1374393 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Pastime Paradise

全29件 (29件中 1-10件目)

1 2 3 >

The B-52's

2013.10.12
XML
カテゴリ:The B-52's
 28年前の今日、85年10月12日にThe B-52'sのギタリストであったリッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)は、32歳の若さでAIDSによる肺炎のため亡くなった。
 B-52'sといえば“Love Shack”や“Roam”を大ヒットさせた4人組、と思っている方も多いだろうが、私を含め、リッキーが音楽的中心だった時代の、あのリッキーの独創的なギターサウンドを愛している者もまた少なからずいるのである。
 今日はそんなリッキーの命日ということで、The B-52'sのオリジナルベストアルバムをつらつらと考えてみたい。

 「Whammy!(ワーミィ・ワーミィ)」は初めて購入したアルバムなのでかなり思い入れがあり、最も好きなアルバムを挙げるならばこれになるのだが、音楽的に一番お気に入りなのは何といっても「Wild Planet(禁断の惑星)」だ。
 さぁ、どの曲をいれようかしらん…。B'sファンの共感を得ることが出来るだろうか?

theb52s.jpg wildplanet.jpg partymix.jpg mesopotamia2.jpg Whammy!.jpg bouncingoffts.jpg cosmicthing.jpg


 DVD The B-52's My Best - To the memory of Ricky

 01. Party Out of Bounds
 02. Rock Lobster
 03. 52 Girls
 04. Runnin' Around
 05. Private Idaho
 06. Give Me Back My Man (Party Mix! Version)
 07. Strobe Light
 08. Nip it in the Bud
 09. Song for a Future Generation
 10. Butterbean
 11. Legal Tender
 12. Big Bird
 13. Summer of Love (Original Unreleased Mix)
 14. Ain't It a Shame
 15. She Brakes for Rainbows
 16. Deadbeat Club






Last updated  2013.10.13 00:35:40
コメント(4) | コメントを書く
2013.09.28
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 以前、ケイトがリッキーのことを 『stupid genius』と評していたネット記事を読み、言い得て妙だと感心した。また、The B-52'sの初レコーディングを手助けしたDB Recordsダニー(Danny Beard)も、B'sのファンブックの前書に 『私が思うにリッキーは、まさに音楽的天才でした(I think he was, quite simply, a musical genius.)』と記している。
 リッキーの独創的なオープン・チューニングはもっと評価されてもいいのではないか、とギター素人ながら残念に思う。本当に彼はとてもいい意味で、おバカな天才だった。
 そんなリッキーの残した足跡を辿る物語もいよいよ最終回。最後は彼の遺してくれた作品を御紹介して締め括りたい。


DVD DISCOGRAPHY (ベスト盤は除く)
 ※数字→作曲者としてリッキーの名が入っている / 数字→B-52's名義

theb52s.jpg The B-52's (警告!THE B-52’S来襲) July 6, 1979
Side A
 1. Planet Claire (惑星クレイア)
 2. 52 Girls (52ガールズ)
 3. Dance This Mess Around (ダンスはやめて)
 4. Rock Lobster (ロック・ロブスター) 
Side B
 1. Lava (恋の溶岩)
 2. There's A Moon in the Sky (Called the Moon) (天空に輝く月(スペース・エイジの約束))
 3. Hero Worship (英雄失墜)
 4. 6060-482 (危険なナンバー6060-842)
 5. Downtown (恋のダウンタウン)

 Producer : Chris Blackwell (クリス・ブラックウェル)

wildplanet.jpg Wild Planet (禁断の惑星) August 27, 1980
Side A
 1. Party Out of Bounds (月影のパーティー)
 2. Dirty Back Road (ダーティ・バック・ロード)
 3. Runnin' Around (ランニン・アラウンド)
 4. Give Me Back My Man (恋のお願い)
 5. Private Idaho (プライベート・アイダホ) 
Side B
 1. Devil In My Car (デヴィル・イン・マイ・カー)
 2. Quiche Lorraine (キッシュ・ロレイン)
 3. Strobe Light (ストロボ・ライト)
 4. 53 Miles West of Venus (ヴィーナス・西53マイル)

 Producer : Rhett Davies (レット・デイヴィース), The B-52's
 Executive Producer ; Chris Blackwell
 
partymix.jpg Party Mix! (パーティ・ミックス) July 24, 1981
Side A
 1. Party Out of Bounds (月影のパーティー)
 2. Private Idaho (プライベート・アイダホ)
 3. Give Me Back My Man (恋のお願い)
Side B
 1. Lava (恋の溶岩)
 2. Dance This Mess Around (ダンスはやめて)
 3. 52 Girls (52ガールズ)

 Producer : Rhett Davies, The B-52's, Chris Blackwell

mesopotamia2.jpg Mesopotamia (メソポタミア) January 27, 1982
Side A
 1. Loveland (ラブランド)
 2. Deep Sleep (ディープ・スリープ)
 3. Mesopotamia (メソポタミア)
Side B
 1. Cake (ケーキ)
 2. Throw That Beat In the Garbage Can (ビート・ビート・ビート)
 3. Nip It In the Bud (握りつぶせ)

 Producer : David Byrne (デヴィッド・バーン)

Whammy!.jpg Whammy! (ワーミィ・ワーミィ) April 27, 1983
Side A
 1. Legal Tender (リーガル・テンダー)
 2. Whammy Kiss (ワーミィ・キッス)
 3. Song for a Future Generation (未来のビーズ)
 4. Butterbean (バタービーン)
Side B
 1. Trism (トリズム)
 2. Queen of Las Vegas (ラスベガスの女神)
 3. Don't Worry → Moon 83 (ムーン83)
 4. Big Bird (ビッグ・バード)
 5. Work That Skirt (スカート)

