能登レポート(36回生川田さん能登へ)
1月1日夕方に能登半島を襲った大地震と津波。まさかという感じでした。九州からは離れたところだったので当初は実感がわきませんでしたが、刻一刻と状況がわかるにつれて、大きな地震であったと判明。何とかならないかというもどかしい気持ちになりました。半島という地形と交通インフラが寸断されるなど様々な状況が重なって、ボランティアの受付どころか公共の支援そのものすら難しい状況が続きました。災害から2ヶ月経ってようやくボランティア等の支援が進みつつあり、今回36回生の川田勝志さんが石川県へ行かれました。能登半島の被災地に赴くのではなく、金沢など石川県南部に避難されている方々の支援です。なかなかできないことです。今回高齢化率の高い能登での支援活動では、介護分野で活動されたようです。エリアリーダーで各都道府県から派遣された介護職員の方に指示を出していたそうです。以下フェースブックより文章と写真を引用(一部補足しています)(川田さんの行動目的は)福岡県公認介護職員で行政による社会的弱者への介護を行うことです。(行われた場所)ここは1.5次避難所で、3月末で閉鎖予定の短期型である。(状況を観ていると...予定は未定。)初めは、発熱、嘔吐など能登半島北部からの移動疲れか、症状が広がり、スタッフは大変苦労したようだ。まだボランティアの募集が追い付かない為、トイレ掃除、テーブルを初めありとあらゆる消毒、清掃、シーツ交換等々、介護士が行っていたと聞く。今は全てか型式化され、ボランティアも増員、レクレーションも落語家、演歌歌手など来てくれて全体的に余裕ができ始めたと感じた。今後は、スタッフの数だけ確保できれば…何とかなるところまで来ている。本当に、震災当初のスタッフの皆さんご苦労様でした。ボランティアの皆さんありがとうございます。(都道府県からの介護職員の方々に指示をだす役割を担っていた川田さん)(中の様子)(介護にあたられる方々。感謝の気持ちいっぱいの川田さんだったそうです)(引用終わり)通常の介護ですらたいへんなことなのに、更に知らないところで知らない人たちと知らない人を介護するのは二重三重に苦労されたことと察します。こうやって福岡県から派遣されての活動の一端を知り得て、私自身学び直しました。ふつうだったらテレビとかで支援してますよ、みたいなことで終わる何気ないニュースが、36回生の川田が行ったことで自分のこととして感じられます。来年は還暦をおそらく迎えるであろう私たち。介護の問題は今までする側だったのから、そう遠くない先にはされる側になってしまうかもしれません。ある意味10代から20代に劇的に変わった頃のように、50代から60代は劇的に変わる年代だとも思います。また、地震などの災害で劇的に変わらざるをえないようなことも起こります。こうやって川田の行動でいろいろと考えるきっかけができたと思いました。