『壁のむこうへ-自閉症の私の人生-』by スティーブン・ショア
国際シンポジウムも無事に終わり、招聘外国人の方も皆さん帰国しました。横浜シンポジウムの直前に、神戸の国連防災会議や淡路夢舞台で行われた自閉症シンポジウムなどがあり、すべての企画に参加した人にとっては10日以上の長丁場となりました。私は、横浜の事務局だけだったので、関わったのは少しだったのですが、結構、ハードでした。こうすればよかったなということもあるにはありますが、次に同じような仕事をしたら、もっと効率よくやれるように頭の中を整理しておきたいと思います。さて、表題の本は、今回のシンポジウムにも参加した自閉症スペクトラムの当事者であるスティーブン・ショア氏の著書です。横浜シンポジウムで、「スペース96」という障害者関係書籍を専門に扱っている書店が出店をしていて、そこで買ったんですね。著者のサインももらおうと思って♪ところが、私の言葉が足りなかったために、もらったメッセージは・・・。Great to meet youand I feel you area great support toyour son.宛名は確かに私の名前、サインも確かに彼のサイン。でも、私は子供はいないじょ・・・。なぜそうなったのかというと、横浜シンポジウムの後日に行われた、自閉症児を多数受け入れている武蔵野東学園主催の講演会のあとの交流会でサインをもらったので、他にサインをもらっていた人たちがみーんな、自閉症児のお母さんだったんですね。私は、そのあとに並んでサインをもらったんですよ。しかも、自分が横浜シンポの事務局だってうまく説明できなかったんですよね。(最初にちゃんとあいさつしてないのが、いけないんだけど。)自分が、本を読んだ感想とか、感じたこととか、思いとか、まったく説明できる言葉をもてなかったことがひじょうに残念でした。ほとんど読み終わっていたんですけどね。というわけで、感想はそのうちメールで本人に送るのだ。(ささやかな決意☆)自閉症児のお母さん達は、どの方もみな自分の持っている言葉を使って、懸命にコミュニケーションを取ろうとしていました。障害児のお母さんって、例外なくみなパワフルな人たちばかり。母親ってホント強いですよね。子への想いが周りを強力に動かします。ときにそれは本人の力とぶつかることもあるのだけど、本人が子供の頃は、母親の影響は絶大ですから、そのパワーは良い方向に進むと本人の支えになります。さて、著者のスティーブンですが、彼は、とてもポジティブな人です。ムリしてそうなのではなく、呼吸するように自然にそうなのだと思います。実は、方向オンチ、英語もさっぱりのやまねこが観光のガイドを一瞬だけしたときに(英語のできる先輩研究員が途中で帰宅してしまったので、帰りはわたしの案内という恐ろしい(?)一瞬があったのです☆)思いっきり、反対方向にかな~り歩いてしまったんですね。やまねこ的には「いつものこと」なんですが(汗)・・・。でも、彼は、そして、いっしょにいたふたりの学生さんも、「今日は天気も良いし、散歩ができてよかった」といったことを、自然に言ってくださるんですね。。。救われました。もちろん、自分にとって本当に困った状況の時には何ができて、何ができないのか、どういう援助が必要なのかをちゃんと説明できる人です。現状のすべてを甘んじて受け入れたりはしません。だからこそ、彼は、自閉症の当事者として、発言し、学業も修め、研究活動もできるんだなと思います。主張するところと受け入れることのバランスの大切さを今回のシンポジウムに関わるすべてから学びました。そして、英語を話すことについてなんで今まで壁があったのかということもなんとなくですが、気づけたような気がしています。コミュニケーションに必要なのは、素直さだと思います。素直に感じ、伝えることです。伝えたいと強く強く願うことです。英語で話す以前に、自分には、その素直さみたいなものが欠けていたように思えるのです。素直に感情を伝えることに、一瞬の間があるというか恥ずかしいと思ってしまうのです。なんていうか、嬉しい、楽しい、大好きみたいなストレートな感動や感謝の気持ちを表出するのに気恥ずかしさみたいなものが先にたつのですね。でも、英語で話す人って、そういう感情表現をぽんぽん自然にいうじゃないですか。ちょっとのガイドでそういう単語を何度も聞いたような。感動をすぐにその場で、素直に伝えられれば!いつも、いつも、いつも、言葉が足りないような気がしています。そういったはがゆさみたいなもので、自分はあとから文章を書いているのかもしれませんけどね。それが表現の原動力ならそのままでいいかというキモチといやいや・・・というキモチが微妙にケンカしています。