 Producer : Steven Stanley (スティーヴン・スタンレー)

bouncingoffts.jpg Bouncing off the Satellites (バウンシング・オフ・ザ・サテライツ) September 8, 1986 Dedicated to the Memory of Ricky Wilson
Side A
 1. Summer of Love (サマー・オブ・ラブ)
 2. Girl from Ipanema Goes to Greenland (ガール・フロム・イパネマ・ゴーズ・トゥ・グリーンランド)
 3. Housework (ハウスワーク)
 4. Detour Thru Your Mind (デイツア・スルー・ユア・マインド)
 5. Wig (ウィッグ)
Side B
 1. Theme for a Nude Beach (テーマ・フォー・ア・ヌード・ビーチ)
 2. Ain't It a Shame (エイント・イット・ア・シェイム)
 3. Juicy Jungle(ジューシー・ジャングル)
 4. Communicate (コミュニケイト)
 5. She Brakes for Rainbows (シー・ブレイクス・フォー・レインボウズ)

 Producer : Tony Mansfield (トニー・マンスフィールド)

 音符 ゲスト参加
tomverlaine.jpg Tom Verlaine (醒めた炎) Tom Verlaine 1979
 B-4. Breakin' in My Heart … guitar → こちら (YouTube)

fred.jpg Fred Schneider and the Shake Society 1984 フレッド初ソロアルバム
 A-5. I'm Gonna Haunt You … guitar → こちら (YouTube)

DVD FILMOGRAPHY

onetrickpony.jpg One Trick Pony (1980) 本人役でちょこっと出演

athensga.jpg Athens, GA: Inside/Out (1987) 昔の映像で僅かに映ってる程度

bsliveingeamany.jpg Live Germany 1983 (2010) 83年5月14日の独・ドルトムントでのライヴ

 音符 PV集 …といってもリッキーが出ているのは12曲中3曲(Rock Lobster / Legal Tender / Song for a Future Generation)だけ
timesapsule.jpg Time Capsule: Videos for a Future Generation 1979–1998 (1998)






Last updated  2014.02.18 21:31:11
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.27
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた愛すべきギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を約2ヶ月間、20回に亘って辿ってきた。書き漏らしたエピソードや語学力不足による誤訳も多々あるが、一人でも多くの方にリッキーのことを知って(思い出して)いただきたい、その一念だけでぐだぐだと綴ってきた。目を通してくださった方がいらっしゃいましたら、心より感謝致しますm(_ _)m
 なお、書き漏らしエピソードの追加や間違い箇所の訂正等は、今後こっそり手を加えていこうと思っております…ショック

 今回はリッキー物語を綴るにあたり大変お世話になった本やサイトを御紹介させていただく。
そして最後となる次回は、リッキー関連のアルバム&DVD等を取り上げる次第である。


 ノート 参考書籍

 ・「The B-52's Universe: The Essential Guide to the World's Greatest Party Band」(2002) Mats Sexton
 ・「The Encyclopedia of Dead Rock Stars: Heroin, Handguns, and Ham Sandwiches」(2008) Jeremy Simmonds

 パソコン 参照サイト

 ・Amazon. Deep Dive “THE CHILL インタビュー
 ・Archive. is “Record Company Fact Sheet, 1983
 ・A.V.Club “Kate Pierson of The B-52s
 ・Enlightened Conflict “THE B52'S
 ・Gearslutz.com “Early B-52's album guitar sound
 ・Hajime Tachibana, Facebook “Chapter 11:B-52's JAPAN TOUR 1980 NOTE BOOK” 
 ・Hoppin' John's (John Martin Taylor Personal Blog) “The B-52s and Me
 ・Legacy.com “Ricky Wilson and the Rock Lobster
 ・Pop Culture Classics “B-52's Flying High Again Reunited Band Finds New Energy
 ・Rock Athens “B-52's Ricky Wilson dead at 32
 ・Rolling Stone “100 Best Albums of the Eighties: John Lennon and Yoko Ono, 'Double Fantasy'
 ・Scott Dagostino “Keith Strickland, The B-52s
 ・The Age “Bouffant bombshell
 ・The Free Library “Return to the love shack: the B-52s, the world's greatest party band, comes out (in more ways than one) with its first new album in 16 years.
 ・The Mosrite Forum “The B-52's Ricky Wilson's Mosrite Tunings
 ・The Telegraph “B-52s: the love shack shakes again
 ・Wikipedia “Ricky Wilson (American musician)

 …等等、この他にも様々な記事を参考にさせていただきました。御礼申し上げます。


ricky187.jpg


 






Last updated  2013.09.27 10:01:34
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.25
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた愛すべきギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿り続けて20回。
 リッキーに関する記述は今回がいよいよ最後である。
 

 1996年9月21日、10年近くの計画立案及び1,600万ドルもの資金を掛けたGeorgia Music Hall of Fame(ジョージア音楽の殿堂)のグランド・オープニング・セレモニーがメイコンで開催され、多数のジョージア音楽関係者-ロックの創始者であるリトル・リチャード(Little Richard。メイコン出身)を始め、R&BのThe Pips(ザ・ピップス。アトランタ出身)、カントリーのトラヴィス・トリット(Travis Tritt。マリエッタ出身)、B'sと同じアセンズ出身であるR.E.M.マイク・ミルズ(Mike Mills)とビル・ベリー(Bill Berry)等が出席した。
 キースとケイトも姿を見せ、カツラやギター、ステージ衣装といった私物を提供した。フレッドはスーツを、そしてシンディも「Whammy!」のジャケットで身に付けた衣装と、バンドのツアー時の専門技術者が正確に弦を張り替えた、リッキーのダブルネックのモズライト・ギターを提供。このお祭りイベントに出席した多くの人々は、ゴスペルからパンク、カントリーにラップまでのジョージアの音楽に関する全てのジャンルの陳列品を見て回った。

ricky70.jpg Ricky's double-necked Mosrite guitar

 2000年夏、バンドはGeorgia Music Hall of Fameの殿堂入りノミネートの知らせを受けた。
 9月16日に行われた式典で、B'sは同じアセンズ出身のR.E.M.や、アトランタのゴスペル・カルテッドであるThe Sunshine Boysらを抑え、見事殿堂入りに選出された。“Love Shack”、“Roam”、“Rock Lobster”のパフォーマンス後の授賞式で、シンディは賞を彼女の亡き兄・リッキーに捧げた。
 また03年にはシンディ自身のバンド、The Cindy Wilson Bandを結成し、タイトルもそのものズバリの“Ricky”という曲を作っている。
ricky.jpg Ricky - Cindy Wilson

