naomatsu724さん、コメントをありがとうございます。
naomatsu724さん運営のブログ
「自分の一番、見付けた!」を拝見させてもらいましたら、小川裕夫さんが『荷風!』Vol.8で都電のことを書いておられることを紹介されていますね。ところで、永井荷風と言えば、彼がアメリカ、フランスでの外遊を終えて帰国した1908年に書いた「すみだ川」には、明治後期の東京の路面電車に繰り広げられる車内風景が見事に活写されていますね。
荷風は、四谷見付から「別に何処へ行くという当もない」ままに築地両国行の電車に乗るのですが、車掌が「スントミ町」と発音する新富町を過ぎて坂本公園前に来たときに停電のために降ろされてしまいます。そのとき、車掌が「要求もせぬのに深川行の乗換切符を渡してくれた」ので、「浅間しいこの都会の中心から、一飛びに深川へ行こう――深川へ逃げていこうという押さえられぬ欲望に迫められ」、荷風が愛する江戸趣味の風情がまだ残っているであろう深川に足を向けることになります。
それで、岩波文庫の永井荷風『すみだ川・新橋夜話』掲載の「すみだ川」の文章の一部を下に引用しておきます。
麹町の三丁目で、ぶら提灯と大きな白木綿の風呂敷匂を持ち、ねんねこ半纏で赤児を負った四十ばかりの醜い女房と、べエスボオルの道具を携えた少年が二人乗った。少年が夢中で昨日済んだ学期試験の成績を話し出す。突然けたたましく泣き出す赤児の声に婆芸者の歯を吸う響ももう聞えなくなった。乗客は皆な泣く子の顔を見ている。女房はねんねこ半纏の紐をといて赤児を抱き下し、渋紙のような肌を平気で、襟垢だらけの襟を割って乳房を含ませる。赤児がやっとの事泣き止んだかと思うと、車掌が、「半蔵門、半蔵門でございます。九段、市ヶ谷、本郷、神田、小石川方面のお方はお乗換え――あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒な乳房をぶらぶら、片手に赤児片手に提灯と風呂敷包みを抱え込み、周章てふためいて降り掛ける。その入口からは、待っていた乗客が案外にすいている車と見るやなお更に先きを争い、出ようとする女房を押しかえして、われがちに座を占める。赤児がヒーヒー喚き立てる。おしめが滑り落ちる。乗客が構わずそれをば踏み付けて行こうとするので、此度は女房が死物狂いに叫び出した。口癖になった車掌は黄い声で、
「お忘れものの御在いませんように。」と注意したが、見るから汚いおしめの有様。といって黙って打捨てても置かれず、詮方なしに「おあぶのう御在いますから、御ゆるり願います。」
漸くにして、チインと引く鈴の音。 |
私は当面、鹿児島に限定して小説等に描かれた路面電車の記述を探すつもりですが、いろんな作家が日本各地の路面電車のことをあれこれ描いていると思います。それらの記述を集めるのもまたとても楽しいことでしょうね。