アトリエ農園・抽象日記
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自分のやりたいことをやるために自分の見たいものをみるために自分の会いたい人に会うために集中するときほど自分の力を超えたピュアな仕事ができる。
2005年06月21日
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AとB、そして、その他何人という価値観にはしばられたくない。その他、何人にもなりたくはない。その他、何人から歴史を作り変えたいくらいだ。大きなAと大きなBの過渡期にある多様なものたちについて考えるのがあなたの仕事だとしたらその発想はすばらしい。
ぐるぐると京都の北山の林道をひたすら走った。時折、森林の空気の味がする。 車をとめて目を閉じると甘美な時間。しばし、森林の小動物に変身する。 夜、アトリエにたどりつき疲れて仮眠。目覚めるとからだの奥の方からたくさんのイ メージがやってきた。クロッキー帳に鉛筆でたくさんの走り書きをした。
2005年06月20日
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ひとつの仕事を完成させ発送した。17枚の水彩画。発送は不安を達成感に変化させた。つぎの仕事にむけてアトリエのセッティングを整える。7月13日からの個展までにあと数点の作品を仕上げる予定。
2005年06月19日
身近な人が亡くなった時、棺のある部屋に眠らされることが多い。人がたくさん集まると私は棺のある部屋で寝かされる。思えばそこは特等席だ。父が亡くなった時も私は父の亡骸のとなりで眠った。父のからだから色とりどりの光のかたまりが無数に溢れ出して私の身体に流れ込んだ。たぶん、父はたくさんの女性を愛し、愛されたにちがいない。しかし、家族の前では、家庭を大切にする父でありつづけた。
2005年06月18日
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絵を描き終わると筆先をせっけんで泡立てて、手のひらでくるくるとまわす。筆の根元をしごく。これを色がでなくなるまでくり返えす。色がでなくなったら水を切って指先で筆の先を尖らせる。こうしておけば 油絵にも水彩画にも同じ筆を使うことができる。
2005年06月17日
ふとした拍子に自分の眼球の表面の涙の動きが見えることがある。 顕微鏡を覗き込んでいるような目が目を見ているような不思議な感覚になる。
2005年06月16日
さきほど鴨川の丸太町橋から少し北の辺りでホタルを見た。予期せぬ丸太町のホタルには驚いた。ホタルの光は効率的で熱をほとんど発生させない。ホタルの光のような効率的な照明器機をめざして蛍光灯がつくられた。
2005年06月15日
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人が不機嫌になるのは、空腹の時と眠い時。そして、なぜ怒ってるのと問いつめられたとき。不機嫌の原因はいろいろあるけれど、不機嫌の原因は詮索すべきではない。
2005年06月14日
北の方角に用事があったので、そのまま日本海まで車を走らせ琴引き浜 に辿り着いた。もずく取りに来た男がひとりいて、私が来るまで海にいたのは自分ひとりだったのでどうしようかと思案していたという。たしかに誰もいない6月の海にひとりで入るのは勇気がいるのかもしれない。私はすぐに海に飛び込んで泳いだ。海に浮かんで浅瀬の砂に映る光の動きを見るのが好きだ。琴引き浜の砂は石英の粒子でできていて歩くと音がする。いつもはキュッキョッという音。今日は手のひらと腕で女が啜り泣く泣き声のように砂を鳴かせた。灼熱の真夏とは違って砂浜の温度も人肌。ほんとうに私の腕の中で女が鳴いているような気持ちになった。浜には無料の温泉がある。いつやってきたのか老婆がひとり。真冬の岩海苔とりなど海の仕事の話を聞きながら温泉につかる。あがろうとすると何度ももう行くのかとひきとめられた。海に沈む夕陽がまぶしかった。
2005年06月13日