 シンディが家庭を優先させるために一時脱退し、B'sがトリオで活動していた92年6月にリリースされたアルバム「Good Stuff(グッド・スタッフ)」に収録されている“Dreamland”という曲について、キースがこのように解説している。
 「ある意味、これは向こう側(天国)に行ってしまった人に対してのラブソングさ。君は再び連絡を取りたいと願ってて、おそらくドリームランドではそれが可能なんだよ。リッキーがボクの夢の中に現れてね、それが何だかとても快かったんだ」

 後年、シンディがインタビューでこう語っている。
 「リッキーは最初(バンド結成時)からB-52'sで最も強い要素の一つ(one of the strongest elements)だった。彼には確かなヴィジョンがあったわ」
果たしてリッキーにはどのような展望があったのだろうか?
 そして別のインタビューでは、B-52'sサウンドを特徴づけていたリッキーのギターに関し、このようなことも明かしている。
 「リッキーはまだ、私達の心と精神の中で一緒にいるの。彼は創作者だった。ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)に影響されて、オープン・チューニングを多用して演奏したわ。それとキャプテン・ビーフハート(Captain Beefheart)のユニークさも持っていた。リッキーはとても衝撃的だった。リッキーはギター・パートを念入りに作らなかったの。だからあまりメモする必要もなかったみたい」
 おおッ!ということは「リッキー物語 その9」でリッキーが言ったとされる、あの無茶な話は割と真実に近いってこと!? ショック
 リッキー亡き後、世界的な大ヒットを記録したアルバム「コズミック・シング(Cosmic Thing)」のツアーでは…
 「ひどく成功していたけど、厳しかったわ。リッキーのいない初めてのツアーで、私はそれに対処しなければならなかった。私の後ろを見ても兄がいないことが怖かったの。彼はいつも信頼感を与えてくれていた。彼がそこにいないと私は勇気が出なくて…悲しくなったわ」。
 シンディは本当にお兄ちゃんが好きだったんだと思う。でもってリッキーもそんなお兄ちゃんっ子だった妹が、可愛くて仕方がなかったんじゃないかしらん(^^)

 ここで唐突にお勧めのYouTube動画を2本御紹介したい。
 1本目はリッキーの貴重な写真が数多く見られるこの作品をどうぞ。
inmeroryofricky.jpg In memory of Ricky Helton Wilson
 続いてはこれまた貴重な、若き日のホームビデオ映像(リッキーの寝顔がめちゃめちゃ可愛いhart2_pink.gif)等、動くリッキーがたっぷり見られるこの作品をどうぞ♪
remenberingricky.jpg B-52's Return to Dreamland - Remembering Ricky Wilson

 映像といえば、87年に発売された「Athens, GA: Inside/Out」という、80年代のジョージア州アセンズにおけるミュージックシーンのドキュメンタリー・フィルムがある。一応B'sの古い映像も入ってはいるのだが、リッキー目当てで購入した私には正直なところ全くの期待はずれであった。
 まぁそれでもリッキーファン、B-52'sファンを極めたいという方はどうぞ。
athensga.jpg Athens, GA: Inside/Out (リンク先はAmazon.JPです)

 リッキーの物語はこれにておしまい。次回は参考にさせていただいた本やサイトを御紹介します。

ricky142.jpg






Last updated  2013.11.06 01:20:13
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.22
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた愛すべきギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿り続けること既に19回目。
 残されたメンバー達のその後とリッキーについて、もう少し見てみよう。
 

 87年3月に発行された「Vanity Fair」という雑誌に、ファッション界や芸能界やらのAIDS犠牲者が特集記事として掲載された。アーティスト、ダンサー、デザイナーなどの50枚にわたる写真全てがAIDS犠牲者のものであり、その最後にリッキーのモンタージュ写真も掲載されていた。どうやら医療記録にアクセスして真相を突き止めたようで、秘密にしていたリッキーの死の本当の原因が、この頃にはすっかり知れ渡っていた。
 リッキーの妹・シンディは家族に知られぬよう頑張っていたが、家族はリッキーの死に関する真実を知るや、それをすんなりと受け入れた。バンドは重い肩の荷が一気に下りたように感じた。
 「(リッキーの死因を)ずっと秘密にしていたことを、人々は私達が恥じていたからだと思ってたみたいだけど、本当は声明を出したかったわ。AIDSやAIDSチャリティについて語ることは、本当に重要なことだと感じていたの。だけど私達は何も言えなかった。何故なら私達はシンディの家族を守りたかったのよ。あの頃は多くの誤解があったと思うわ」(ケイト)
 音楽業界は概ねホモフォビック (同性愛者に対する偏見のある)であったが、リッキーの死について事実を明らかにした際、バンドへの跳ね返りはごく僅かなものだった。その後バンドは多くのインタビューでニューアルバムに向けての曲作りを開始したことと共に、リッキーの病気についても語った。

 85年にウッドストックへ引越したキースはギターのスキルを精錬し、徐々に音楽の仕事を再開し始めた。シンディとケイトがキースの家に行った際、彼は“There is a River”というタイトルの、哀愁を帯びた曲の一部を演奏した。それはやがて“Deadbeat Club”なるタイトルに変更された。キースはこの曲を、リッキーとの様々なことを思い出しながら、そして彼が自分と一緒に演奏している様子を想像して作ったそうだが、同時に故郷・アセンズでの日々も思い描きながら書いたという。
deadbeatclub.jpg Deadbeat Club

