Pastime Paradise

2021/07/14(水)19:29

ジンギスカン(Dschinghis Khan)

80's 洋楽(133)

「♪ジン ジン ジンギスカ~ン」  何故かそこだけしか歌詞を知らないものの、妙に記憶に焼きついていた謎の曲。子供の頃によく聴いたのだろうが、どんな人の何の曲なのか全く思い出せず、見当も付かなかった。  漠然と08年8月の駄記事「​昭和トホホ歌謡​」で挙げたバラクーダーの “演歌 血液ガッタガタ” や “日本全国酒飲み音頭”、“チャカ・ポコ・チャ” 的なものだろうと思っていたが、ある時YouTubeで視聴してビックリ!これって外人さんが歌ってたんだ!でもってWikiさんで調べて更に驚いた。 ええッ、西ドイツのグループの曲なの!? ​ネーナ​(Nena)や​スコーピオンズ​(Scorpions)より前に世界を席巻したグループがいたとは!  79年に西ドイツで結成されたジンギスカン(Dschinghis Khan)は男性4人、女性2人の6人グループで、同年リリースされた1stアルバム「Dschinghis Khan(ジンギスカン)」からのデビュー曲 “Dschinghis Khan(ジンギスカン)” がいきなり西ドイツのチャートで4週連続1位を獲得、世界中で大ヒットしたらしい 当時まだ小学生だったためかジンギスカンというグループは全く記憶になかったが、曲だけは強烈に覚えていた。かなり流行ったんだろうなぁ。  続く2ndシングル “Moskau(めざせモスクワ)” はチャート3位だったそうだが、これも曲だけは覚えていた。15年くらい前に空耳ソングとしてネットで話題となり、“もすかう” というタイトルでFlashムービーが多数作られたため、息子たち(20代後半)もこの曲には懐かしさを覚えるという。  このアルバムに収録されている曲は他にも3rdシングルの “Samurai (サムライ)” や “Israel, Israel (イスラエル)”、“China Boy (チャイナボーイ)” や “Sahara (砂漠の国サハラ)” といった、国際色豊かなタイトルが並んでいる。    翌80年リリースの2ndアルバム「ROM」からの1stシングル、“Hadschi Halef Omar (ハッチ大作戦) ” もヒットしているが、これまた聞き覚えのある曲である。なのにどうしてグループの記憶がこうもストンと抜け落ちているのだろう…?まぁ、ジンギスカンの2年前に “Hello Mr.Monkey(ハロー・ミスター・モンキー)” を大ヒットさせた、これまた西ドイツの女性グループであるアラベスク(Arabesque)も曲しか思い出せないし。  だが、80年に “I'm in the Mood for Dancing(ダンシング・シスター)” や “Gotta Pull Myself Together(恋のハッピー・デート)” でオリコン1位に輝いた、アイルランド出身の姉妹グループ・​ノーランズ​(The Nolans)は微かな記憶を留めている。どうやら私の洋楽に関する記憶は10歳から始まっているようだ。    ※ “ダンシング・シスター” は79年12月7日に英国でリリースされ、日本では80年7月31日リリース。“ジンギスカン” は79年6月1日リリースらしい。私は69年8月生まれなのである。  あらためてジンギスカンの映像をYouTubeで視聴してみると、当初は6人組であるが、途中から5人組になっているではないか。でもってグループ自体は解散後も紆余曲折を経ながら存続しているようである。  オリジナルメンバーの個性的な6人はというと、何故か歌わずにひたすら踊っているだけ(5人組になってからは皆と一緒に歌っている)の南アフリカ出身のダンサー、ルイス・ヘンドリック・ポトギター(Louis Hendrik Potgieter)。彼は解散後に故郷に戻り、94年にエイズの合併症で亡くなったらしい。  青服のスキンヘッドおじさん、西ドイツ出身のスティーヴ・ベンダー(Steve Bender)は81年に腰痛とヘルニアの悪化で脱退するも、05年には再結成に奔走。スティーヴも06年に肺がんにより逝去。  緑服の長髪&口髭おじさん、ハンガリー出身のレスリー・マンドキ( Leslie Mandoki)は解散後に会社経営をしているらしく、再結成時は議員になるための広報活動と見なされる恐れから参加を見合わせたそうな。  黒服の長身二枚目男性、東ドイツ生まれのヴォルフガング・ハイヒェル(Wolfgang Heichel)は再結成時には何故か妙に化粧の濃いごっついおじさんになっており、スティーヴ亡き後の、女性メンバー達の残るジンギスカンとは別に、これまたジンギスカンを名乗って活動中とのこと。  白(もしくは赤)服で男装の麗人風、オランダ出身のヘンリエッテ・パウリーネ・シュトローベル(ハイヒェル)(Henriette Pauline Strobel-Heichel)はヴォルフガングの奥さんだったが、86年に離婚。再結成後はスカート衣装も多いらしい。  黄服で唯一スカート衣装だったハンガリー出身のエディナ・ポップ(Edina Pop)。エディナとヘンリエッテは現在もジンギスカンに残っており、ザ・レガシー (The Legacy)と呼ばれるダンサー集団がメンバーとして加わり、ライブ等に参加しているようである。   ​ジンギスカン​(Dschinghis Khan)  ​めざせモスクワ​(Moskau)  ​ハッチ大作戦​(Hadschi Halef Omar)  ​もすかう​ ♪もすかう もすかう 夢見るアンディさん

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