昨日は彫刻をつくるKくんとその友人の服をつくる人とJRの高架下の小さなイタリア料理屋で呑んだ。若いストリートな感じの男の子がふたりでやっている店だ。夜がふけるとおしゃれな若い女性でよい雰囲気ににぎわった。料理は不思議なほどにうまい。服をつくる人は、芸術家も作品を持って売りに行くべきだという。彼も若い頃は服を持って地方をまわり、服をあつかってもらう店を探した。地方から火がつけば東京のお店は向こうからやってくる。調べたり、紹介を求めたりせずにゼロから接するのがおもしろいという。Kくんと私は芸術というローカルな沼地に生息している生き物かもしれない。美術で仕事をするためには沼地から抜け出す努力をしなければならない。服をつくる人からたくさんのヒントをもらった。
2005年06月12日
人はどれくらいの富を手に入れると狂ってしまうのだろう。 誰かがアトリエにある作品のすべてを買ってくれたらどうだろう。 何も無くなったアトリエで私は何を考えるのだろう? むしろ、名声を手にしたとき、自分では気づかずに嫌な言葉を吐くかもしれない。 富と名声を手に入れたときには謙虚に生きよう。 (みんなに杞憂だと笑われそうだ)
2005年06月11日
人は初対面でよい印象を持った人のよいところだけを記憶し、悪い印象をもった人の 悪いところを探しつづける生き物である。調子の悪いときには誰にも会わない。けし て不可能ではないが、第一印象の汚名をはらすほどむずかしい仕事はない。
2005年06月10日
父は家族に遺言を残した。母には感謝の言葉。そして、子どもには「兄弟仲良く」の一言。
2005年06月09日
楽しいことも、苦しいことも際限なく、お互い負けず嫌い。このまま会い続けているとどちらかが死んでしまうのではないかと思えた。ドキドキするかと聞かれて、ドキドキしないと答えた。そのとき一番好きだった。
2005年06月08日
アトリエの白黒テレビの音を消してK1を見たことがある。BGMはジャズ。 チャップリンの映画か、激動の昭和の記録映画のように見えた。 人が生身で真剣に戦う様子が郷愁を誘う。
2005年06月07日
大阪の万博公園にある民族学博物館で開催されている特別展「きのうよりワクワクしてきた。」ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち展に出かけた。美術家が世界各地の生活雑貨を散らかして並べ替え自分達の作品を少しだけ混在させたような展覧会。常設展を見て民俗学博物館というのは生活雑貨の標本箱みたいだと思った。生活のすべてを博物館に詰め込むことはできない。昆虫採集されたアゲハ蝶は飛ばない。『ブリコラージュ』展は昆虫採取されたアゲハ蝶を少しだけ羽ばたかせようとする試みかもしれない。
2005年06月06日
今日は散髪。子どもの頃から育った街の散髪屋さんに2時間ほど車を飛ばして出かけ た。散髪はすべておやじにおまかせ。これで仕事をするのは気合いがいりますよとふ ともらしてからは比較的大人しくやってくれるようになったけれど、絵描きさんなの だからとほとんど金髪に近い色に染められたこともあった。おやじは今年で57歳。パ ンチパーマを得意とするが需要はけして多くない。 散髪するといつも少しだけ若くなる。気のせいかな?
2005年06月05日
あるとき言葉で音楽の結晶をつくることを仕事にしている女性から小さな白い花の名前を聞いた。私は乱暴にその花をちぎって食べた。かすかに苦味のある緑の味がした。彼女は素早く私に唇を重ねて、白い花食べたのと笑った。考えてみるとそのとき音楽に関わる人とはじめてキスをした。太古より音楽に関わる人は天上の仕事をまかされ、美術に関わる私は地上の仕事を与えられている。私は天上の仕事をする人も暖かくやわらかな身体を持っていたことをはじめて知った。散歩の途中に川面の風を感じて一瞬、そんな情景が脳裏をよぎった。
2005年06月04日
町内で蛇が見つかった。大人が総出で野外に追い出した。 その蛇が勢いよくジャンプして私の咽の奥に噛み付いた。 いくらひっぱってもとれない。ドキドキした。
2005年06月03日
私は宇宙の暗闇のなかに浮かんでいた。無限大の遠くの闇に針で引っ掻いたような光が走った。その光は金属音を伴ってだんだん大きくなった。宇宙は外縁からものすごい速さで物質化した。私は閉ざされ居場所を失う。最後に私の心臓がどきんとなって結晶化し時間が止まった。そのとき私は金属でしかなかった。一瞬の出来事だった。私は金属の宇宙として消滅した。
