カテゴリ:戦国史跡巡り
![]() ![]() ![]() ![]() まずは、駅近くに模擬復元された長浜城(長浜城歴史博物館)へ。 長浜城は秀吉が初めて一国一城の主となった城で、ここで石田三成や大谷吉継らも働いていたのか…と暫し感無量。天守からぐるり見渡せば、賤ヶ岳合戦場やら関ヶ原古戦場なども一望出来るが、何といっても日の光を受けてキラキラと輝く琵琶湖の壮大な眺めが素晴らしい。館内には三成が記した書状や検地の際に使用したものさしの複製等が展示されていた。 長浜駅からタクシー ![]() 関ヶ原古戦場といっても、今は山々に囲まれた長閑な田園地帯。平日の昼間っからこんな所をぷらぷらしている人は私以外誰一人いなかった。 ![]() まずは笹尾山の石田三成本陣跡へと向かう。麓に位置する猛将・島左近や蒲生郷舎の陣跡には陣旗が寂しく風に靡いていた。 ![]() ![]() 続いては、松尾山に陣取った小早川秀秋を怪しいと睨み、麓の山中(藤川台というそうな)に陣を敷いていた大谷吉継の陣跡並びに吉継の墓所へ。 向かう途中、大谷隊に加わり、吉継同様関ヶ原で戦死した垂井城主・平塚為広の碑があった。 ![]() と、ここまでは順調に進んだのだが、なぜか吉継の陣跡が探せども探せども見当たらない ![]() ええ~ッ、マジっすか!? 案内板にはこの辺りだと表示してあるのだが…。私以上に焦ったのは、長浜からずっと一緒に回ってくれているタクシーの運転手さん。途中からはメーターを止め、15分くらい付近を走り回ったり、地元住民の方に尋ねて下さったり。やっとのことで辿り着いて二人で呆然。めっちゃはっきり案内表示板があった。なぜ二人ともが見落としていたのだろう? タクシーから降り、心弾む思いと切なさで胸が痛む思いを半々に、薄暗く鬱蒼とした山道を吉継の墓へと向かう。こんな山中に陣を敷き、裏切った小早川軍を相手に玉砕覚悟で立ち向かっていったのか… ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 見入っていると、運転手さんが心配したのか上ってきて下さった。じゃあ、そろそろ戻りましょうか…と山道を下っていると、アレ?来た道と違う!? またしても二人で右往左往すること暫し。来る時も帰る時も、何だかまるで狐につままれたかのよう。本当に何でもない道なんだけど ![]() 他の多くの陣跡も見たかったが、そろそろ日が傾きつつあったので、最後は関ヶ原歴史民族資料館へ。関ヶ原合戦に関する貴重な資料が多数展示されていた。1枚50円の戦国武将千社札を記念に購入したのはいいが、さて、何に使おうかしらん…(^^ゞ ![]() ![]() ![]() 次回は「戦国史跡巡り~石田三成編」ですm(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.19 17:33:39
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