***これは一連のシンポ関係の行事の所感みたいなもので、まだ本のれびうにはなっていないですね。れびう書きをずいぶんとさぼってしまったので、今日帰宅したら、今日のうちに、この本のショートれびうを仕上げたいな思っています。***先日の国際シンポジウムとの関連で自閉症スペクトラムの当事者の本を紹介しようとしたところ、ちょうど自閉症の人が出る番組が今日放送されるとか。情報源は、こちらのartlabova-goodsさんの日記☆あとで見終わったら、関連れびうを書こう。。。***さて、スーパーテレビ「自閉症の我が子へ2~奇跡の子育て奮戦記」(NTV系列22時)も踏まえて、カンタンにれびうを書きたいと思います。まずは、自閉症スペクトラム障害(autistic spectrum disorders)についてですが、これは「自閉症にはいくつかの下位概念があるが、それらは個別の疾患ではなく、程度の差に過ぎないとの想定で命名された概念」(『日本LD学会LD/ADHD等関連用語集』)です。スティーブン・ショアもこの考え方を採っていて、米国精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアル第4版(DSM-4)のように、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害-他の亜型、レット症候群、小児期崩壊性障害と別々に見るのではなく、自閉症からアスペルガーまでを程度の問題、「表現するもののバラエティーの増加」で見ている。図に表すと、まさに「スペクトラム」であり、虹の光を発するプリズムのようにも見える。そのように捉えるのは、「受けた診断がどのタイプに該当するか考えこむよりも、子どもが必要としているサービスやプログラムを提供することに力を注ぐほうが断然意味のあることだろう」(p.242)と考えるためである。さて、テレビでも、自閉症は100人いれば100人がちがう障害ということで紹介されていた。知的障害が重いか軽いかと自閉傾向が重いか軽いかで「こだわり」もちがってくるというわけである。テレビでは、3年前から成長を追ってきた養護学校に通う少年(9歳)と、小学校までは地元の小学校の特殊学級に所属し現在は養護学校の中学部に通う少年(14歳)とそれぞれの両親に焦点を当てていた。課題はそれぞれだが、キーワードは、「コミュニケーション」、と「学校卒業後」(もっと言えば「親亡き後」)である。噛み付いたり、叫んだりするのは、言葉でうまく思いを伝えることができないからで、敏感すぎる感覚で自分の感じていることが伝わらなくて歯がゆいからだろうか。『壁のむこうへ』は、本人の言葉で書かれ、「自閉症の我が子へ2~奇跡の子育て奮戦記」は、親の言葉で語られている。どちらでもない自分は、どちらの立場にも立てないが、その立てないことを前提にできることは何かを考えることが必要なのではないかと思っている。(2月1日補記)著者からメールをいただいたので、返信をつけたところさらに返信をいただきました。英語で直接話すのはまだまださっぱりの私ですが、メールは通じてよかったです。昨日書いたように、スティーブンさんは、物事をポジティブに捉える人であると同時に、現状のすべてを甘んじて受け入れるのではなく、自分は何ができて、何ができないか、どういう援助が必要なのかをちゃんと説明できる人だと私は思っているのですが、ふと、ラインホールド・ニーバーの「平安の祈り」をイメージしたので、メールにその詩の一部を引用したんですね。この詩は、「セルフヘルプグループ」活動をする人に影響を与えているので、英語日本語問わず、検索するとたくさんでてきます。私も「セルフヘルプグループ」(本人の会といったイメージでしょうか。)について少しだけ文献を読んだことがあって知っていたんですね。***serenity to accept what cannot be changed,courage to change what should be changed,and wisdom to distinguish the one from the other. ***こんな「冷静さ」と「勇気」と「知恵」がほしいなぁとつくづく思います。スティーブンさんもこの詩をご存知だったので、ちゃんとメールが対話になって嬉しかったのです。ますますもって、れびうじゃないですね。。。にしても、世間話とか普通の会話がどーも苦手みたいだ。それは英語でも日本語でもそーなんですよねぇ。用件か感想しか言うことないんか、自分。とため息つきつつも、話し掛けるきっかけは「道を教えてください」か「アナタの本を読みました」しかない、シャイねこなのでした☆