やまのみず お笑い コント

2009/08/25(火)08:51

ある夏の鉄塔

の(588)

年季の入った原動機付自転車が、どどた、どた、と不規則な呼吸をして、 夏の大通りや午後の小径を通り抜けていきます。 俄雨があがると、夏の日差しはいよいよ活気付き、 細いアスファルトの道の先には逃げ水が、ぼんやりとこちらを伺っているようです。 住宅地の間に小さく切り取られた田圃の先に、京北線94号鉄塔が堂々と屹立しています。 私は原動機付自転車を路肩に停めて、ぼんやりとその鉄塔を眺めました。 俄雨の上がった空には、灰色の鋼管が良く映えます。 料理長の帽子のような鉄塔の頭頂部辺りを、小さな鳥が飛んでいきました。 額の汗が目に流れ、私は思わず顔を落としました。 すると、私と鉄塔の間くらいに、木々に囲まれた小さな赤い建物があることに気が付きました。 ――なんだろう。 不思議に思った私は、原動機付自転車の鍵を抜くと、その小さな建物へ近づいてみました。 鉄塔とその建物の間には小さな公園と駐車場があります。 私と建物の間には緑色の田圃が広がっているので、その赤い建物と木々は、取り残された島のように孤立していました。 申し訳程度に残された木々に囲われていたのは、小さなお社でした。 屈まなければ潜れないけれど、立派な鳥居も立っています。 お社の前には二匹の、これまた小さな狛狐。 祀られてから随分と時を経ているようで、狛狐は痩せています。 けれど、社の方は最近塗り替えられたのか、綺麗な赤色に染まっています。 狛犬や灯篭の灰色、木々の薄茶色の中で、その赤色は怪しく光っているようでした。 蝉がわんわんと鳴いています。 けれど社の周りはどこか静謐で、怖いくらいでした。 私は社に深々と頭を下げ、距離を取り、一息つくと、 鉄塔とその社に囲まれた木々とを一枚の写真に収めようとしました。 夢中で写真を撮っていると、遠くからとぼとぼと、一人の老婆が近づいてきました。 白と黒の混ざった小さな犬を連れています。どちらかと言えば、連れられていると言った方が的確でしょうか。 老婆はにこにこと笑いながら、私に話しかけてきました。 「写真撮ってるの?」 ――あ、はい。良いなあと思って。 「そうかいそうかい」 私から声を掛けることは絶対にありませんが、折角こうして機会を与えてくれたので、 私は聞いてみる事にしました。 ――このお稲荷様は、昔からあるんですか? 「そうねえ。三年くらい(おそらく昭和三年)からあるかね。  この辺りは、区画整理とかで、今は道になっちゃってるけど」 ――じゃあ、今はお社の周りだけの木が、ここ辺りにも生えていたんですか? 「ああそう」 ――あの鉄塔は昔からあったわけじゃないですよね? 「あれはなあ、あれもやっぱり三年くらいからあるんじゃないかな。  あの鉄塔は東久留米の方から続いてんだよ。知ってる? 東京の。  ほら、あそこに秋ヶ瀬橋ってあるでしょ。あれが三年くらいに出来たの。  それと同じくらいから立ってる筈だよ」 ――ハアー。古いんですねえ。わざわざどうもありがとうございます。 話も一区切り付きそうだったので、別れの意味も込めて私は頭を下げました。 「いやいや、ありがとうね」 老婆は何故か私に礼を言うと、犬に押されるようにして、田圃の横をとぼとぼと歩いていくのでした。 私は悪いと思いながらも、老婆の事を忘れたくなかったので、その後姿を写真に収めずにはいられませんでした。 再び鉄塔と社に目を向けました。 鉄塔の向こうには薄茶色の大きなマンションが建っています。 今からおよそ八十年前、この辺りはどんな景色だったのでしょう。 自分の立っている場所が、私が生まれるよりもずっと以前からあるのは当たり前ですが、 その時の私にはそれがとても不思議に思えたのです。 後で調べたところによると、鉄塔京北線の歴史は古く、昭和五年に建てられたようです。 ただ、その姿を今も残している鉄塔は少なく、殆どが建て替えられているようです。 この94号鉄塔は昭和61年に建て替えられたようです。 老婆の言っていたことは、殆ど間違っていなかったのです。 私はそんな事にも少し感動してしまいました。 あの老婆はどうして私に「ありがとう」と言ったのでしょう。 自分の住んでいる場所を、私が好きだと言ったから? 私が老婆の話を感心しながら聞いたから? あの老婆が赤く小さな社の主だったから、と言うのは、些か幻想的過ぎるでしょうか。 あの鉄塔と社が、いつまでもあれば良いなと、 誰に忘れられる事無くあれば良いなと、 今はそればかり思うのでした。

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