 キースの自宅で行われていた“Deadbeat Club”セッションで、バンドは熱心に新たな音楽を作っていた。翌88年、セッションはリハーサル・スタジオへと場所を移動した。
 「ボク達が作った最初の完全な曲は“Junebug”だった。ボク達は思ったよ『OK、まだやれる』って」(キース)
 リッキーがいなくなってから、彼が如何に曲作りやバンドの決定全般に計り知れない影響を与えていたかということに、残ったメンバー達は驚いた。だが彼等は一緒にいて、共に音楽を作ることでリッキーの死を乗り越え、バンドの絆をより一層深めた。
 「もしリッキーが生きていたら、バンドが続いていたかどうか分からないわ。リッキーは行く行くは彼の帆船で出航して、世界中を見て回るつもりだったんじゃないかと思うの。彼が人生の残りの間、バンドを行う意向だったとは思わないわ。だけど私は知らないし、間違っていたかもしれない」(シンディ)
 個人的にリッキーを語る3大要素といえば、変則的なギターチューニング、メキシコ料理、そしてこの帆船(sailboat)だと思う。ヨット

 キースはドラムスからギターに転向した。彼が唯一、リッキーの複雑なチューニングを何とか同じように出来たからである。
 この件に関しては、バンドメンバーと長年に亘り交流のある方のブログにこんな記述がある。
 「リッキーが85年に他界した時、我々は皆ショックを受けました。キースだけは彼が病気であることを知っていました。リッキーは彼に全てのギターパートを教えたので、彼は秘密を守り、多くの資料を書き始めました」
 うーん、どう訳せばよいのかよく分からないが、“Ricky taught him all the guitar parts and he began writing much of the material himself.”ということらしい。これが本当なのかどうかは、リッキーとキースのみぞ知る。
 またこの頃、米国エイズ研究財団(American Foundation of AIDS Research。AMFAR)によるフィルムのBGMに“Summer of Love”のインストver.が使用されたそうな。
 リッキーの本当の死因を明らかにして以降、バンドはAIDSチャリティに積極的に関わっていくようになるのである。

 89年6月、B'sはナイル・ロジャース(Nile Rodgers)&ドン・ウォズ(Don Was)プロデュースによる、およそ3年ぶりの新作アルバム「Cosmic Thing(コズミック・シング)」をリリース。シングルカットされた“Love Shack”は全米3位、全英2位を記録するなど世界中で大ヒット!続く“Roam”がまたしても全米3位に輝き、更に“Deadbeat Club”も全米30位とまずまずのヒットであった。そしてアルバムも全米4位にまで上がり、バンドは見事にカムバックを果たした。
 「これは私達にとって未聞の出来事だったわ、3曲もヒットするなんて!リッキーもきっと天国で友達と何かして、喜んでるに違いないと思うの」(シンディ)

 90年、全米ツアーをスムーズに進行していった彼等は、カリフォルニアで終盤を迎えた。LAのGreat Western Forum(グレート・ウェスタン・フォーラム)で開催されたショーは、リッキーをトリビュートしたAIDSの慈善興行であった。
 また95年10月にはファン数名が“Party Out of Bounds”と名付けた、リッキーを偲ぶAIDSチャリティのダンスパーティーを企画し、B'sメンバーも参加。バンドの地元・アセンズのダンス・クラブ、Boneshakersで行われたこのイベントには500人以上が押し寄せ、1,500ドルの寄付が集まった。元々は一夜限りのばか騒ぎパーティーのつもりであったが、大反響を引き起こしたために毎年恒例のイベントとなり、バンドも積極的に関わるようになっていくのであった。

ricky22.jpg






Last updated  2013.09.22 00:40:41
コメント(2) | コメントを書く
2013.09.16
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた愛すべきギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿り続けて早18回目。
 リッキーの突然の死に、残されたメンバー達は…。
 

 シンディは、兄・リッキーが最期まで自分に病気を打ち明けてくれなかったことで、深く落ち込んだ。そしてキースは直ちにマンハッタンから去り、ウッドストックに移り住んだ。残されたメンバー達は何が起こったのかを甘受する期間が必要であり、誰も曲作りについては触れようともしなかった。

 85年末から86年の頭まで、The B-52'sはバンドを続けられる自信がなかったという。
 「リッキーは非常に勇敢に…、非常に勇敢に立ち向かい、とても早く逝ってしまった。当然のことながら、その後ボク達はリッキーなしでバンドを続けられるとは思わなかった」(キース) 
 「バンドはおそらく自然に解消するんじゃないかって思ったわ」(ケイト) 
 グループはかなりの時間とお金を費やして大部分を完成させていたアルバム、「Bouncing off the Satellites(バウンシング・オフ・ザ・サテライツ)」をリリースさせることを望んだ。
 「リッキーはこのアルバムに懸命に取り組んでいた。だからボク達もベストを尽くして作り上げて、是非とも発表しなきゃと思ったんだ。リッキーも聴きたかっただろうしね」(キース)
 リッキーが存命中からジャムを続けていた“Beauty in a Black Bikini”はまだ仕上がっておらず、アルバムのリリースを急いだメンバーはこの曲の収録を見送った。ワーナーはバンドが意図していた曲順をごちゃ混ぜにし、“Summer of Love”と“Girl from Ipanema Goes to Greenland”を各々、1st&2ndシングルとしてリリースすることにした。レコードをプレスする前、ワーナーは“Summer of Love”をリミックスにするよう主張した。
 この“Summer of Love”のオリジナルver.は、98年にリリースされたB'sのベストアルバム「Time Capsule : Songs for a Future Generation」に【Original Unreleased Mix】として収録されている。個人的には断然オリジナルの方がいいと思うのだが…。
 また、“Girl from Ipanema …”のPVにはちらっとリッキーも登場(^^) お月様にご注目を!月
summeroflove.jpg Summer of Love
summeroflove-urv.jpg Summer of Love (Original Unreleased Mix)
girlfromipanema.jpg Girl from Ipanema Goes to Greenland
 
