カテゴリ:戦国史跡巡り
![]() 確か石田村という所で、石田屋敷と呼ばれた立派な屋敷に住んでいたとか何とか書かれていた。 長浜城歴史博物館の受付の方に三成の出生地について尋ねてみると、確かにこの近くだが、歩いて行ける距離ではないとのこと。やむを得ず、駅前で暇そうにしていたタクシーの運転手さんに声を掛けた。 「あのぉ、石田村…って所に行きたいんですけど」 「石田村て今時… ![]() 運転手さんが呆れるのも当然で、石田村というのは当時の地名で、今は長浜市石田町となっているらしい。いやはやお恥ずかしい ![]() 早速三成の出生地・石田町へと向かってもらう。運転手さんも相当な歴史好きらしく、延々と近江の歴史について語ってくれながら最初に寄ったのは、なぜか小堀遠州の出生地だった。まあ、かつて大学のゼミで茶の湯を学んだので、ちょっと嬉しい寄り道だったけど ![]() そしていよいよ三成の出生地、その名もズバリ石田町に到着 ![]() 「石田三成公邸跡」と刻まれた碑を、ただじっと眺める。おおッ、ここで三成が生まれたのか~。 そして、運転手さんが連れていってくれたのは、屋敷跡に建つ石田会館という小さな三成記念館。庭には三成の頭蓋骨を元に忠実に再現されたという銅像や、石田屋敷の濠跡と言われる池まである。メーターを止めてもらい、早速中に入ってみると、三成に関する絵やら写真やらがずらりと展示されていた。ちょうど御近所のおじさんやおばさん達もいて、色々な話を伺うことが出来た。 いつの間に芳名帳に記入した名前を見たのか、「岡山から来られた××さんやて」と名前で呼んでくれたりして(^^ゞ うーん、流石は近江人!(何が?) ![]() 続いては近くの八幡神社へ。三成の筆跡を刻んだ歌碑や辞世の句碑、供養等などがあった。 ![]() ![]() 秀吉に仕えるきっかけとなった、三成の有名なエピソードといえば「三献の茶」。 秀吉が鷹狩の途中、ある寺に寄って茶を所望した。応待した小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を入れて出した。秀吉はそれを一気に飲み干してもう一服頼むと、次に小姓は、小さめの碗に、やや熱めにした茶を出した。秀吉が試みにもう一服所望したところ、今度は更に小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。 この心配りに感心した秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とした。この小姓こそ三成であった―というもの ![]() そんな有名なエピソードの舞台といわれているのが、米原市にある観音寺だ。 ![]() ![]() 次回はラスト、「戦国史跡巡り~大谷吉継編」です。 敦賀に二泊したので、思う存分見て回って来ました~m(_ _)m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.20 02:59:09
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