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テーマ:韓国!(16901)
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前回の日記でも書いたが、家内がお母さんとうまく行かないと言うことであるが、実は先日の旧正月の実家訪問で、結構よくなってきた。
まあお母さんの方も意地があったようだが、もう意地だけではやっていけないという感じで家内に白旗を揚げたような感じである。 さてどうして家内がこういうふうになるのか、と言うことだが、前回の日記でチラッと書いたが、日本人の妻になったと言うこともひとつあると思う。 ただいろいろな要素が絡み合って、うまく行かないものであり、日本人と結婚と言うだけではそうもなるわけではない。 ここですべてを述べることはできないが、その理由のひとつになる要素を今回考えてみた。 「学歴」である。 この問題は結構タブーになる面もあるが、敢えて取り組んで見たいと思う。 まあ韓国で暮らして行く中で、特に社会生活する中で、避けられない問題でもあると思う。 家内は大学を出ている。 だがお姉さんと弟は大学を出ていない。 その夫と奥さんも。 そして私は大学院を韓国で出ている。 大学は日本で出た。 つまり家族が集まると、高学歴なのは家内と私だけで、後の人はいわゆる「普通」である。 それぐらいで問題になるのかと言われそうだが、もちろんこれだけで問題にはならない。 だがこれが問題になることはあまりないとも言いがたい。 韓国での学歴意識はなかなか根強いものがあって、これが人間関係の根底をなす場合も少なくはない。 意識無意識のうちにお互いの学歴によって、人間関係の構成がされていく。 一言で言うと、学歴がないものはある人間に対して、どうしても壁があると言うことである。 院まで出た私が言うのは皮肉のようで申し訳ないのだが。 他の兄弟もそれでやりにくい面はあるのだろう。 最初はあまり気にしなかったが、長年付き合っていくと、何かその辺の壁が見え始めてきた。 英語(片言でもまったくできない人にはぺらぺらに見えるようだ)も韓国語も日本語(当然)も話す私は相当インテリに見えるだろう。 しかもいくら反日感情があると言っても、先進国日本から来た人。 これで学歴まであったら、かなり付き合いにくいのだろう。 弟の妻は昔専門大学(2年生の短期大学)に一度入ったと言っていたが、後で分かった話しでは願書を出しただけで、合格もせず通いもしなかったということだった。 大卒の家内の前で、少しでもよく見せようと思わずそう言ってしまったのだろう。 またお母さんも娘が大学にも出て、自分のしたことのない都会生活、社会生活も経験して、しかも日本にも何回も行っている家内に、人生指導、社会指導できないジレンマが大きいのだろう。 ただ正直お母さんが娘にそこまで指導したがるのもどうかと思ったりもするのだが。 昔家内が大学に入った当時、家内の田舎のドンネ(町内)の女で大学に進学したのは家内が2人目であったそうである。 ちなみに一人目は家内より10年早く大学に行った、家内のいとこのお姉さんだった。 家内は大学に行くといった時、お母さんから反対されている。 それでもごり押したのは、家内の強さだったのだろう。 ちなみに高校に進学する時も、お父さんから、高校なんて行かなくてもいいんだと言われたそうだ。 一方家内のお姉さんは、中学までの成績なら家内よりよかったそうである。 いわゆるおとなしく、勉強ができて、親の言うことをよく聞く「優等生」であったそうである。 あまりにもいい子だったので、親の言うとおり、女子商業高校に進学し、就職した。 ちなみに弟は下から1,2番を争っていたらしく、お母さんもあきらめてしまった。 今だったら2年制の専門大学には入れるだろうが。 だが社会に出て、都会に出てみると、都会では女子でも大卒はそれなりにいて、地方の国立大学を出た家内もたいしたことはなかった。 それどころかお姉さんは自分が「普通」の学歴であることが引っかかっていたのは、韓国の学歴感覚を知っている人は分かると思う。 特に昔自分が勉強ができただけに特にそう思っただろう。 実際結婚した後、30歳ごろだったか、放送大学に入ることをかなり考えていた。 結局放棄したが。 韓国ではこの放送大学に入る人がかなりいる。 そのほとんどが、大学に行けなくて(行かなくて)、それが「怨(はん)」になって、少しとしをとってから入る人である。 試験はない。 学費も安い。 だが半分以上、或いは大半は勉強が厳しく卒業できない。 最近は2年生の専門大学は募集が厳しく、年長者や社会人を無試験で入学させる場合も多い。 4年生の大学でも、一部そうらしい。 ちょっと話がそれたが、家内のお姉さんは、結婚相手も自分で見つけてきたが、高卒のバイト公務員だった。 