日本山岳耐久レース 2011年
6回目の出場となった、日本山岳耐久レースですが、2回目のリタイヤとなってしまいました。他の参加者の方の熱い記録を読むと、根性無さすぎと思いますが、必要以上に落ち込まないようにしようと思います。まあ、反省すべきところは別途反省しますけど。 まずは、レース前のあらましやら、レース中のことなど、書き留めてみました。◇1~8月まで1~5月までは仕事が大忙し。しかし、そんな中、東京マラソンでサブスリーを達成できたことは大きな希望となった。6月以降は仕事も落ち着き、コンスタントに300km/月のトレーニングをこなせるようになった。トレイルの割合は少な目だが、トレーニングとしてはまずまずだったかと思う。8/27には美ヶ原トレイルランに出場。登り足ができていないことを実感した。◇9月美ヶ原の反省から、ジムでステップマシンを取り入れた。その成果か、9/23に行った八ヶ岳では、登りは割とスムーズ。ただし、ハセツネのペースまで追い込むような走りはしていない。◇10月10月3日 風邪を引く。耳鼻科へ。10月5-6日 風邪で会社を休む。それほど高熱が出たわけではないので、影響は少ないと考えていた。10月10日 試走。スタートからさいぐち峠を目指すも、土俵岳への登りで敗退。息上がりすぎ。10月14日 鼻づまりが酷いので、再度、耳鼻科へ。副鼻腔炎用の薬をもらう。10月16日 子どものソフトボールの練習に参加。激しく立ちくらみ。夜走る予定だったが、やる気がおきず。10月17日 会社の4F事務所へ階段で登るも、息ぜーぜー。少し下を向くと、眩暈くらくら。完全なる貧血の症状。それにしても酷い。耳鼻科でもらった薬の副作用ではないかと疑い始める。10月18日 耳鼻科の薬はまだ4日分ぐらいあったが、摂取をストップ。10月19-20日 復活の手ごたえが欲しくて、本来は軽めの練習のところを、少し強めに。結果、足の状態としてはいまいちだったかも。◇10月22日スタートまで 緊張感は無し。直前の貧血騒動のせいで、とにかく無事にスタートに立てれば、まあいいやという感じになっていたように思う。闘争心はあまりなかった。スタート~浅間峠 スタート直後からハリ天狗さんをロックオン。サブ10のいいペースで行かれるだろうと勝手に予測して、ひたひたとついていく。しかし、今熊神社の登りからジワジワと離される。このパックには、滝川さん、村越さんと大物が続々合流してきた。 ジワジワ離されながらも、入山峠まではビッグネーム集団を見える範囲で追う。しかし、その後腹痛を訴え、自らコースアウト。ストッパ効かず。ビジネスで5分のロス。あー、いいペースだったのに。 コースに戻ると、周囲の人のペースが大分遅い。楽々なのですが、タイム的には厳しい。醍醐丸から三国峠までは意識的にペースを上げて、遅れを取り戻そうとする。ちょっと乱ペース気味。 浅間峠には、3年前の自分から2分ほどの遅れ。まだ自己ベストはある。慌てずじっくりいこうと思う。浅間峠~西原峠 試走では、土俵岳の登りで果ててしまったので、あえて無理せずに進む。だが、前を行く女性が良いペースなので、必死についていく。たぶん、総合6位になられた方だと思う。とにかくついていけということで、走るものの、なんとなく呼吸が怪しい。足の置き方も雑。しかし、西原峠までは何とかごまかしついていく。西原峠~サイグチ峠 槇寄山への登りで、速攻、女性の方に置いて行かれる。三頭山の登りは相当ツライだろうと予想をする。もう、自己ベストは無理、サブ11がいいところかと思い始める。しかし、それは全く甘い考えだった。三頭山への登りの前の平坦区間で、すでに息が上がり走れない。走る気がしない。とりあえず、三頭山への登りへ取りつくが、10歩も登らぬうちにストップ。大休止。それを繰り返して、いやいや登る。この時点で、リアイヤを決意。全く試走と同じ症状。結局、試走では、土俵岳手前でこの症状でストップしたのだが、本番は西原峠まで、少し距離が伸びただけだと気付く。弱い。弱いなー。 無理くり完走という考えも頭をよぎるが、どうしても御前山をクリアできるイメージが湧かない。三頭山からの下りも大して走れず、あっさりリタイヤを申告した。 闘争心のかけらもなし。