 「このアルバムに収録されている“She Breaks for Rainbows”と“Girl from Ipanema …”は、ボクにとってとても特別なんだ。リッキーと一緒に作った最後の曲ということだけじゃなくて、自分達の曲作りが新たなレベルに到達した―ボク達は新しいことを試して、すっかり成熟したなって感じたんだ」(キース)
 また、シンディが歌い上げる“Ain't It a Shame”では、初めてリッキーとキースの二人でバッキングヴォーカルを担当。ちょっぴり物悲しいような、優しい雰囲気の素敵な曲だ。
shebreaksfr.jpg She Breaks for Rainbows
shebreaksfr.jpg Ain't It a Shame

 シングル・“Summer of Love”はアルバムが出る2ヶ月前の7月にリリースされた。バンドはギタリストがいなくなり、感情的に荒廃していたこともあって、ツアーを行わないことに決めた。だがワーナーは冷淡にも、新たなギタリストを雇って出発するよう要求してきた。バンドは家族のようなものだし、リッキーのギターチューニングや奏法は誰も真似出来ない独特なものであったため、メンバーはこれを拒否。結果としてワーナーはシングルもアルバムも最小限の宣伝しかせず、売上は伸びなかった。

 幾つかの雑誌に活動停止の噂に関する記事が掲載されたが、バンドはそれらを一蹴した。そしてこの当時、バンドはまだAIDS問題に関して沈黙を貫いていた。何故ならリッキーは癌で死んだことになっていたためである。

ricky184.jpg






Last updated  2013.09.17 07:01:33
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.13
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた革新的ギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿る無謀な試みの17回目。
 1985年10月12日土曜日、リッキーはAIDSによる肺炎のため、誰にも別れを告げることなく32歳という若さで永逝した。
 

 リッキーの実妹であるシンディを含むバンドのメンバー達はかなりショックを受け、彼の死が信じられずに茫然自失となった。当時はまだAIDSに関する偏見や差別が酷かったこともあって、シンディはリッキーの本当の死因を伏せることにし、家族やメディアには彼がリンパ節の癌で亡くなったと告げた。だが皮肉にもそうやって家族達を守ろうとしたシンディ自身、リッキーが最期まで病気を告げてくれなかったことにより心にトラウマを抱えてしまうこととなった。

 シンディの悲しみも理解出来るが、リッキーが最期まで彼女に打ち明けられなかった気持ちも分かるような気がする。ただでさえ打ち明けにくい病を、結婚したばかりで幸せいっぱいの妹に、どうして告げられようか。シンディを心から大切に思っていたからこそ心配させたくなかっただろうし、彼女の幸せを壊すようなこともしたくなかったのではないだろうか?
 私がリッキーの死を知ったのは、ちょうどこの後ぐらいに発売された輸入盤コンピレーションアルバムのブックレットに掲載されていた彼の死亡記事だった。それには確かにリッキーは癌で急逝したとあり、またメンバーは彼の死の数日前まで病気であったことを知らなかった、とも書かれていた。たまたま目に入った余りに突然の知らせに、私もまた呆然とするしかなかった。

 リッキーの葬儀は彼の死から5日後の10月17日木曜日、故郷ジョージア州アセンズのFirst Assembly of God Church(ファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド教会)で多くの友人や家族達、更に地元ファンまでもが参列して行われ、その後Oconee Hill Cemetery(オコニー・ヒル墓地)に埋葬された。続いて友人達と家族はほろ苦いシャンパンで乾杯(献杯)し、暗澹とした一日は終わった。




B-52's リッキー・ウィルソン死去 享年32

葬儀は木曜日


 The B-52'sのギタリスト、リッキー・ウィルソンがNYのメモリアル・スローン・ケタリング病院で癌により死去した。享年32。
 ウィルソンはアセンズ出身で、土曜日に死去した。
 The B-52'sはウィルソンの妹・シンディも含む5人組で、ダンスミュージックとけばけばしいスリフトショップ(中古安売店)のファッションにより、1979年にアセンズから全国的なロック界に躍り出た。グループはメンバー数人がジョージア大学在学中に結成された。
 葬儀はファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド教会にて、木曜日の午後3時から執り行われる予定。ウィルソンの継母であるリンダ・ウィルソンが月曜日の夜、ダニエルスビルの自宅から言った。
 バーンスタイン葬儀社により、葬儀後はオコニー・ヒル墓地に埋葬される。
 The B-52'sは「ロック・ロブスター」が局地的にヒットし、ワーナー・ブラザーズ・レコードとの契約への道を開いた。この曲は5回リリースされた。再リリースした「ロック・ロブスター」は全国のダンス・クラブの人気曲となった。
 グループのデビュー・アルバム「警告! THE B-52's 来襲」は79年にリリースされてヒットし、批評家からも激賞された。
 その後ワーナーから「禁断の惑星」、「パーティー・ミックス!」、「メソポタミア」、「ワーミィ・ワーミィ」がリリースされ、「プライベート・アイダホ」や「リーガル・テンダー」などがシングルヒットした。バンドは全国ツアーを行って観客を魅了し、映画「One Trick Pony」やTV番組「サタデー・ナイト・ライヴ」、「ガイディング・ライト」にも出演した。
 