お母さんには職業は公務員だとうそを言ったが(バイトだったと言うのは私も最近はじめて知った)、さすがに学歴はごまかせず、そこで反対されている。 お母さんは婿は大卒でしっかりした人でないといけないと思っていたようである。 まあ韓国では普通のお母さんだろう。 それでも結婚して、その後夫が仕事を辞めてから、人生が狂ってしまった。 お母さんがいろんなところに行って、うちの婿何とか就職させてくれといったが、学歴のない人はだめだと言われ続けた。 その後の紆余曲折の中、お姉さんが妹である家内に複雑な思いを持っていたであろうとは想像に難くない。 言うことを聞かずに大学にも行った妹がその後うまく行くのを横で見るのはかなりつらかったであろう。 よく知られているように韓国は強烈な学歴社会である。 日本も学歴社会だとよく批判されるが、韓国のほうが強烈である。 ただ世界では学歴社会でない国はない。 アメリカなどは正確な数値は知らないが、大学進学率は世界トップである。 80%とも90%とも言われている。 ちなみに韓国も今は80%は大学(2年制も含む)に行くそうである。 ただ日本(韓国も)と違うのは、学歴だけでやっていけるものではないというところである。 学歴と言うのは仕事につながるものであると日本人は思うだろう。 だが私は韓国に来て、学歴観が変わってしまった。 と言うか、韓国人の学歴観による人間観の影響を受けてしまった。 もっと正確に言うと、韓国人が学歴によって、どのように自己認識をし、他人を認識するのかと言う観点が分かってしまったということである。 つまりこれぐらいの学歴の人なら、韓国では人からはこう見られると言うのが分かってきたということである。 もちろん学歴とは仕事につながるものではあるが、韓国の場合それで人間の価値も判断されるところがある。 昔のヤンバン時代の影響もあるのか、勉強こそが人間の価値を決めるみたいなところもある。 手に職を持つ人が認められた日本とはちょっと違うところである。 私もよく経験したのだが、私が大卒だと分かった瞬間に、態度が変わるというのをよく経験した。 と言うか妙に学歴に関する質問をされた。 正直このおかげで私はかなり助かった面もある。 日本では就職以外ではそんなに影響はなかったが。 自分には学歴がなく、いい就職ができないと嘆く人も韓国では結構いた。 また日本で大学に行った韓国人も時々いるが、彼らは韓国で大学に合格できなかったので、日本に行った人が大半だそうである。 だから日本で大学出たと言っても世間は意外と冷たい目で見たりもするという。 アメリカの大学ははくがつくようだが。 家内のお母さんは最初のころ私の韓国語がつたないので、大学にもいけなかった、いわゆる韓国式に言う、モンナンサラム(できないやつみたいな感じ)と思ったそうだ。 お母さん流に考えれば、韓国に来て、数ヶ月したら、韓国人並みになると思っていたようだ。 こんなに韓国語ができないやつは大学にも行けなかった頭が悪いのに違いないとでも思ったのだろうか。 学歴はないが事業などで成功した金持ちの人が韓国でもいる。 また仕事はさえない仕事(ちょっと差別であるが)でも大学を出たインテリも時々いる。 私が個人的に感じた中では、前者より後者の方が私と接する時、余裕があり、話しやすかったと言う印象がある。 学歴がない人は、誠意や人間性はよかったりもするが(実はこちらの方が大切なのであろうが)、どうしても私と話す時、無理をしてしまうような気がする。 インテリ的、教養のあるような話し方をしようと。 家内もの知り合いの中でも、今になって大学に入りたがるおばさんたちがちらほらいるそうである。 同世代ならまだしも、若い人はほとんど大卒になりつつあるので、引け目を感じるのもあるのかもしれない。 私はここで学歴なんて人間の価値において、たいした影響はないとはあえて言わない。 社会を生き抜くためにはあったほうがいいものが学歴である。 いや学歴なしにはやっていけない職業もたくさんある。 そして学歴のために精を出す韓国の親の気持ちも分かる。 自分が学歴がないので、せめて子供だけはと思う親の気も分かるような気がする。 なければないなりに、幸せの道もあると思うと言うのは、院まで出た私が言うのは最高の皮肉かもしれない。 学歴がない人は学歴さえあればと思うかもしれないが、学歴があろうとなかろうと、努力なしにうまく行くことはないのは同じである。 ただ学歴のある私だから、こんなのんきなことを言えるのかもしれない。 ここ数年間、韓国の学歴意識のことをよく考える私である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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