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2013.09.13
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カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた革新的ギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿る無謀な試みの17回目。
 1985年10月12日土曜日、リッキーはAIDSによる肺炎のため、誰にも別れを告げることなく32歳という若さで永逝した。
 

 リッキーの実妹であるシンディを含むバンドのメンバー達はかなりショックを受け、彼の死が信じられずに茫然自失となった。当時はまだAIDSに関する偏見や差別が酷かったこともあって、シンディはリッキーの本当の死因を伏せることにし、家族やメディアには彼がリンパ節の癌で亡くなったと告げた。だが皮肉にもそうやって家族達を守ろうとしたシンディ自身、リッキーが最期まで病気を告げてくれなかったことにより心にトラウマを抱えてしまうこととなった。

 シンディの悲しみも理解出来るが、リッキーが最期まで彼女に打ち明けられなかった気持ちも分かるような気がする。ただでさえ打ち明けにくい病を、結婚したばかりで幸せいっぱいの妹に、どうして告げられようか。シンディを心から大切に思っていたからこそ心配させたくなかっただろうし、彼女の幸せを壊すようなこともしたくなかったのではないだろうか?
 私がリッキーの死を知ったのは、ちょうどこの後ぐらいに発売された輸入盤コンピレーションアルバムのブックレットに掲載されていた彼の死亡記事だった。それには確かにリッキーは癌で急逝したとあり、またメンバーは彼の死の数日前まで病気であったことを知らなかった、とも書かれていた。たまたま目に入った余りに突然の知らせに、私もまた呆然とするしかなかった。

 リッキーの葬儀は彼の死から5日後の10月17日木曜日、故郷ジョージア州アセンズのFirst Assembly of God Church(ファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド教会)で多くの友人や家族達、更に地元ファンまでもが参列して行われ、その後Oconee Hill Cemetery(オコニー・ヒル墓地)に埋葬された。続いて友人達と家族はほろ苦いシャンパンで乾杯(献杯)し、暗澹とした一日は終わった。




B-52's リッキー・ウィルソン死去 享年32

葬儀は木曜日


 The B-52'sのギタリスト、リッキー・ウィルソンがNYのメモリアル・スローン・ケタリング病院で癌により死去した。享年32。
 ウィルソンはアセンズ出身で、土曜日に死去した。
 The B-52'sはウィルソンの妹・シンディも含む5人組で、ダンスミュージックとけばけばしいスリフトショップ(中古安売店)のファッションにより、1979年にアセンズから全国的なロック界に躍り出た。グループはメンバー数人がジョージア大学在学中に結成された。
 葬儀はファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド教会にて、木曜日の午後3時から執り行われる予定。ウィルソンの継母であるリンダ・ウィルソンが月曜日の夜、ダニエルスビルの自宅から言った。
 バーンスタイン葬儀社により、葬儀後はオコニー・ヒル墓地に埋葬される。
 The B-52'sは「ロック・ロブスター」が局地的にヒットし、ワーナー・ブラザーズ・レコードとの契約への道を開いた。この曲は5回リリースされた。再リリースした「ロック・ロブスター」は全国のダンス・クラブの人気曲となった。
 グループのデビュー・アルバム「警告! THE B-52's 来襲」は79年にリリースされてヒットし、批評家からも激賞された。
 その後ワーナーから「禁断の惑星」、「パーティー・ミックス!」、「メソポタミア」、「ワーミィ・ワーミィ」がリリースされ、「プライベート・アイダホ」や「リーガル・テンダー」などがシングルヒットした。バンドは全国ツアーを行って観客を魅了し、映画「One Trick Pony」やTV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」、「ガイディング・ライト」にも出演した。
 




B-52's リッキー・ウィルソン 埋葬式

The B-52'sのメンバー、キース・ストリックランドとフレッド・シュナイダーもウィルソンの死を悼む

癌により死去したアセンズ出身の32歳のロック・ギタリストは、木曜日に埋葬された


 木曜日、およそ60名がアセンズのファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド教会の礼拝堂に集まり、10月12日土曜日に癌により32歳で死去したロック・ミュージシャン、リッキー・ヘルトン・ウィルソンに最後の別れをした。
 黄色い薔薇で覆われた銀の棺の後ろでミルフォード・アディソン牧師は、1978年に結成されたロック・グループ、The B-52'sのメンバーでありながらプライバシーを大事にしたリッキーについて、こう語った。
 「彼は思索や芸術に耽る、とても静かな人物でした。彼から受けた最も優れた印象はというと…、それは思いやりがあるということです。人を愛し、優しく親切でした」。
 ウィルソンは癌だと分かった時でさえ、「神の助けを借りて、一人で苦しみに耐えました」とアディソン牧師は語った。
 家族が棺に白い薔薇を置き、ウィルソンはオコニー・ヒル墓地に葬られた。ウィルソンの妹で、The B-52'sのメンバーでもあるシンディは最後に棺に近寄り、泣いているところを連れ戻された。
 NYに住んでいたウィルソンは、人生の大半をアセンズで過ごした。クラーク・セントラル高校を1971年に卒業した後、彼はジョージア大学とドイツ・ハンブルグのゲーテ・インスティトゥートに通った。
 The B-52'sは1979年にリリースした局地的なヒットシングル「ロック・ロブスター」で人気になった。その後ワーナー・ブラザーズ・レコードと契約し、同レーベルから5枚のアルバムをリリースした。


 リッキーの墓碑にはこのような碑銘が刻まれている。
 “The breeze of grace is always blowing; set your sail to catch that breeze.
(優雅なそよ風はいつまでも吹いています:その風をとらえるために帆をセットしてください)
…うーん、微妙に訳が違ってるかも!? って今に始まったことじゃないけどショック
 誤訳はともかく、リッキーは帆船(sailboat)が好きだった。「リッキー物語 その7」でも書いたが、皆でマホパックに住んでいた際には自宅裏の湖で、自らが所有する帆船を楽しんでいたという。これはそんなリッキーにピッタリの、素敵な墓碑銘だと思う ヨット~ 
 

 リッキー・ウィルソン自身の物語はこれにて終了であるが、もう少しだけThe B-52'sの、彼に関係する話を取り上げてみようと思う。あとちょっとお付合いください。





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Last updated  2013.09.16 21:37:27
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