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七月が終わり、八月が始まりました。
夏らしい事をしていないので、なんとなく乗り遅れた感がありますが、 まだまだ夏は序盤。 ですよね、序盤です。 もう学生は夏休みに突入している真っ最中でしょうか。 あと一ヵ月後に、宿題の山を見て顔を青くする…なんて漫画みたいなこと、 今でもあるのでしょうかね。 ちなみに自分は、「メガネなのに別に勉強が出来るわけではない」という伊達メガネでしたので、 当然宿題なんてやってませんでした。 なんとかなる。 学校に行って写させてもらおう。 間に合わなかったら家に忘れたって言おう。 そして、こってり怒られるというパターンを、幾度と無く繰り返していた気がします。 僕は本当に勉強が嫌いな少年だったと思います。 いや、勿論得意教科はありましたし、解ける問題がある時はそれなりに楽しんでいました。 得意な教科というのは…、 ええ、そうです。 国語です。 しかも現代文限定です。 何にも得意な教科がないなら、とりあえず「国語得意」って言っておけ、と使用される事が多い教科です。 でも他にもありますよ。 数学……算数の、なんて言うんでしたっけ、あの角度を求める奴。 三角形は180度だ、なんだ。 平行した線があって、こことここが同じ角度になるとかなんとか。 あれは楽しかったですね。パズルみたいで。 初めて数学……算数が楽しいと感じた瞬間でした。 しかし、その角度計算も、その後発展し、なにやら謎めいた記号に彩られるようになり、 早々に僕の得意分野から姿を消すことになったのは言うまでもありません。 国語に関しても、古文や漢文の登場とともに、衰退していきました。 まあつまり、得意な教科というものは無いという事になってしまいますね。 教科の中で、得意な部分がある、と言い換えることにします。 僕にとって、勉強って何だったんだろうなぁ。 まあでも、勉強が出来なくて、一年間浪人して、一年遅れて大学に入ったからこそ、 山田、熊脇と同学年になり、水島とも出会い、やまのみず結成に繋がったわけですから、 勉強が「出来なかった」という部分に大きな意味があったわけですね。 すごく、ポジティブです。 悲しくなんてありません。 そういえば子供の頃、 「こんな勉強がなんかの役に立つのかよ」 という台詞をよく耳にしました。 主に、理系の教科でささやかれていたと思います。 思うのですが、学校で習う程度の勉強が何かの役に立つことなんてそうそうありません。 そして、勉強を役立てる仕事に付ける人も、そうそういません。 勉強というのは、篩い(フルい)であって、 その人の向き不向きを見分け、 ほんの一握りの、アインシュタインや野口英世を育てるための、気の長い網目なのじゃないかなぁ、と。 世に言う発明家や科学者、研究者などが、歴史の偉大な新発見をするための篩い。 当然、大部分の人は、その学問に関係の無い仕事に就くわけです。 僕もまたそうですし、それで良いと思っています。 だから、もうそんな子供に出会う機会も無いと思いますが、 「何の役に立つんだよ」という子供がいたら、こう言ってやるつもりです。 「将来、君や君の身内を助けたり、暮らしに役立ったり、新たな事実を知る事が出来る、 そんな人を見つける為のものなんだよ」 と。 偉い人がタイムマシンを作ってくれたら、僕はこの台詞を言う事が出来るのですが。 八月が始まっていくだけで、戻れる事はなさそうです。 記:野間(通信簿には明るいの一言)大資 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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