B-52's リッキー・ウィルソン 埋葬式

The B-52'sのメンバー、キース・ストリックランドとフレッド・シュナイダーもウィルソンの死を悼む

癌により死去したアセンズ出身の32歳のロック・ギタリストは、木曜日に埋葬された


 木曜日、およそ60名がアセンズのファースト・アッセンブリー・オブ・ゴッド教会の礼拝堂に集まり、10月12日土曜日に癌により32歳で死去したロック・ミュージシャン、リッキー・ヘルトン・ウィルソンに最後の別れをした。
 黄色い薔薇で覆われた銀の棺の後ろでミルフォード・アディソン牧師は、1978年に結成されたロック・グループ、The B-52'sのメンバーでありながらプライバシーを大事にしたリッキーについて、こう語った。
 「彼は思索や芸術に耽る、とても静かな人物でした。彼から受けた最も優れた印象はというと…、それは思いやりがあるということです。人を愛し、優しく親切でした」。
 ウィルソンは癌だと分かった時でさえ、「神の助けを借りて、一人で苦しみに耐えました」とアディソン牧師は語った。
 家族が棺に白い薔薇を置き、ウィルソンはオコニー・ヒル墓地に葬られた。ウィルソンの妹で、The B-52'sのメンバーでもあるシンディは最後に棺に近寄り、泣いているところを連れ戻された。
 NYに住んでいたウィルソンは、人生の大半をアセンズで過ごした。クラーク・セントラル高校を1971年に卒業した後、彼はジョージア大学とドイツ・ハンブルグのゲーテ・インスティトゥートに通った。
 The B-52'sは1979年にリリースした局地的なヒットシングル「ロック・ロブスター」で人気になった。その後ワーナー・ブラザーズ・レコードと契約し、同レーベルから5枚のアルバムをリリースした。


 リッキーの墓碑にはこのような碑銘が刻まれている。
 “The breeze of grace is always blowing; set your sail to catch that breeze.
(優雅なそよ風はいつまでも吹いています:その風をとらえるために帆をセットしてください)
…うーん、微妙に訳が違ってるかも!? って今に始まったことじゃないけどショック
 誤訳はともかく、リッキーは帆船(sailboat)が好きだった。「リッキー物語 その7」でも書いたが、皆でマホパックに住んでいた際には自宅裏の湖で、自らが所有する帆船を楽しんでいたという。これはそんなリッキーにピッタリの、素敵な墓碑銘だと思う ヨット~ 
 

 リッキー・ウィルソン自身の物語はこれにて終了であるが、もう少しだけThe B-52'sの、彼に関係する話を取り上げてみようと思う。あとちょっとお付合いください。






Last updated  2013.09.16 21:37:27
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.12
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた革新的ギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿る無謀な試みもそろそろ終りに近づいてきた。
 何だか画面表示に変更があったようで、すっかり見にくくなってしまった。
 

 85年4月21日、シンディがついに長年の恋人であったキース・ベネットと結婚ハート(手書き)
地元アセンズで行われた結婚式には多くの友人や家族らが出席した。奇妙なことにリッキーは結婚式のどの写真に写ることも断固として拒否したため、これには如何なる理由があるのか、誰もが全く理解出来なかった。だがリッキーはたとえどう思われようと、秘密を守り抜こうと決心していた。このことを除けば、二人の結婚式は喜びに充ちた祝典であった。
 
 春の間、バンドは新たなアルバム用に“Detour Thru Your Mind”、“Wig”、“Communicate”、“Theme for a Nude Beach”の4曲を共同で作り、残りはメンバーが様々な組み合わせで曲を書き上げた。その中にはケイトがソロで作った“Housework”と、同じくフレッドのソロ作“Juicy Jungle”も含まれている。
 7月、彼等はNYのSigma Sound(シグマ・サウンド)に召集され、ニュー・アルバムのレコーディングをした。約1ヶ月後、バンドはワーナーに完成したミックスを提出したが、無残にも却下されてしまった。どうも今回のアルバムにはラジオで親しまれるような曲がないと思われたようで、レコード会社からは昔(の音)に戻ってヒット曲を書くように、というようなことを言われたらしい。
 初めての却下に落胆したもののバンドは再び前を向き、シンディ&キースが住むアパートメントの地下にあるリハーサル・スタジオに戻って“Beauty in a Black Bikini”のジャムを開始した。
 夏が終わる頃、リッキーの体調は急速に悪化していった。身体的にかなり疲労し、衰弱していたものの、精神的には「自然に振舞って、楽しんでいた」(シンディ曰く)。
 他のメンバーはリッキーの健康状態について、具合が良くないのであれば彼の親友であるキースならばおそらく知っているだろう、と迫ってきた。だがキースは「自分が勝手に何か言おうとは思わなかったんだ。何故ならば、それがリッキーの決断だったからね」。
 「ただ、シンディには話しておくよう促したよ。リッキーもそうするつもりだったと思うんだ…」

 スタジオで“Beauty in a Black Bikini”の曲作りに励んでいる最中、リッキーはキースと一緒にNYから離れて暫く旅行すると言い出した。
 詳しく書かれてはいないが、おそらくこの時点で病状はかなり進行しており、リッキーもいよいよ覚悟したのではないかと思われる。きっともう限界だったのだろう。病名が病名なだけに誰にも言えなかったというのもあるだろうけど、本当にリッキーは皆に心配を掛けたくなかっただけなのかもしれない。とにかくリッキーは最期まで決して、キース以外の誰にも病気を打ち明けることはなかった。

 10月9日、シンディは一人で自宅にいた。夫は仕事でおらず、リッキーとキースは仕事を放置したまま、ミニ休暇を取っているはずだった。
 そこへ一本の電話が掛かってきた。Memorial Sloan Kettering Cancer Center(メモリアル・スローン・ケタリング癌センター)の若いインターンからであった。
 「あなたが同居されている方がAIDSに罹っていることを御存知ですか?」
 シンディは驚愕し、そして「その電話に私は取り乱したけど、それで突如として今迄のこと全ての筋が立って、全身が凍りついたの」と悔やんだが、既にリッキーは病院で昏睡状態に陥っていた。
 それから3日後の10月12日土曜日、リッキーはAIDSによる肺炎のため、32歳という若さでこの世を去った。誰もリッキーにさよならを言う機会はなかった…。

ricky11.jpg






Last updated  2013.09.12 00:23:29
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.07
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていた革新的ギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿る無謀な試みの15回目。
 自らの病をキースにだけそっと打ち明けたリッキーであったが…。
   


