不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2005/06/29(水)23:27

源平屋島合戦(六)

香川旅行記(195)

◇佐藤継信関連の所です。 佐藤継信の墓です。 近くには、大夫黒の墓があります。 馬の墓なんて、ナリタブライアンしか見た事がありませんね。 後白河法皇から賜った馬を、供養の為にあげたのはまずいのではないでしょうか? お墓としては広い敷地だと思います。 車では訪れにくい場所でした。 隣は、讃岐国始祖神節王墓だそうです。 よくわかりませんけど・・・。 佐藤継信の碑が安徳天皇社から少し入った所にありました。 何であるのかわからずに見ていました。 忠義を広く世に広めるために、高松初代藩主が建てた物らしいです。 武士道の為に利用されたって事ですね 洲崎寺は駐車場もあり、パンフレットも置いてある所でした。 源氏の負傷兵を運んだ場所とされています。 佐藤継信の菩提寺とされているそうです。 境内は、屋島合戦の雰囲気をだした枯山水?庭園があります。 屋島合戦の石碑もありました。 「四国遍路の父」の『真念(しんねん)』の墓もありました。 いろいろ回って知らない事が多いと思いましたね ☆今回の源平屋島合戦の状況☆ 教経は菊王丸の死を悲しんでいるに、陸では義経も、嘆き悲しんでいました。 義経が「思い残すことはないか」と訪ねると、佐藤継信は「何を思い残すことがあるでしょうか。あなた様がご出世なさるのを拝見しないまま死にますのが残念です」と応えたそうです。 源氏兵の負傷兵を洲崎寺へ運び込んだといわれた寺の門扉で本陣・瓜生ヶ丘まで佐藤継信の亡骸を運びました。 義経は僧侶を呼び、佐藤継信を弔ってほしいと頼みました。 後白河法皇から賜った秘蔵の名馬で一ノ谷合戦の時に「鴨越えの逆落とし」で活躍した馬を、供養の礼として志度寺の覚阿上人に与えられました。  (いろいろな資料を基にしました) たぶん続きます(笑)。

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