2005年06月02日
地区のリレーを走ってアキレス腱を切ったことがある。がつんと後ろから叩かれたようなショックがあった。地面に叩き付けられるように転がった。医師のすすめで入院の必要無いギブス固定で治療した。怪我の数日後、運転して方々の美術館をまわりはじめた。はじめて、美術館で車椅子を借りる。車椅子は思っていた以上に前後左右にスムーズに移動することができた。車椅子から見る作品や美術館の空間はいつもとは違った感覚を私に与えた。車椅子で鑑賞しやすい美術館とそうでない美術館があることに気づいた。
2005年06月01日
先週末、工場街にある私のアトリエでほんとうにひさしぶりに友達と飲み会をした。 台所がないので調理は電熱鍋とシングルバーナーのみ。料理はサラダ、揚げだし豆腐、 ブタ角煮、飯盒で鯛飯を炊いて、海老と茄子のテンプラにお刺身など。お酒は、ビー ル、赤ワイン、焼酎で、テーマは「居酒屋」。みんなわっと楽しんで、終電にあわせ て帰っていった。 一度にみんながいなくなった後の切ない感じも、これはこれで贅沢な余韻かもしれな い。 その夜はひとりでアトリエに泊まった。日曜日の朝、アトリエの外からいろんな鳥の 声が聴こえた。
2005年05月31日
ゴッホの線は加速して光になった。 光速の線がすべての風景を形作った。 ゴッホの絵からは光速の音楽が聴こえる。 響きつづけているので誰の耳にも届かない 宇宙の音楽をゴッホは聴いたにちがいない。
2005年05月30日
1992年のゴッホ展のカタログを見ていたらこんな言葉を見つけた。みすず書房の『ファン・ゴッホ書簡全集』からの引用だ。「日本の美術家たちがお互い同士実際によく作品交換したことにぼくは前々から心を打たれてきた。これは彼等がお互いに愛しあい、助け合っていて、彼等の間にはある種の調和が支配していたと言うことの証拠だ」1888年9月作品によって愛しあい調和すること、無条件に与えあうことにゴッホは感動している。私も今まで私に感動をくれた人に、一番大切な作品をあげてもよいはずだと思い始めた。もう何百年も前に亡くなった歴史上の人物もにはプレゼントできないけれど、今、生きている人ならばプレゼントできない話ではない。かつて美術大学で習った先生からプロをめざすのならば人に作品をあげてはいけないと教わったことがあった。作品を大切にしなければならないのはわかる。しかし、力をもらった人、尊敬できる人、愛する人に作品をプレゼントするのは悪いことではないとこのごろ思う。作品をプレゼントしたいと思えるような人にたくさん出会いたい。
2005年05月29日
友達に匿名でウラ日記のブログを始めたと話すと、彼の表情が曇った。「大丈夫なの?やめといた方が良いのでは」と言う。彼は私がまわりの作家の悪口を 書いていると思ったらしい。ウラ日記と言ったのがよくなかったようだ。彼は美術と社会がなれ合うのはよくないと言う。美術と社会がなれ合うのはどちらにとってもつらいことだと言う。今の美術は社会となれあっているので、もっと距離をとるべきだというのが彼の考え方である。「それって、家庭内別居みたい?」「不健康ですね。」やはり、社会と美術の接点は必要なのだろうか?今日はアトリエに泊まる予定なので、はじめて午前中の送信。
2005年05月28日
恋人の家には猫がいた。ある日、突然、猫がいなくなったとき私が付き合っていたの は彼女ではなく、猫のほうだったのかもしれないと一瞬思った。懺悔。
2005年05月27日
20台の半ばを過ぎた頃、失恋して車を走らせながら涙が止まらなかったことがある。失恋して泣くのははじめてだったので、泣いているのは自分ではないと思った。泣くことで別の自分になったような気がした。
2001.9.11マンハッタンのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいく映像が放映されて、1週間ほどたったある日、書架に読まないまま置いてあったジャン・ボードリアールの『象徴交換と死』をふと手にとってページを開いたら、こんな文章が目に飛び込んだ。「ニューヨークの世界貿易センターには、なぜ二つの塔があるのだろうか。」そして、その答えはこんな具合に書かれていた。「世界貿易センターの二つの塔は、正方形の土台の上に立つ高さ四〇〇メートルの完全な平行六面体で、完璧にバランスのとれた、窓のない通底器となっているが、このような二つのまったく同一の建築が向かい合って存在するという事実は、一切の競争の終わり、オリジナルなものへの一切の準拠の終わりを意味する。」「一切の競争の終わり」の象徴は、一瞬にして消えた。