 バンドメンバーの誰もがリッキーの痩せっぷりに気付いており、85年になるとそれはもう誰の目から見ても明らかであった。心配したメンバーがリッキーに身体のことについて尋ねると、彼は“ニューアルバム製作のプレッシャーが原因で、あとは大のお気に入りのメキシコ料理を断っているからだ”と言い張った。リッキーは皆に自分のことで心配をかけぬよう、懸命に秘密を守っていた―実妹であるシンディには特に。彼女には心配するなという方が難しいことを、それでも何とかして黙り通すことが如何に困難なことであるかを、リッキーは十分承知していた。
 「随分騙されやすいと思うでしょ。でも思い出さなきゃならないのはね、あの頃は本当にまだAIDSの初期だったから、誰も聞いたことがなかったのよ。まさか体重減少がこの病気の特徴だなんて、知らなかったんだもの」
 とシンディが言うように、当時はこの病気に関する広報は制限されていたため、何百万もの人々もまた知らないことだった。
 「私はどこか悪いんじゃないかって彼の目を真直ぐ見ながら尋ねたの。するとリッキーは笑いながらこう答えたわ、『Nooooo!』って」
 リッキーとキースを除くメンバーは彼が健康であると信じ、安心した。

 そしてリッキーと他のメンバー達は、1月11日~20日までの10日間、ブラジルのリオデジャネイロで開催される大規模なロック・フェスティバル「Rock in Rio」に向けて出発した飛行機
 250,000人収容可能な会場で行われたこのフェスで、B'sは18日(金)と20日(日)の2回、ステージに立った。18日にはThe Go-Go'sQueen等が、20日にはNina HagenYesなども出演している。
 「Party Mix!」(81)以降のアルバム並びに『Meso-Americans Tour』や『Whammy Tour』でもすっかりお馴染みのベテランホーンプレイヤー、トランペッッターのデヴィッド・バック(David Buck)&サックス奏者のラルフ・コーニー(Ralph Corney)が今回も参加。更にTalking Headsのドラマー、クリス・フランツ(Chris Franz)&ベースのティナ・ウェイマス(Tina Weymouth)夫妻も途中から加わり、大盛り上りのステージであった。
 だが「Rock in Rio」の最終日でもあったこの85年1月20日の公演が、リッキーの最後のステージとなってしまった (´;ω;`)

 「Rock in Rio」の映像はYouTubeに多数アップされているのだが、もうね…リッキーの頬が悲しいくらいにこけている。初めて見た時は、一瞬別人かと目を疑ったほどだ。
 リッキーが赤いシャツを着ているのが18日、青いシャツが20日のステージ。20日の方は何となくあまり動きがないような…体調が思わしくなかったのかしらん!? と今更ながら見ていて胸が痛む。
 特に見ていただきたいのは“Give Me Back My Man”と“Party Out of Bounds”の2曲。“Give Me …”では力強いギターと、間奏時にリッキーがアップになった際の表情(見る度に泣けてくる)を、“Party …”では一瞬だけ僅かに見せるリッキーの微笑を、是非とも見て欲しい。

 ・85年1月18日
rir-legaltender.jpg Legal Tender ティナ&クリスも参加 最初に少々20日の映像も
rir-dancethisma.jpg Dance This Mess Around 映像やや暗め
rir-givemeback.jpg Give Me Back My Man 気迫がこもったリッキーのギタープレイ 
rir-bigbird.jpg Big Bird デヴィッド&ラルフ、いい仕事してます 
rir-strobolight.jpg Strobe Light リッキー、めっちゃノリノリ♪ 映像短し
 
 ・85年1月20日
rir-dancethisma2.jpg Dance This Mess Around 何故かよくリッキーが映し出される
rir-privateidaho.jpg Private Idaho 棒立ちリッキー…体調が悪かったのかしらん
rir-rocklobster.jpg Rock Lobster これまた前半は棒立ちで演奏するリッキー
rir-theresamoon.jpg There's a Moon in the Sky ティナ&クリスも参加で楽しそう
rir-partyoutob.jpg Party Out of Bounds 5'00あたりのリッキーの微笑に注目!

 「Rock in Rio」でのB'sの演奏(の一部)が収録されているブートDVD「The B-52's : Rock in Rio」もYouTubeに上がっているので、一応貼っておこう。
rir-complete.jpg The-52's Rock In Rio 1985 : Live Complete
 January 18, 1985
01. Legal Tender (with Tina Weymouth and Chris Frantz)
02. Dance This Mess Around
03. Private Idaho
04. Rock Lobster
 January 20, 1985
05. Dance This Mess Around
06. Private Idaho
07. Rock Lobster
 Encore:
08. Party Out Of Bounds
09. Moon 85 (There's A Moon In The Sky) (with Tina Weymouth and Chris Frantz)

 ricky172.jpg 写真ではふっくらして見えるけれども…






Last updated  2013.09.10 06:47:07
コメント(0) | コメントを書く
2013.09.06
カテゴリ:The B-52's
ricky154.jpg Ricky Wilson (March 19, 1953 – October 12, 1985)

 The B-52'sの設立メンバーであり、独特な変則チューニングで初期B'sサウンドを支えていたギタリスト、リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)の足跡を辿る無謀な試みも早14回目。
 ここから先は正直、書くのが辛い…。行動の陰に押し隠していたリッキーの苦衷を想像するだけで、心が締め付けられる思いがする。何故リッキーは斯くも悲しい最期を自ら選んだのだろうか?
  


