親子の絆の剥奪
現在の息子の状態は、父母の不和に傷付いたPTSDというよりもマターナル・デプリベーション(maternal deprivation)であろう。乳幼児が、人生最初に形成する信頼関係すなわち絆、この対象は母親であることが多いが、母親に限らず献身的な世話をする養育者(当然子との関係を大切にする父親も含まれる)である。この関係をボゥルビィ(Bowlby,j.)はアタッチメント(愛着attachment)と呼んだ。このアタッチメントを剥奪されるのがマターナル・デプリベーションである。マターナル・デプリベーションを被った乳幼児の発達は、身体的、知能的、情緒的、社会的に悪影響を受け、長期的には盗癖を含む反社会的行動さらに「無感動的精神病質」と呼ばれる性格障害を生じうる。半年振りに私と会った試行面接の中で、息子は、最初怒った様子を見せたものの、その後次々と私に玩具を手渡してくれた。息子は「傷つき落ち込んだ」という感じで、元気がなく、うつ的であった。面接が一通り終了し、私と久しぶりに再会した面接室を退室しなければならないとわかった時、息子は激しく絶叫し、「嫌だ!嫌だ!」と抗議し、妻の「おせんべいあげるから」の言葉にも動じず、「嫌だ!」を繰り返した。そして私と一緒に遊んだ玩具を持って帰ろうとした(これらは、将来の反社会的行動や盗癖への移行を示唆する)。また、当日の交流の中で私が救急車を「ピーポー、ピーポー」と走らせたのを思い出したかのように、私の退室後偶然外で救急車のサイレンの音が聞こえると、息子は周囲が驚くほどの素早さで窓の方に走って行き、椅子によじ登り、外を凝視した。面接室を出る時には、やはり急いでドアを明け、外の何か(父の存在か)を確認するかのようであった。以上は、マターナル・デプリベーションの典型的な状態であり、速やかに原因である父子の引き離し状況を解消し、絆を取り戻すことこそが大切だ。反対に、PTSDと誤診されさらに父子を遠ざけたなら、症状は悪化していき将来母親の手に負えないからとようやく父親に引き渡された時には、既に取り返しが付かない状況になっているだろう。ちょうど先日起った男子中学生による放火事件のように。