2005年05月26日
小学校の頃、風邪で熱が出て学校を休んだ日に、ひとり寝かされた部屋の天井の木目から光速で走るウッドペッカーが飛び出してきたことがあった。ジェット音や私の鼻先をかすめる風までもがあまりにもリアルで私はおもわず飛び起きた。1分間ほど走り続けたウッドペッカーはゆるやかに天井の闇に沈む。熱を出す度にウッドペッカーが見たくて木目を凝視した。しかし、数回、弱々しいウッドペッカーを見ただけで、私の間近を光速で走り抜ける力強い姿を見ることは二度となかった。
2005年05月25日
小学校1年生の頃、父の仕事は「新聞汽車」だと聞かされた。私がちぐはぐな返答を するので、父は「新聞に文章を書く仕事」だと説明を加えた。私は汽車のなかで父が 文章を書いている場面を想像した。「汽車」が「記者」であることに気づくのにあと 数年は必要だった。
2005年05月24日
絵画は永遠と瞬間が出会う場所。
2005年05月23日
石ころを拾って、手のひらに乗せて、日向でじっと見つめる。 じっと見つめると石ころから小さな光の粒があふれだして、きらきらした光のかたま りになる。すべての石が光のかたまりになる訳ではなかった。 すぐに光のかたまりになる石もあれば、いくら見つめても光を吸い込むだけの石もあっ た。光の石ころを集めて遊んだ。
2005年05月22日
今日は昆虫学者と呑んだ。彼の奥様は小学校の先生。美人でユーモアも解し、童顔ゆ えに毒舌が許されているが、繊細なところもある。昆虫学者のまわりに鬱病傾向のひ とが多いと言う。憂鬱な気持ちは夕日が沈むようにやってくる。私たちはそれにのみ こまれない、のみこまれないようにしようとワイン2本と焼酎を少々。今日は私の誕 生日。いくつになったのかよくわからない。
2005年05月21日
弟の昔の彼女は霊能者だった。彼女には弟がその日見たものがすべて見えた。弟が出張から帰った夜のデートの会話はまるで同じ場所に一緒にでかけた思い出話しのようだった。弟が見たものを彼女はすべて言い当てた。あるとき、彼女は弟と私の個展会場を訪れた。彼女は私の作品を見るなりお兄さんは有名な画家になると言った。有名とは?と尋ねると、あるテレビ番組に作品が放映されると言う。数カ月後、本当に私の作品がその番組で紹介された。彼女は、ある日「わたしといるとあなたが不幸になる」と言って突然弟のもとから姿を消した。彼女といたときの弟にはすこしだけ霊感があった。
アトリエにあった本をふと開いたら、風が吹いていないのではなく、あなたが帆を広げていないのだという言葉を見つけた。なんとなく無意識で手にとった本のページには心に響く言葉が必ずある。意識してやったときには、うまくいかない。
2005年05月20日
今日はなんとなく、もの欲しいような、待ちくたびれたような気持ちになった。だめだな。明日はまわりの人にやさしくできますようにと祈ってみた。祈るのって、よくできたマインドコントロールだな。少し気持ちが楽になった。とにかく、もの欲しいような気持ちではよい絵は描けない。
2005年05月19日
美術の知り合い、稼ぐための知り合い、幼馴染み、その他いろいろな人間関係。 できるだけそれぞれをバラバラにしておきたいと思っていたけれど、バラバラにする ためにいろんな自分を演じてきたのかもしれない。 そんな自分自身の垣根をはずしてみるのもよいのかな。 人間関係のレイヤーを統合すること。
2005年05月18日
連休中に、ほんとうにひさしぶりに村上春樹の物語を読んだ。遠くの女友達に「ねじまき鳥クロニクル」を読んだとメールしたら、私には戦場での暴力にも妻を疑わない男にもリアリティーを感じられなかったという返信があった。「ねじまき鳥クロニクル」は、たぶんリアリティなど求めていない本にちがいない。ありえない!そりゃないだろう!の連続。物語のリアリティが死んでしまいそうな時代に、そして、物語が陳腐なものとしてしか存在できない時代に物語を延命させる方法が模索されているのかもしれない。因果関係のリアリティが解体されて、細部へのこだわりだけが清潔に描写される。心理的な意味不明さがありえないプロットを呼び込み、微温的に、統合失調症的に心地よいというような本だと思った。遠くの女友達には、もし、私が「ねじまき鳥クロニクル」の主人公ならいろんな場面でセックスしすぎて体を壊しているだろうと書いて返信した。
