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カテゴリ:やまももの創作短編
1974年、その年は内川雅人くんが大学院の修士課程を修了し、博士課程に進学した年でした。
新たにアルバイトで夜間に週一回の幼稚園の宿直を開始しましが、毎夕刻、その幼稚園で勤務を終えて帰るある先生に心惹かれ、「おつかれさまでした」「よろしくお願いします」なんて簡単な挨拶を交わす度に胸をときめかせ淡い恋心を抱いたものです。 そんな幼稚園の先生が雅人くんが宿直室に辿り着いたばかりのときに、彼を待っていたのかすぐに宿直室の入り口近くにやって来て、雅人くんになんと声を掛けてきました。「私の弟に来年2月に国立大学受験を目指す高校3年生の弟がいますが、できたら英文和訳の家庭教師をしてもらえないか」というのです。どうも幼稚園に提出した履歴書から雅人くんが外国語大学の卒業生らしいと知ったようです。「理系の学科は得意なのに文系の科目が不得意で、特に英文和訳がからっきし駄目なんです」とのことです。 それから毎週1回夕方、天王寺駅から阪堺線のちんちん電車に乗って天下茶屋駅近くのその高校3年生の家まで和文英訳を教えに通いました。彼は府立天王寺高校の生徒で、理系の学科は得意で、数学などはほぼ満点を取るけれど、英文和訳は苦手とのこと。しかし天高生、流石に英単語や英文法の基礎力はしっかりしていました。ただ彼の勉強部屋の本棚に並んでいるのは学習参考書のみで、文学書と言えるような本は一冊もありませんでした。そのためか一緒に勉強を始めた頃は、使用することになった英語短編集を訳させると、とても奇妙な英文和訳の羅列に驚かされました。しかし、回数を重ねるごとに次第に分かりやすくて文法構造もしっかりした日本語に訳せるようになって行きました。 使っている英文短編集には小説、エッセイ、評論、記事などが課題文として載っており、オー・ヘンリー「賢者の贈り物」、アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」、サマーセット・モーム「月と六ペンス」などの名作も載っており、それらの一節の意味を分かりやすく解説することに高校生も次第に興味を示し出し、教える内川くんもそのことを大いに楽しんだようです。 対話を楽しんだと言えば、モハメド・アリがジョージ・フォアマンと挑戦し、劇的な8回逆転KO勝利を収めた世界ヘビー級タイトルマッチを雅人くんがテレビで観戦し、その直後に高校生の家に赴いたとき、熱を込めてその試合の 有様を高校生に語ったものです。モハメド・アリは人種差別に反対し、ベトナム戦争で徴兵されたときにはそれを拒否したためにボクシングの王座を長期間剥奪されていたが、今回の世界ヘビー級タイトルマッチでは、フォアマンがエンジン全開で猛攻をかけてくるのを巧みなクリンチで忍び、フォアマンが疲れ切った8回に顎に強烈なワンツーパンチを浴びせてマットに沈めたなんてことをこと細かに語ったものです。 さて高校生の大学受験結果はどうなったでしょうか、一期校の大阪大学工学部は駄目でしたが、二期校の大阪教育大学中等教育理科コースに合格し、ご両親に喜んでもらえました。えっ、姉の幼稚園の先生とはどうだったのかって。今回もほろ苦い片思いで終わりましたよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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暑中お見舞い申し上げます。
暑さもここに極まれりという毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。 家庭教師は私も5人受け持ちました。 小1から中3の受験生までです。 それぞれの子供たちに思い出はありますが、近所の中3の男の受験生が一番でしょうか。その子は高校、大学と順調に進学をしましたが、私が銀行に就職して小倉支店に配属になり、しばらくした頃、同じ銀行に入行したという話が聞こえてきました。その後、なんと教育期間が終わって同じ小倉支店に配属になって私と机を並べて仕事をすることになりました。 その後、私は安全商品を扱う会社の九州支店に転職しました。すると彼は頻繁に我が家に夜 押しかけてきて「私も転職をしたいので、クマタツさんと同じ会社に世話していただけませんか」とウィスキーを舐めながら言うのです。(当時はレッド全盛時代でしたが、下戸の我が家に彼が持ち込んだのか、我が家でもお客さん用に用意していたのか忘れました) 私も縁ある彼のことですから、何とかしようと動きました。その結果、尼崎支店ならということで彼も快諾して、尼崎に行くことで決着。 その後は関西方面を転勤して回っていましたが、いろいろあって私に相談があり、鹿児島に配属になりました。 親会社としては、うまくいけば、私の後継者にという思惑だったのですが、残念ながらそうもいかず、私の退職後、定年を待たず辞めてしまったようです。 その後も、折に触れて連絡は取り合っていますが、職場の同窓会などには参加せず現在に至っています。 そいうことで、やまもさんのように「ほろ苦い思い出」どころか残念な思いだけが残る結果に終わってしまいました。 (2018年07月24日 11時24分35秒)
クマタツさん、興味深いコメントに感謝します。家庭教師として教えられた中3生が社会人として成長し、クマタツさんが勤務されていた銀行の同じ支店に入ってこられ、同じ机に並ばれたとのこと、それはまた奇遇ですね。
また別会社に移られたときは、その人も同じ職場に転職されたとのこと、クマタツさんのお人柄を信頼されてのことでしょうね。 その方をクマタツさんの後継者とも考えられたのに、定年を待たずお辞めになられたのこと、それは本当に残念でしたね。 (2018年07月25日 15時02分39秒) |