たまらん。
亀山裕昭。
野間氏の友人である。
友人と書いて「マブ」と読んでもいい。
おそらく亀山氏の方はそう思っていないだろうが、
野間氏は「別にエエじゃないか減るもんでなし」とのたまっている。
野間氏は現実においては社交性ゼロキャンペーン中のくせに、
文章ではこんな大それた嘘を平気で付くのだから、実に厄介者である。
亀山氏とは新進気鋭の画家である。
「絵が描けるというのは凄いものだ」
掲げられた絵を見ながら、野間氏は水島とそんな事を呟いていた。
何を隠そう、野間氏も水島もやまのみず内では1、2を争う絵心の持ち主である。
言うなれば絵師である。風景画ではなく、人物画を得意としている。
それが証拠に、
野間氏は大学時代、授業中に山田やその他手近な面々の顔をノートに書き連ねることで時間を消化し、単位を尽く落としていたし、
水島はやまのみずの大事な会議中でもワケノワカラヌ人物を必死に書いては怒られている。
野間氏は人物の特徴を的確に捉え、その特徴を強調し白日の下に晒すという中傷的手法であり、
いわば写楽の流れを汲んでいると言ってしまってもいいだろう。
水島は似顔絵は描かず、おそらくは想像上の人物を書くのだが、
なんだかヘンテコな部分が突起していたりと理解に苦しむ独特の画風で、
強いて言うならばシュルレアリスムに属するのだろう。
そんな昭和の奇才、野間と水島。それからもう1人、北海でぶくぶくと肥えている男を含めた3人は、共通の像を書くことを主としていた。
即ち、「おっさん」である。
例えば、こんな絵だ。
因みにこの絵の作成日は2006年12月6日となっている。
今から2年前、26歳時の作品である。我ながら情け無くて涙も出ない。
この「おっさん」は勿論架空の存在であるが、坂下茂男という人物には特別の思い入れがある。
のだが、ここで記す程でもないので割愛させていただく。
おそらくは水島も、心の中の「MYおっさん」を抱いている事だろう。
いずれは物産展ならぬ「おっさん展」を開きたいと、亀山氏の個展を見終えた後、その熱に絆された2人は静かに語り合っていた。
そんな野間氏は、亀山氏の書いた「スカイホール」という絵を痛く気に入っていた。
その絵は個展には飾られておらず、当日はポストカードのみ存在していた絵なのであるが、
やや曇り気味の空の下、今はすでに活動していない、寂びれた田舎にありがちなパチンコ屋が寒々しく描かれている。
駐車場はひび割れ、至る所から雑草が顔を出している。逞しい生命力ではあるが、決して好意的な力には見えない。
その建物の向こうに、おそらく料理長型鉄塔の頭頂部がほんの少しだけ見えている点も、氏はお気に入りだった。
「この荒廃感がたまらん」
野間氏はその絵から醸し出される荒涼とした停滞感から、
亀山氏の何とも言い難い圧倒的な孤独を勝手に感じ取り、勝手に共感していた。
実際の亀山氏が如何な人物であるかは、この際問題ではない。
ただ、亀山氏はとても良い人であると言う事は、伝え置かねばならぬだろう。
野間氏はそのポストカード絵を、とりあえず栞代わりとして使用している。
毎日本を開くたび、索漠とした栞から発せられる妖気に当てられ、
何ともいえないこてんぱんな心の状態で本を読み始めるのであった。
「それが良いのだ」と野間氏は言っていた。
芸術はムツカシイのだ。
記:野間(野間おっさん派・水島おっさん派)大資