“やおっち”的電脳広場

2006/06/01(木)19:17

友よ、ありがとう、そして、また会おう。

語ってみました。こんなこと。(276)

今日から6月。 でも、なんかまだしんみりした心境です。 今日は本来なら逝去した友人の告別式ですが、仕事の都合で行くことができず申し訳なく思ってます。 正直なところ、まだ整理、というより実感がないので整理のしようがないのですが、今しかこういうタイミングがないので、中途半端ながらその心境を語り、亡き友へのレクイエムとします。 改めて、先日、友人が亡くなりました。 自然死でも、事故死でもない理由で突然、この世を去ったのです。 僕と彼とは、僕が地元に戻ってしばらくしてからの付き合いだから2年ちょっとになると思います。先日少し話題にした某オケでホルンを吹いていて、気がつけば言いたいことを毒舌で言い合う、どちらかと言えば「悪友」の部類に入る存在でした。 会えばお互いに毒舌?を言い合ったり、このブログにも何回かコメントを書いてくれたほかにも、毎日のように訪問して「この前の日記は~」といろんなツッコミを入れてくれました。 僕が仕事で一時期テンションが下がっていた頃にはさりげなくグチを聞いてくれたり、某オケの問題の時にはいろいろと相談を持ちかけられてこちらが悩みを聞いてあげたりなど、それなりの信頼関係はあったと思います。たぶん。 他人からの信頼も厚く、女性にも非常にモテた奴で、いろんな女性から好感を持たれた、という話はたくさんあり、通夜の時には多くの女性が遺影の前で涙を流してました。 しかし、そんな反面、大きな悩みを抱えていて、仕事での苦労のほかにも某オケの件ではキーパーソンとして問題解決に尽力しており、その辺からも心労が重なったのだろうと思います。 もし、仮に、彼の亡くなった原因に某オケの件がほんのわずかでもあるとすれば、それは一部の人ではなく、自分も含めたそのオケに関わっている人間全員が責任を負うべきだと考えてます。 この意見には何人かの方々が同じようなことを言っており、自分も全く同感だと感じてます。 そして、このオケに関しては、もう少しツッコミを入れたいのですが、彼のために止めておきます。それをしたところで、彼が還ってくることがないので。 さて、彼を失った今の自分の心境ですが、「悲しい」とか「寂しい」というよりもむしろ「怒り」というか「悔しさ」の感情の方が強いです。 これを言葉にするなら 「俺より年下のクセして、何を勝手に、それも断りなく急に逝っちまってんだよ~!」 という言い方をすれば分かって頂けるのではないでしょうか。 こうやって文字にすると分かったのですが、こういった「怒り」や「悔しさ」はやはり「悲しみ」の裏返しだと思いました。 本当に正直なところ、まだ彼がいなくなったという実感がありません。いまだに信じられないです。 しかし、事実として彼はもう、この世には存在していません。これから時間をかけて事実を受け止めていきたいと思います。 彼は本当にすばらしい男でした。通夜しか参列できなかったけど夜の遅い時間にもかかわらず遠くから大勢の人々が彼の死を悼んで詰めかけ、そして大勢の人々が悲しみにくれていました。 失礼な例えながら、もし自分がそうなったらどれだけの人が、と考えてしまい、自分の人間性のなさに情けなさを感じました。 実体としての彼はもういませんが、彼に関わった多くの人々の心の中で生き続けるでしょう。 チャイコフスキーの交響曲第5番2楽章のホルンソロを演奏しながら。 どうか、彼の魂が心安らかに眠らんことを祈って、彼への追悼を終わりたいと思います。 最後に一言。 「ありがとう。そして、あの世で再び再会できんことを。」

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