 『Whammy Tour』終了後、12月末のライヴまで再び休みを取ったThe B-52's
 バンドは次のアルバムの曲作りで若干もめた。ジャムは以前のようにスムーズに進まなくなり、意見の食い違いも出てきた。その結果、各自で曲を書いて合作しようということに。更に困ったことに、プロデューサーであるトニー・マンスフィールド(Tony Mansfield)からは全曲にフェアライトCMI(Fairlight CMI。80年に発売されたシンセサイザー)を使うよう、強要されていた。
 共同での曲作りに対する士気が上がらぬ中、B'sは自分達を取り囲む不吉な災難の影に対しても、何一つ準備出来ていなかった。

 84年末迄に7,000人もの米国人がAIDSに感染し、リッキーもそのうちの一人であった…。



 AIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome) 後天性免疫不全症候群

 AIDSとはHIV(Human Immunodeficiency Virus : ヒト免疫不全ウイルス)感染により免疫力が低下し、カポジ肉腫やニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)、悪性リンパ腫など定められた23種のAIDS指標疾患を発症した状態を言う。
 
 HIV感染の自然経過は急性感染期、無症候期、発症期の3期に分けられる。

 1)急性感染期 : HIV感染の2~3週間後、発熱、咽頭痛、筋肉痛、皮疹、リンパ節腫脹、頭痛などのインフルエンザあるいは伝染性単核症様の症状が出現する。症状は全く無自覚の程度から、無菌性髄膜炎に至るほどの強いものまで、その程度は様々。初期症状は数日から10週間程続くが、数週間から1か月程度で抗体が産生されてウイルス濃度は激減し、多くの場合自然に軽快する。

 2)無症候期 : 感染後6~8週でピークに達していたウイルス量は6~8カ月後にある一定のレベルまで減少して定常状態となり、その後数年~10年間ほどの無症候期に入る。

 3)発症期 : 抗HIV療法が行われないとHIV感染がさらに進行してHIVの増殖を抑制できなくなり、CD4陽性T細胞の破壊が進む。多くの場合、全身倦怠感、体重の急激な減少、慢性的な下痢、極度の過労、帯状疱疹、過呼吸、めまい、発疹、口内炎、発熱、喉炎症、咳など風邪によく似た症状のAIDS関連症状を呈する。また、顔面から全身にかけての脂漏性皮膚炎などもこの時期に見られる。CD4リンパ球数が200/mm3以下になるとニューモシスチス肺炎などの日和見感染症を発症しやすくなり、さらにCD4リンパ球数が50/mm3を切るとサイトメガロウイルス感染症、非定型抗酸菌症、中枢神経系の悪性リンパ腫などを発症する頻度が高くなり、多彩で重篤な全身症状が起こる。
 AIDSを発症して適切な治療が行われなかった場合の予後は2 ~3年である。

 パソコン 参照サイト
 ・政府広報オンライン 「ストップエイズ!今は「不治の特別な病」ではなく、コントロール可能な病気です。まずは早めに「HIV検査」を
 ・国立感染症研究所 感染症情報センター IDWR(感染症発生動向調査週報)感染症の話 「後天性免疫不全症候群(前編)」、「同(後編)
 ・Wikipedia 「後天性免疫不全症候群



 81年、ジョージア州アトランタにあるアメリカ疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention : CDC)の医薬品技術者が、男性同性愛者の間で発生している通常稀なカリニ肺炎の治療薬の依頼が増加していると報告した。更にこれまた稀な皮膚癌であるカポジ肉腫と体重減少の併発する副作用が起こることも、非常に珍しい事態であった。
 翌年、この病気はGRID(Gay-Related Immune Deficiency : ゲイに関連する免疫不全症)と名付けられた。この異様な流行性の病は急速に広がっていったが、人気メディアも政府も無視し続けていた。そして82年の半ばに名前がAIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome : 後天性免疫不全症候群)と変更されたのは、異性愛者の男女の感染者数が増加したためだった。
 84年になって遂にロバート・ギャロ(Robert Gallo)博士が人の免疫細胞に感染して免疫細胞を破壊するヒト免疫不全ウイルス・HTLV-III(後に名称をHIV-1に統一)の分離に成功したが、この時にはまだAIDSに関してほんの僅かな公開情報しか得られなかったため、多くの人々は握手やキス、公衆トイレなどでも感染すると思っていた。研究費不足もあってニューヨークとサンフランシスコの病院はAIDS患者で溢れた。多くの質問に対し、あまりにも少ない答えしか持合せていない時代であった。

 リッキーはAIDSと診断された時、唯一、キースにだけ病気のことを打ち明けた。
 「それはまさに流行の初期で、とても困難だった。何故ならリッキーは本当に(AIDSという病気に対して)どう対処すればよいのか全く知らなかったし、同じく僕も知らなかったんだ」と、後にキースが語っている。
 この当時のAIDS治療は症状を軽減するだけで、限られた数の抗ウイルス薬と化学療法剤を試用してみるぐらいしか手がなかった。

ricky56-2.jpg






Last updated  2013.09.06 21:55:54
コメント(0) | コメントを書く
このブログでよく読まれている記事

全29件 (29件中 1-10件目)

1 2 3 >

PR

Calendar

Free Space

Recent Posts

Category

Comments

楊ぱち@ 加齢とともに ベンジャミンさん、おはようございます。 …
ベンジャミン@ デヴィッドさん 楊ぱちさんへ 合格おめでたいです〜!素晴…
楊ぱち@ 癒しのベンさん ベンジャミンさん、おこんばんは。 先日の…
ベンジャミン@ ベニー少年(*^^*) 試験大変でしたね! LIVEAIDのベンさん見て…
楊ぱち@ Let's Go!解禁 ベンジャミンさん、大変レスが遅れて申し…
ベンジャミン@ 助っ人ベーシストさん情報 頂きありがとうございます!スコットさん…

Headline News


Copyright (c) 1997-2019 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.