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カテゴリ:日本旅行記
◇蒲生氏郷の墓から鶴ヶ城跡へ訪れました。
南北朝の頃、葦名氏によって築かれた黒川城は、1592年蒲生氏郷によって七層の天守閣を築き、城郭は甲州流の縄張りを用いて整備し黒川の名を若松と改め、城の名を鶴ヶ城と命名した。 1639年加藤氏は七層の天守を五層にし、現在の形態となり、外用が復元天守の姿である。。 茶室と鶴ヶ城天守と御薬園の共通券もあります。 思ったより大きな復元天守ですね。 これが七層の木造だったらと思うと、すごかったんだなと思いますね。 復元天守でも、これほどの規模はなかなかないでしょうね。 天守閣の入り口は、ものすごく石垣に囲まれたところから入りますね。 天守閣入り口とは思えませんね(笑)。 内部は資料館として、最上部は展望台ですね。 訪れた時は、4月6日の「城の日」だったみたいで城の展示をしていました。 『千飯櫓』と『南走長屋』が復元されて見えるみたいでしたが、間違って外に出てしまいました。 道を間違えてしまったも、気がついた時は後の祭りでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() 鶴ヶ城城内には、茶室麟閣があります。 千利休の死後、会津藩主・蒲生氏郷が千利休の子・少庵をかくまった時に、蒲生氏郷の為に造ったと伝えられています。 茶室は、まったくわかりませんが、雰囲気はいいですね。 少し改装したのか、だいぶ綺麗でしたね。 壁の色が柿色だったのは、珍しいですが当時からこんな感じだったのでしょうか? 茶室の周りにも建物があったらしく看板があります。 ![]() 城内には、『荒城の月碑』があります。 石垣の上にも一部ですが歩くことができます。 これほど石垣が残っているのは、うれしいですね。 歴代城主が、なんども変わっているので、ちょっと中途半端な説明看板になってしまいますね。 伊達家支配の頃、政宗毒殺未遂の事件も黒川城だったとおもいます。 加藤氏の堀主水事件や戊辰戦争の舞台になった、この城は色々な事があったんだなと思いますね。 堀の周りを自転車で走りましたが、だいぶん大きいですね。 天守閣が見える所は一部の所からだけでしたね。 鶴ヶ城跡とタイトルをしていますが、現在は『若松城跡』です。 会津旅行は、まだ続きます ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/05/22 11:08:13 PM
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