにの映像に重ねてつぎのような文章を流すべきでしょう。

 いま我が社は発表します。
 みなさんはいま2017年からオーウェルの『1984』が予測しなかったような
   大衆迎合的全体主義社会の新たな誕生を予感するでしょう。

















最終更新日  2017年02月12日 20時50分40秒
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2017年02月07日
カテゴリ:鹿児島

  昨日と今日の両日(2月10日、11日)、鹿児島にも雪が降り、朝に玄関のドアを開けましたら庭は銀世界でした。昨年の2016年1月25日には12センチの積雪がありましが、今回の積雪は鹿児島市内で1センチ程度のものですが、それでも拙宅の前の道路は凍結のために普通の自動車タイヤではスリップの危険が在り、私の透析治療の病院通いは2時間程遅らせてもらいました。

    

 南国鹿児島も2月の今頃は寒い日が続いており、骨川筋衛門状態の私にはキツイものがありますが、来週の後半ぐらいから暖かい日がやって来るようで、そんな日を楽しみにしています。







最終更新日  2017年02月11日 20時59分55秒
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2017年02月05日
カテゴリ:手塚治虫

 二月九日が「漫画の日」とありましたので、もしかして手塚治虫と関連した日ではないかと「何の日&出来事カレンダー 2月」をクリックしましたら、ピンポーン、大当たり、「漫画家・手塚治虫の命日」でした。

 私が手塚治虫の漫画に遭遇したのは、小学校2、3年生頃に4才年上の従兄弟の家で目にした「サボテン君」(雑誌雑誌『少年画報』に連載)でした。もちろん一目見て他の漫画家と大いに異なるその斬新な漫画のタッチとスピーディな物語の展開に心を奪われました。

 さらに私が毎月購入するようになった少年漫画雑誌『漫画王』{秋田書店発行}にも中国の長編物語「西遊記」を手塚治虫が漫画化した「ぼくのそんごくう」が連載されており、大いに楽しむことが出来ました。小学校4年生のときには、小学校の友だちの家で光文社の月刊漫画雑誌「少年」に「鉄腕アトム」が連載されているのを数冊借り出して何度も繰り返し読んで大いに楽しみ、その友だちに返却後また数冊借り出すことを何度も繰り返しました。そしてとうとう家での購入漫画雑誌を母に頼んで秋田書店の『漫画王』から「鉄腕アトム」が連載されている月刊漫画雑誌「少年」に切り替えてもらいました。


 私だけでなく、多くの子どもたちが手塚治虫の漫画に魅せられ、夢中で愛読したものです。そんな手塚治虫も1989年2月に胃ガンで亡くなっています。手塚治虫の他界後、彼を追悼するために様々な企画がなされ、また多数の作品、文章が発表されましたが、私の気持ちを一番よく表してくれていたのは同じ団塊世代の矢口高雄の『ボクの手塚治虫』(毎日新聞社、1989年10月発行)でした。この矢口高雄の『ボクの手塚治虫』について、すでに拙ブログに書いてアップしています。
  

 なお、漫画の神様と讃えられるようになった手塚治虫ですが、一人の漫画家として他の才能のある漫画家の評判をとても気にする「嫉妬の神様」でもありました。そのことについて原田高夕己さんのブログ「漫画のヨタ話」の「福井英一」にとても興味深い記述がありました。
 

 手塚の他の漫画家への嫉妬は福井英一のみならず、石森章太郎、水木しげる、大友克洋等の才能ある漫画家に向けられ、激しい対抗心を燃やして自分自身の創作者としての飽くなき変化と向上のための糧としたのでした。







最終更新日  2017年02月05日 19時01分23秒
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