和装で映える日本古武道
いつも当ブログをご覧いただき誠にありがとうございます。 さて、令和6年3月19日に当ブログはアクセス総数500,000に到達しました。ブログ開設11年目の春、当ブログに桜花爛漫のような快挙が訪れました。これまで当ブログをご高覧頂きました同好諸氏の皆様に厚く御礼申し上げます。 長く続いたコロナ禍の影響下、小生の本業であります武道ライターとして武道関連イベントの取材活動が停滞しておりました。コロナ禍では多くのイベントが中止もしくは延期を余儀なくされ、イベントそのものが規模縮小や一部関係者に限った非公開で行われておりました。ここ数年、例年行われる恒例の武道イベントもコロナ禍前のフルスペックで開催されるようになり、小生の取材活動も徐々に再開しております。 今回は、令和6年2月4日に日本武道館で開催された「第47回日本古武道演武大会」の公開演武から日本古武道での和装を考察してみます。同大会では武芸十八般を概ね網羅した古武道35流派が参加、古式ゆかしい古流武術の妙技が披露されております。 同大会の最初の演目となる「小笠原流弓馬術」では、演武者全員が武家の最上礼装「直垂」を着用しての弓術が演武されました。中世の古流武術である弓馬術では、平安・鎌倉・室町時代の武家装束が演武着として用いられております。特に神社の祭礼などで神事として行われる「流鏑馬」では、演武者が狩装束を着装して騎乗で弓矢を射ることが知られています。江戸時代には多くの大名家で弓馬術が伝承され、上級武士の必須技能とされておりました。 小笠原流弓馬術 佐分利流槍術では、紋付着物と仙台平袴の演武着物を着用した演武者が古式の槍法を披露していました。多くの伝統芸能でも、公演での衣装と最も多用されているスタンダードな定番の男物和装の礼服であります。同大会では、剣術・居合術の演武者に多く着用されていました。紋付着物と仙台平袴の和装礼服は、日本の伝統文化の象徴であるといえます。 佐分利流槍術初實剣理方一流甲冑抜刀術では、流派名に示す通り「当世具足」と呼ばれる戦国時代の甲冑を着装した演武者が真剣による試し斬りを披露しています。また柳生心眼流甲冑兵法でも、甲冑を着装した鎧武者が古式の組太刀を披露していました。それぞれの流派では「介者武術」と称される甲冑着装での戦闘技術のみならず甲冑の着装方法も伝承されているようです。 初實剣理方一流甲冑抜刀術 楊心流薙刀術では、「振袖」姿の女性演武者が薙刀の術技を披露していました。江戸時代には武家の子女を中心に伝承されていた薙刀、戦前の学校教育でも女子武道として広く普及していました。稽古では稽古着と袴を着用しますが、演武では女子礼装として振袖を用いるようです。また肥後古流長刀では、女性演武者が男物和装の礼服で演武を行っておりました。 楊心流薙刀術 同大会のラストを飾る森重流砲術では、「火事装束」に身を固めた演武者の一隊が火縄銃を携行して古流砲術の射法を披露していました。黒色火薬や火縄を用いる古式銃を扱うことから、古流砲術では火事装束に準じた装具を身に着けるようです。複数の火縄銃による一斉射撃で巻き起こる轟音の銃声で同大会は終演となりました。 森重流砲術 日本古武道には、古式の武技兵法とともに和装の伝統文化が脈絡と伝承されております。 和装を身に着けて行う身体操作は、古来の日本人が日常的にごく自然に行っていた「立居振舞」そのものなのであります。つまり、和装を着て武道武術を修練すると、泰然自若のいにしえの武人の身体操作が自ずと引き出されるのであります。 「第47回日本古武道演武大会」詳報につきましては、『古流武術文化研究會blog』(ライブドアブログ)、『武道ライター山里栄樹のブログ』(はてなブログ)で大会写真レポート記事を掲載しております。紋付着物・羽織 居合道着 テトロン紋付着物 (刺繍紋付) 黒・白 居合道 I-01A 【演武用】直垂[ひたたれ 武家 武士 行司 雅楽 歌舞伎 祭礼 時代劇 大河ドラマ 舞台 衣裳 おもてなし隊 コスプレ]等身大 甲冑 当世具足 レプリカ 兜 鎧 | コスプレ 五月人形 おしゃれ 兜 モダン 5月人形 端午の節句 衣装 陣羽織 こどもの日 子供の日 兜飾り 鎧武者 家紋 侍 サムライ 武士道 お祝い 男の子 段飾り 平飾り 具足 お祝い 武士 仮装 鎧櫃模造刀 太刀 陣太刀 梨地塗り鞘 極上研磨刀身 大刀 縦掛台・刀袋付[tks-278]日本刀 美術刀剣 おもちゃ 通販(代引き不可)『居合刀』【送料無料】居合刀 天正拵【居合道 居合 居合刀 模造刀】DENIX 火縄銃 種子島 日本 1022 (デニックス マッチロック式 レプリカ)TARGET Military Shop ターゲット