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カテゴリ:音楽全般
このブログでは、ずっと音楽の話題に限定して書いてきています。
これからもずっとそのつもりです。 今日の時点で140件ほど投稿してきましたが、読み返してみると、表現したいイメージを言葉にうまく変換できていないものが多い...。 じゃぁ、今書き直すとどうかというと、うまくできる自信が全くありません。 特に、LPやCDのレビュー記事にそれを感じますね...。 評論家って、実は凄くきらいな人種だったりするんですが、その点に関してはリスペクトします(笑)。 脳内で、音楽を感じる部分と言葉を司る部分は違うのだから本質的に変換はできないという勝手な仮説を立てて自分を慰めてみる一方で、絶対音感を持つ人は言語中枢で音を理解しているという科学的事実に対して、その仮説は全くの絵空事なんだぁ...と納得する自分もいます(笑)。 ただ、ちょっと違う見方もできるなぁと思い始めています...。 (かなり以前に読んだ本の内容をふと思い出して色々考えてみたのですが)個人個人が全く違う背景を持って社会生活を営む中、コミュニケーションをとろうとすれば、表現したいことの最大公約数的なもの、あるいは言い換えれば最も抽象化されたものが必要となる...。 それが「言語」であって、表現したいものがあるならば、必ずそれに対応した単語が生まれるはず...。 例えば「りんごは赤い」という文章を例にとれば、「赤」の感じ方は人それぞれなのでしょうけれど、少なくとも「赤い」という言葉を作っておけば、コミュニケーションは取れる。 日本語には、昔「静寂」を意味する言葉がたくさんあったそうですね...。 それは、今や完全に失われています...。 「静かなこと」にも「異なるもの」がたくさんあって、それを表現する必要があったのでしょう...、昔は。 そのような失われた言葉がたくさんあるそうです。 (脱線しますが、日本人が豊かな感受性を失いつつあるという認識の正しさは、そういう事実で裏打ちできそうな気がします。) 音を言葉で表そうして悶絶するのは、それを表現できる単語が無いだけなのかもしれません...。 そうであるならば、そのような単語を生み出す社会的必要性が希薄なのでしょうか...? という風に考えをめぐらせてみた後で、言葉から音に戻ってくると...。 自分のギタープレイ...、 まだまだ自分の頭の中を表現できるボキャブラリがあまりに少ないことに愕然とします...。 未だに「指が動かない」ことで悩んでいますからね。 言葉で表現することと楽器で表現することはよく似ている...というのが今日の結論です...。 最初の仮説と正反対っぽくなってしまいましたね...。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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