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不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

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2007/05/22
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カテゴリ:日本旅行記
蒲生氏郷の墓から鶴ヶ城跡へ訪れました。
南北朝の頃、葦名氏によって築かれた黒川城は、1592年蒲生氏郷によって七層の天守閣を築き、城郭は甲州流の縄張りを用いて整備し黒川の名を若松と改め、城の名を鶴ヶ城と命名した。
1639年加藤氏は七層の天守を五層にし、現在の形態となり、外用が復元天守の姿である。。

茶室と鶴ヶ城天守と御薬園の共通券もあります。
思ったより大きな復元天守ですね。
これが七層の木造だったらと思うと、すごかったんだなと思いますね。
復元天守でも、これほどの規模はなかなかないでしょうね。
天守閣の入り口は、ものすごく石垣に囲まれたところから入りますね。
天守閣入り口とは思えませんね(笑)。
内部は資料館として、最上部は展望台ですね。
訪れた時は、4月6日の「城の日」だったみたいで城の展示をしていました。
『千飯櫓』と『南走長屋』が復元されて見えるみたいでしたが、間違って外に出てしまいました。
道を間違えてしまったも、気がついた時は後の祭りでした。

福島会津d01鶴ヶ城跡

福島会津d02

福島会津d03

福島会津d04

鶴ヶ城城内には、茶室麟閣があります。
千利休の死後、会津藩主・蒲生氏郷が千利休の子・少庵をかくまった時に、蒲生氏郷の為に造ったと伝えられています。
茶室は、まったくわかりませんが、雰囲気はいいですね。
少し改装したのか、だいぶ綺麗でしたね。
壁の色が柿色だったのは、珍しいですが当時からこんな感じだったのでしょうか?
茶室の周りにも建物があったらしく看板があります。
福島会津d11麟閣

城内には、『荒城の月碑』があります。
石垣の上にも一部ですが歩くことができます。
これほど石垣が残っているのは、うれしいですね。
歴代城主が、なんども変わっているので、ちょっと中途半端な説明看板になってしまいますね。
伊達家支配の頃、政宗毒殺未遂の事件も黒川城だったとおもいます。
加藤氏の堀主水事件や戊辰戦争の舞台になった、この城は色々な事があったんだなと思いますね。

堀の周りを自転車で走りましたが、だいぶん大きいですね。
天守閣が見える所は一部の所からだけでしたね。
鶴ヶ城跡とタイトルをしていますが、現在は『若松城跡』です。


会津旅行は、まだ続きますスマイル





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Last updated  2007/05/22 11:08:13 PM
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