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テーマ:京都について語ろう(182)
カテゴリ:日本旅行記
◇天王山の中腹に十七烈士の墓があります。
幕末、王政復古の運動を推進した長州藩が、1863年8月18日の政変のため、三条実美以下七卿と共に京都を脱出し、しばらく本国に退いた。 このとき筑後水天宮神官真木和泉守始め尊皇攘夷の志士たちは、長州藩の京都回復運動に同調し、清側義軍を編成して、1864年夏、長州藩軍兵と共に上京し、ここ山崎に布陣した。 その強硬な上京軍に対し、幕府側はついにこれを追討することを決したが、先に上京軍は伏見・天龍寺及び山崎の三方から進撃を開始した。 かくて御所の幕府軍との間に激しい戦いが展開されたが、上京軍は蛤御門・堺町御門において敗れ、退却を余儀なくされた。 この山崎に退いて長州藩主力兵の国元への引き上げを見送った真木以下十七名は、禁裏のある京都の地を去るに忍びないとして天王山に登り、7月21日、幕府追討軍の来襲を前に、烈士そろってこの地で壮烈な自害をとげた。 その直後、敗兵掃討によって離宮八幡宮・神宮寺等の社寺や、民家二百余戸を焼失した。 烈士の墓は、各地にあるみたいですね。 古い墓ですが、立派な墓が多いですね。 地元の人にとっては、町が焼けたのだから怨みもあったでしょうね。 綺麗に整備されていました。 さらに登ると酒解神社(さかとけじんじゃ)があります。 その創建は奈良時代まで溯るといわら、平安時代の延喜式神名帳にも月次、新誉?の官祭を受ける名神大社であることが記されている。 神名帳によると旧名を山崎社と称し、元正天皇の717年建立の棟札があったという。 中世には山下の離宮八幡宮の勢力が強大となり、同社は山崎山(天王山)上に遷座し、山上の神はやがて天王社と呼ばれるようになり、山も天王山とよばれるようになっていった。 さて、今日同社には非常に珍しい重文の神輿庫が残されている。 一般に用いられる▽形の木を積み上げた校倉形式ではなく、厚さ役14cmの厚板を積み上げた板倉形式の遺構は非常に少なく、重文に指定されているものでは、奈良市内の春日大社にあるものが唯一であるが、それは江戸時代のもので新しく、現存する板倉としては当庫が最も古く非常に貴重な建造物だある。 少し荒れていた神社でした。 本殿の方しか見てなかったので、神輿庫はチラッとしか見ませんでした。 機会があればまた登ったときみたいですね(笑)。 ●京都山崎旅行で訪れた所 京都山崎旅行は、まだ続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/11/13 10:36:36 PM
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