東京都美術館「田中一村展」
10月下旬、東京都美術館に「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」を観に行きました。日曜美術館で紹介されたばかりだったせいか、すごく混んでいました。田中一村というと、奄美の画家という印象が強かったのですが、彼の一生にわたる画業を見ていくと、全く違うイメージを持ちました。田中一村は子供の頃から天才的に絵が上手く、7歳で「菊図」という水墨画を描いていることに驚きました。彫刻家の父がその作品に筆を加えたことに腹を立て、その部分を破り取った跡があり、子供ながらに頑固な一面がうかがえます。そして、せっかく東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学するも2ヶ月で退学、独学で自分の絵を目指します。中国の文人画に倣い、17歳にして若き南画家として活躍します。「蘭竹図/富貴図衝立」は両面に作品が描かれた衝立で、蘭竹図は力強い水墨画で目を見張る迫力、富貴図は色鮮やかで大きな牡丹が描かれひときわ目を惹いていました。23歳で描いた「椿図屏風」は、右隻に華やかな椿の群生、左隻は背景の金一色という大胆な構図。さまざまな作品を手掛けていたことがよく分かります。20代で家族の不幸が重なり、27歳で父を亡くし、30歳で千葉へ移り住みます。千葉寺では身近な風景画を描き、その絵にはどれも小さく人々の営みが描かれ心温まるものばかりです。この頃の味わい深い田園風景に心惹かれます。そして、40歳で日本画壇に打って出ます。川端龍子主宰の青龍社展に「白い花」を出品し、公募展唯一の入選作となりました。この絵は、白い花を描いていますが、色鮮やかな葉の緑と鳥が印象的でとても好きな作品です。ついに50歳で奄美大島に移住します。制作費を蓄えるため5年間紬工場で染色工として働き、3年間作品作りに没頭します。奄美特有の植物や鳥を題材に素晴らしい作品を描きました。この展覧会で田中一村、生涯の画業を辿ることで、一村の人生を見たような気がしました。自然や鳥を愛し、世に出ていない個人蔵の作品が多く気軽に色紙や葉書に描いたことからも、人々から慕われていたことが分かります。様々な画業、人生を送り模索する中で、辿り着いたのが奄美の自然だったのでしょう。そう思うと、奄美の絵も感慨深く思えます。興味のある方は、12月1日まで上野の東京都美術館で開催されているので、ぜひご覧になってください。●東京都美術館 https://www.tobikan.jp/●田中一村展 https://isson2024.exhn.jp/