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山里栄樹の男物和装ブログ

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2014年05月31日
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カテゴリ:男性和装
下級武士の服装(足軽、武家奉公人)

 身分の上下の別なく、武士には必ず家来がおりました。
 武士の妻は武家の当主である夫に仕える立場であり、同じ家屋敷に住む子弟も当主の臣下ということになります。未婚の武士でも身の回りの世話をする小者や下女がいるので全くの単身ではありません。武士の給与となる俸禄に付加される“扶持米”とは、家来を養うための手当を意味しています。
 さて、武士には禄高に応じて一定の数の家来を召抱えるという軍役が課せられていました。泰平の江戸時代において武士の家来たちは“武家奉公人”と呼ばれておりました。武家奉公人には足軽・中間・小者などがおり、足軽までが武士とされました。
 足軽は、軽輩、卒、若党、供侍とも呼ばれ、武家奉公人というより最下級の陪臣と位置けられます。諸藩では“同心”と呼ばれて徒士に準じる下級官吏とされている場合もあります。江戸時代後期になると、旗本の陪臣のほとんどが一代限りの“お抱え”や期間限定の“雇入れ”といった非正規雇用の足軽身分が常態化したため武家奉公人という扱いに変わっていきました。
 中間は、武士と町人の中間にある身分という意味で、お抱え”や“雇入れ”が一般的でした。大きな四角形(釘抜紋)を染めた半纏を着ていることが多く、“奴”(やっこ)と呼ばれました。食材を大きめの立方体に切ることを「奴に切る」と表現され、「冷奴」は豆腐を奴に切って食べることからその名がついたとされます。なお、諸藩の大名家によっては世襲で苗字帯刀を許されていた中間身分もあり、下級藩士の家格とされていたものもあります。
 足軽をはじめ多くの武家奉公人の報酬は、“給金取り”と呼ばれる現金と扶持米が支給されます。幕臣の足軽は一年で金五両二人扶持、中間は金二両二分というのが一般的でした。大名家の下級藩士や旗本陪臣の足軽は、三両一人扶持でした。これが武士の最低賃金とされており、町人たちから「三一(さんぴん)」といって蔑まれました。
 諸藩の足軽のなかには、村足軽、山足軽、郷足軽と呼ばれる郷士の足軽身分が存在しています。ほとんどが世襲身分でした。後代になると、幕臣の御家人株のように“足軽株”として身分・家督が金銭で譲渡されていたようです。俸禄は僅かな切米が支給されるのみで、“一石足軽”と呼ばれる切米一石(十斗)の足軽身分もありました。その多くは農地や山林を所有する自作農で生計を立てていました。有能な人材は代官所や郡奉行所の手代や小役人といった地方役人(じかたやくにん)に登用されることもありました。

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左;平服姿の足軽。武家奉公人の若党や供侍は、ほとんどが足軽身分であった。
右;槍持ち、挟箱持ちの中間。“奴”(やっこ)と呼ばれ、独特な服装であった。

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幕末、伊藤博文(写真左)は村足軽、山縣有朋は蔵元附仲間(ちゅうげん)。
いずれも長州藩では世襲身分で苗字帯刀を許された下級藩士の家格であった。



男物 草履 雪駄・軽装履(L寸/鼻緒白色/長さ:25.0センチ巾:10センチ高さ:3センチ)



 








最終更新日  2021年01月14日 11時23分37秒
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Re:下級武士の服装(足軽、武家奉公人)(05/31)   質問です。 さん
「幕臣の足軽は一年で金五両二人扶持」と記述しておりますが、
こちらはどの文献に載っているのでしょうか? (2018年08月25日 15時41分34秒)


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