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玲児の近況

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2007.10.29
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 これは昔から疑問だった。当時の軍部が真珠湾の一年前にシュミレーションやっても必敗と予測していたし、常識的に無理であった。「一年ぐらいは暴れてみせる」(開戦前の山本五十六)などというひどい状況で、「勝つ軍は、勝てる状況を造ってから戦うが、負ける軍は、まず戦って勝ちを求める」という孫子の言葉どおり六ヶ月でミッドウエーになってしまった。ちなみに「軍が劣勢なら戦わず逃げまくれ」と孫子はいっている。
国家の経済的利害からしても、双方とも戦う意味があったのかと思う。結果論だが、第二次大戦後五年以内に米国は中国利権を失い、ヨーロッパは東欧とアジアの植民地を失った。
 ハル=ノートがソ連のスパイ:デクスター=ホワイト財務次官の起草になったことは良く知られているが、枢軸三国同盟がなかったら、ルーズベルトもこんな挑発はしなかっただろう。
 日独伊三国同盟を結んだ近衛文麿首相が、まず日米戦争を準備したといえる。
 日中戦争の泥沼・政党の解散(一党独裁の全体主義)も近衛文麿首相の責任である。
 年表をみると、普通選挙法が発布されて13年後に国家総動員法(日中戦争のため?の人権制限)になっている。17年後には全政党が解散してしまう。
 政治的変動の速さには注意しなければならない、我々も生きているうちに全体主義の恐怖に対面するかもしれないのだ。
 
 最近、しばしば出てくる「東アジア共同体」という構想、は、戦前の「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」と全く同じなのには呆れる。近衛文麿・尾崎秀実(首相顧問でソ連スパイ)、そして多くの大アジア主義者たちが吹聴した構想であり、東南アジアの独立を助けたとはいえ、日本自身にとっては敗戦・亡国への道を開くものだった。





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最終更新日  2007.10.29 09:09:10
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