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カテゴリ:エッセイ
仙台の市川寛治叔父への返事
次男の望(大阪の病院勤務)が東北地方太平洋沖地震の被害状況を学ぶために仙台市に立ち寄ったときに、私の亡母昌子の姉弟(達夫叔父、寛治叔父、宣子叔母)に連絡を取って、そのときに私が四月に自費出版した拙著『風が開いた書斎の窓』を手渡すことになりました。 ところで仙台市には達夫叔父、寛治叔父、宣子叔母さんたちが住んでいるのですが、私の子どもたちとはどのような親類関係になるのでしょうか。辞書で調べましたら大叔父、大叔母ということになるそうです。
次男の望は達夫叔父さん、宣子叔母さんとは寿司屋さんで寿司をおごってもらったそうですが、残念 ながら寛治叔父さんとは今回はお会いできませんでした。その寛治叔父さんから拙著贈呈に対するお礼の葉書が届きましたので、その返事を書くことにいたしました。 市川寛治叔父への返信内容
前略 拙著贈呈へのお礼のお葉書をいただき、「昌子姉のことなど思い出し、懐かしく読ませていただきました」等のお言葉をいただき感激しております。
私の大学浪人時代、仙台の叔父さん、叔母さんたちには大変お世話になり、そのことは拙著『風が開いた書斎の窓』の短編小説「目に染み入るような青い空」にも書いておりますが、そんな叔父さん、叔母さんに私の次男が去年、今年と二回に渡って連絡を取り、温かく歓迎して下さったことに痛く感激いたしました。
ただ残念ながら、次男の望の仙台訪問では、寛治叔父さんとは今回はお会いできなったとのことです。それでも寛治叔父さんから久しぶりにお葉書をいただき、大喜びしております。 私が大学浪人時代、確か寛治叔父さんは大学卒業後銀行に就職されて6、7年経った頃だったと記憶しています。生意気な私はいろいろ議論をふっかけ、「大人」の寛治叔父さんから非常に真面目に反論していただいたことに驚くとともに感激したものでした。
そんな時代から半世紀以上過ぎ、私は70歳、叔父さんは82歳になられたとのこと、あのときのことを懐かしく思い出す今日この頃です。叔父さんはきっといまも聖書の勉強会を真面目 に続けておられることと思います。いつまでもお元気でご活躍下さい。
敬具
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最終更新日
2017年08月15日 11時33分06秒
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