2005年05月17日
(京都国立博物館 の曾我蕭白展へ行ったのはMay 09,2005) 京都では与謝蕪村、池大雅、円山応挙、長沢芦雪、伊藤若冲など蒼々たるライバルが 活躍した時代に蕭白は時流の表現に反抗して、アナクロニズムの奇想の表現を追求し た。 この展覧会のキャッチコピー「円山応挙がなんばのもんぢゃ!」を見ていたら、曾我 蕭白の作品が、いろいろな材料をつめこんでかきまわしてつくった「もんじゃ焼き」 に見えてきた。 一度はまると癖になりそうな魅力。
2005年05月16日
忙しいと感じるのは、やりたくない仕事に時間を使うとき。好きでもない音楽をえんえん聞かされているような気持ちになる。楽しいことをしているときに忙しいと感じることはない。
2005年05月15日
学生の頃、ある美人版画家と有名画家に誘われて飲んだことがあった。その夜の別れ際、美人版画家と有名画家は長いキスをした。そして、美人版画家は私の目を見て言った。「あなたはわたしのこと好きになっちゃダメよ」今まで何度も「好きになっちゃダメ」と言われたことがある。気にしていなかった人からそんな言葉をかけられるとなぜか、その人のことが気になりはじめる。まるで、「好きになってね」と言われたみたいに。若かったからかな?誰かに「好きになるなよ」と言ってみようかな。
2005年05月14日
暇なときこそ新しい仕事の準備ができる。忙しい時には今の仕事ををこなすことで精一杯。
2005年05月13日
身近な人たちにキャンプの話をしたら乗ってきてくれた。話を持ちかけなければ、身 近な人たちとの間にはいつもと同じ日常がやってくる。身近にいる魅力的な人たちと 出会う事もない。 「そう!いつか平日か週末朝早くに集合してキャンプの下見に行きましょう。炭でな にか焼いてビールを少し呑みましょう。」 なぜ、下見なんだろう?
2005年05月12日
たとえば、リンゴがリンゴとして取り扱われ、人が人として取り扱われること。
2005年05月11日
計画をたてずに旅行することの好きな人と呑んだ。いかに身軽になるか。その人は野宿に限り無く近いキャンプを好む。テントはシングルを人数分。食材にはこだわる。
2005年05月10日
「オペラ座の怪人」をずっと泣きながら見たという女性がいた。なぜ、泣いたのか気になった。すべてがうつくしいと彼女は言った。映画の中でクリスティーヌが怪人の仮面を剥ぎ取ってしまう場面がある。どうして女性は怪人の仮面をなんども唐突にはぎとってしまうのか?怪人への愛は芸術への愛の象徴として描かれている。過去の場面がカラーで、現在がモノクロ。幼い恋愛と芸術への愛、過去と現在、すべてのものが引き裂かれながら過ぎ去ることに感動しての涙だったのか。
2005年05月09日
当たり前のものが当たり前には見えなくなり、当たり前のものを特別な何かだと感じると人は不安を感じたり居心地の悪い愉悦に翻弄される。昨夜、近くの神社の本殿が全焼してしまった。まったく火事には気づかなかった。不安で切ない夢にたかぶって眠れないと思っていたが、消防車の音にさえ気づかないほど熟睡していたようだ。
2005年05月08日
電話回線の飛び込み営業をしている若い彫刻家に会った。 家を訪ねて人と出会い、人と話し、人の心をつかむこと。 それは技術だと彼は言った。 野望を持たなければ、技術と心に大差はないのかもしれない。心をこめてと話される よりも、なぜか彼の話に心ひかれた。
2005年05月07日
もし、あなたが今日、自由ならその自由をすこしづつ奪ってみたい。一緒に自由を確 かめたりするのもよいだろう。しかし、あなたが今、不自由であるのなら私は干渉し ない。 連休中に古い本を引っぱりだしてみたら、カート・ボネガットJrの文庫がたくさん出 てきた。読んだけれど思い出せない本がたくさんある。
2005年05月06日